菜の花の沖 1

新装版 菜の花の沖 (1) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (1) (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

江戸後期、淡路島の貧家に生れた高田屋嘉兵衛は、悲惨な境遇から海の男として身を起し、ついには北辺の蝦夷・千島の海で活躍する偉大な商人に成長してゆく…。沸騰する商品経済を内包しつつも頑なに国をとざし続ける日本と、南下する大国ロシアとのはざまで数奇な運命を生き抜いた快男児の生涯を雄大な構想で描く。


 ずっと以前にこの1巻は買っていたのだが、大長編だということもあって読み始めるのに躊躇していたがようやく読み始める。
 淡路島の貧乏子沢山の家に生まれた嘉兵衛は、叔母が嫁いでいるという縁で、隣村の雑貨店のような小さな商家の和田屋の奉公人となる。そして和田屋で奉公しているうちに、船に乗せてもらい船の仕事をしながら大阪に買い付けにいくことが度々あり、数年そうしているうちに海での経験を積み重ねた。
 この頃水車式の搾油が考案されて、油の生産量が上がって油の価格が下がった。そして搾油のための水車工場が、淡路島の対岸ですぐ近くの六甲山麓住吉川、芦屋川に作られたこともあって、淡路島の農家では菜種を作るようになる。そして油を諸国にくらるために兵庫や西宮あたりの海運業が栄えたため、その人口増加に対応すべく淡路島では(質が悪かったようだが)瓦が多く焼かれていた。
 隣の集落同士に対抗意識あり、嘉兵衛が実家のある本村の若衆宿に入ったことで、和田屋のある新在家の若衆連中の嫌がらせの対象となる。そして、それは新在家の網元という、その集落の名士の美人那娘さんが彼のことを気になっていることが明らかになってから、そうした嫌がらせがエスカレート。
 当初は根も葉もない噂で、よそ者(つっても隣の集落で毎日行き来できる距離だが)が気にかけてもらっていることに対する嫉妬だったが、あまりにひどい嫌がらせ加えられて、それでも超然と対応していたが、それなら実際のものにしてしまおうと彼女に告白すると、了承された。それから逢瀬を繰り返すも会いも変わらず嫌がらせあり、色々もめているため、とうとう国抜けをする。
 1巻では、こうした土俗的な田舎のしきたりの息苦しさをさんざん書いているため、まだ面白いところまでぜんぜんたどり着いていないという感じ。まあ、それでも読みやすいしストレスなく読めるというのはさすがの筆力だが。
 そうして国抜けした嘉兵衛は、大坂に行き、和田屋の弟がしている鳥取藩直属の小さな廻船問屋である堺屋を尋ねて、そこで雇ってもらう。
 そして彼と契った網元の娘おふさは、しばらく後に彼女も国抜けして彼の元にやってくる。しかしまだ嘉兵衛に一つの家をもてるほどの経済力がないため、彼は勤め先の堺屋で住まい、彼女もあちこちで台所をしながら船で堺に来たとき知り合って、嘉兵衛とも知り合いだった船大工の老人宅の物置部屋で寝起きしていた。
 嘉兵衛には生来の権力への反骨心があり、格別武士・大名に迫害されたという経験があるわけでもないが強い反感ある。その根っこは自由に対する欲求が強くあり、田舎を出奔することになったのにも同じ理由があるだろう。
 嘉兵衛は実質堺屋のものだが、鳥取藩に臣従している身であるため独自に商売できないため和泉屋に預けるという形をとっている樽廻船宝喜丸に名代として船に乗ることになって、それでそれを終えたことで小さいながらも家を持つことができ、妊娠しているおふさの出産前にそうした家を持つことができて一安心といったところで終わる。
 以下、本筋とは関係ないところだが、作者お決まりの歴史や習俗などについての語りで気になったのをいくつか。
 『この時代の村医というのはほぼ奉仕のようなもので、たいていは副業をもっていた。』(P15)というのは、ちょっと驚き。それなのに良くなり手がいたねえ。
 『武家も庶民も、童形である時期は、下にはなにもつけない。元服または褌祝という成人の儀式のときにはじめて下帯(褌)を締めるのである。』(P27)それはちょっと本当に、と疑ってしまう意外感がある。しかし「へこ」って何か見かけることはあって、たぶん何度もそういうルビがふられて知っているはずなんだけど、「へこ」は褌(ふんどし)だということが語感の違いもあって、いまいち頭の中で両方の言葉が一致しなくて覚えられないな。
 当時は奉行所代官所でも、軽罪に対しては畏れ入れといってそれで、ははーとして終わりという判決があるというのはちょっと面白い。
 『樽は、中国にも朝鮮にもない。日本でも、古い時代にはなかった。』(P314)ごく一般的なものなだけに意外。
 『この時代、声援という慣習は、いくつかの例はべつとして、普通、なかった。』(P375)