ダントン派の処刑 小説フランス革命17

内容(「BOOK」データベースより)

ジャコバン派の独裁を完成させるべく、エベール派を処刑したロベスピエールは、革命当初からの盟友・デムーランやダントンらをも断頭台へ送ろうとする。デムーランの妻リュシルは、逮捕された夫を救おうとロベスピエールに哀訴するが、彼の口から思いもかけない激しい言葉が吐き出され―。共に理想を追い闘ってきた男たちの道は、どこで分かたれてしまったのか。非情なる別れ、慟哭の第17巻。第68回毎日出版文化賞特別賞受賞。

 この本を読み終えたことで、「小説フランス革命」シリーズも残るはあと1冊。
 前巻で、エベール派の消滅でロベスピエール派(山岳派)が強くなり、左のエベール派を壊滅させられたことで、右のダントン派(寛大派)が倒されることも時間の問題という状況になっていた。
 そのためダントンのもとには、親ダントン派からはクー・デタをするなら力になるという宣言や逃亡の誘い、ロベスピエールを告発し対決せよなどとの助言が多く舞い込んでくる。しかしダントンは半ば感傷的にロベスピエールへの信頼で動かず、寛大派としても動きようがなく、どうなるのか結果をじりじりと待つ日が続くも、結局ダントン派の主要メンバーは、公安委員会・保安委員会(山岳派によって)逮捕される。しかし逮捕されてダントンのマクシム(ロベスピエール)と戦うのではなく「マクシムを救うための戦い」との発言は、寛大派の面目躍如というべきか、あるいは思想に殉じたというべきか。
 議会では議会での告発を経ずにしたダントンらの逮捕に、ダントン派だけでなく平原派も抗議の声をあげる。恐怖で思うが侭に「革命」を進行・発展させようとしていた山岳派ではあるが、あまりに自分たちを磐石と考えすぎていたのか、それとも(正義とはまた別の今までのルールや流れから来る)道理の力・影響力をあなどっていたのか、予想外の議会の糾弾の雰囲気にひるむもロベスピエールが演説をし、その演説で議場の空気は一変する。やはり「高潔の士」である彼が、理想の提言者としてあってきた彼が、悲しみながらも大義のために旧友を切り捨てる、その姿を見るとやはり糾弾の矛先鈍るのも当然か。結論に納得しづらかったとしとも、彼が沿う演説すれば対極的に見れば正しいのかもという疑念が各々がたの胸中にわいても不思議でない。
 エベール派の裁判から10日と経ずに、ダントンらの裁判が行われる仕儀となった。
 デムーランの妻リュシルが裁判所に人を動員したということもあって、ダントンらは革命裁判所で大いに熱弁をふるい人々も裁判官・陪審員に圧をかけて、裁判所はかつてのマラの裁判時のような劇場となる。理屈はダントンたちにあるということもあって、そうして傍聴者たちの圧もあって、裁判は荒れ、山岳派サイドの裁判官・陪審員たちも弱気になる。
 そしてその裁判模様に危機感を募らせるサン・ジュスト。ダントンが喋る限り、未収は応じるが、裁判の形式上黙らせるわけにはいけないジレンマ。エベールが逮捕後に意気消沈して(また人気も下がっていて)そのまま一気に死刑に持ち込めたことで、ダントンらもとなったのだが、贅沢三昧が明らかにされ人気を落としたエベールとダントンでは民衆の反応も違い、そこらへんの見通しが甘かったか。
 サン・ジュストは荒業だがダントンを黙らせるために新たな法律を作る。そして、まことしやかな蜂起の陰謀について話し、「全ての共犯者を突き止めなければならない」と宣言することで、リュシルから金を受け取っていた傍聴席の人間の意気をくじく。それでも陪審員らは有罪は出せるが死刑は出せないという。その言葉に買収を疑ったサン・ジュストがそれを問うと、これは良心の問題ですという。
 そうした陪審員たちをサン・ジュストは、恥も外聞もなくロベスピエールとダントンは両雄並び立たずどちらかが死ぬ。ロベスピエールを殺すつもりかといったり、ダントンの内通の証拠として僅かな時間ででっち上げた偽手紙を書いて、無理に無理を重ねた無理押しをするが、それでも陪審員たちは中々死刑を出そうとしない。最後はロベスピエールが懇願の体で、ダントンたちの死刑を要求までしてようやく彼らの死刑判決を得る。
 デムーランは死刑を間近に控えて、ルイ16世の死刑前の真意(家族を守るため全てを被る)を知る。そしていまさらながら王が守ろうとした家族である、王妃マリー・アントワネットを死刑にしたことを悔やむ。デムーランはここにいたって自分と家族のことしか考えていなかったことに気づくか、そして王の願いを踏みにじり、他の派閥の破滅を仕方ないと考え、罪の一端を担いながら他人に責任転嫁していた醜さをいまさら感じる。デムーランは良くも悪くも現代的・中産階級的な感性の人間、俗物の下層エリートとして描かれた、無責任さがある人間だったからな。
 ダントンは処刑台のある革命広場に向かう場所の中で、自由も平等も中途半端だが誰でも食卓を囲めるくらいにはなれたことと、生き生きとした革命の日々に満足するとデムーランに語る。
 ロベスピエールが革命の理想を言い続け、都合のいいときだけ担いで利用していた。そうして理想の部分を一人でまかせきりにしたため怪物が生まれた。
 ダントンが視の間際にそのことを示唆したため、処刑後に落とされたばかりの首を掲げるが、他にそうしたことをされたのはルイ16世のみ。変に偶像視されないかとサン・ジュストは危ぶむ。そしてその数日後、リュシルも処刑される。
 しかしロベスピエールがデムーランの妻リュシルに懸想していたというこの小説の設定はどうなんだろう。果たして事実として強い根拠があるのだろうか。それがないならば、ロベスピエールを過度に矮小化するもので、人物像を意図的に悪いものにして、読者が彼を評価しないようにする作為があるのではないかと疑ってしまう。
 その後に行われた、最高存在の祭典が山岳派の絶頂となった。
 ダントン派の処刑後も革命犯罪人の処刑は陸続と行われる。
 サン・ジュストは再び戦場に出ているが、ダントン派処刑後2ヶ月でロベスピエールへの暗殺未遂が2件起こるなど国内では不穏な動きが目立ち、恐怖政治を推進するための急進的要求が反対にあうなど議会でも思うほどスムーズにはことは進まず、山岳派のビヨー・ヴァレンヌも(ブルジョワからの評判の悪い)風月法の施行をサボタージュするなど、内部にも軋みが出てきている。
 しかし絶頂期、ダントン派の排除後もロベスピエールの独裁と恐怖政治に反感を示していた議員たちが相当数いたというのはちょっと意外だったし、もっと彼らが独裁を敷いていた期間は長いものだと思っていたがそうでもないみたいだね。巻末の年表見たらダントン派の排除から僅か数ヶ月で山岳派の命脈は尽きる。
 ダントン派閥の排除後、しばらく(1、2ヶ月)は大人しかったが、その後独裁に反対の声が大きな勢力なく細分化しているがあちこちから出る。
 ロベスピエール、自分が敵の名前を出せば殺してしまうことがわかっているため糾弾の手が鈍る。
 不穏な鳴動を徹底的に潰そうとするサン・ジュストと、それを見逃そうとする(やりすぎの反省か、それとも侮りか)ロベスピエール。結局ロベスピエールの方針で行くが、どうもそれが命取りになる感じかな。
 サン・ジュストは北部戦線で勝利を得るも、パリの政局は(案の定)悪化しているため、すぐさまパリへの帰途へつく。
 今回ダントン派を処刑したことで民心も離れていき、旧友たちを殺したことでロベスピエールにも弱さが見え始め、確固として敵の党派・集団がいないにもかかわらず、山岳派に不穏な空気が見えはじめる。
 解説で、作者は最初に設計図を描いてから書き始めるのではなく、結果論を避けるため、各登場人物の言動を示す史料を出番がきてから読み込んだということを知る。それで時の経過・政局の変化による登場人物の揺れが見事に描かれているし、人物に陰影ができているから面白い。