ドン・キホーテ 後篇 二

ドン・キホーテ〈後篇2〉 (岩波文庫)

ドン・キホーテ〈後篇2〉 (岩波文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

鷹狩りの一団の中でひときわあでやかな貴婦人が、挨拶に向ったサンチョ・パンサに言う。「あなたの御主人というのは、いま出版されている物語の主人公で、ドゥルシネーア・デル・トポーソとかいう方を思い姫にしていらっしゃる騎士ではありませんこと」。


 後篇の1冊目では、前篇と同様に狂気をわずらっていることは変わりないけれども、それでも好奇心の強い、騙されやすい善い人的にもなっていて、はた迷惑度合いが下がっている気がしていたのだが、この巻ではドン・キホーテは人形劇を現実のものと勘違いして人形をずたずたに切り裂いたり、村同士の喧嘩に首を突っ込んで名誉を侮辱された側の村にここは耐えよと諌めようとするという大いに余計なお世話をした(さらにサンチョの彼らを馬鹿にしているとも聞こえかねない話もくっついた)結果、彼らに攻撃されるという事態になったり、川辺にある小船を魔法の乗り物に思ってそれを無断で使って、さらにそれで移動しているときに見かけた水車小屋を敵の砦に思って船で突撃して船を壊すという非常に迷惑な事態を巻き起こすなどの前篇と同様のはた迷惑度合いで本領発揮、面目躍如となる暴れ姿を見せてくれる。
 人形劇をやっていたペドロ親方がドン・キホーテのことを一目見てわかっていたのは何故かと思えば、前篇でドン・キホーテが無理やり解放させた囚人の一人だったか。そしてそのときは恩を仇で返されたが、今回はそのときの恩もあってか自身の身は明かさなくとも丁重に扱い、敬意を表していたが、劇中に大暴れして、悪役の人形をずたずたにして、ペドロ親方の命も危うくさせるなど、今度は逆にドン・キホーテが敬意を抱く彼の気持ちを(知らなかったけど)裏切るという結果になる。
 しかしドン・キホーテは前回の洞窟で体験した奇妙なことを占い猿に尋ねていることを見るに、本人自身が確実にどちらとは言いがたい感じなのかなあ。まあ、真実であると信じたがっていることは確かだろうけど。
 ペドロ親方の人形劇をぶち壊しにするまでは、本当に前篇よりも狂気マイルドになったと思っていたから、そのシーンになったら気のせいだったなと思わず笑い、いよいよ本領発揮してきたなと感じる。
 しかし宿屋の亭主にたっぷりと宿代を払うなど、そうしたところは以前に比べて成長というか、反省しているのか、以前よりも穏健になった感じかな。
 村同士の戦いを諌めようとして叶わず、一席ぶったサンチョが村を馬鹿にしていると思われて叩きのめされて、それを助けようとドン・キホーテが攻撃しようとするが無数の石つぶてを投げられ、石弓に狙われてサンチョを見捨てて逃げるというシーンは、前篇ならそれでも無理に突撃してぼこぼこになるのが一つのパターンだったがそうならない。
 後篇では、というと後篇1巻で狂気マイルドにといっていたのを今回の感想で違ったといったように、最終巻でまたそれを翻すことになりそうな気もするが、ドン・キホーテは狂気でトラブルは起こすことは起こすけど、この村同士の抗争のようにあっさりと逃げて(退却と逃げることは別と理屈を付けてはいるけれども)余計にこじらせなかったり、あるいは人形劇やこの後の水車小屋の話のように迷惑料・修理代をきっちりと(おおむね言い値で)支払って余計な恨みを買ったり、身体的に痛い目にあったりということはなくなっている感じだなあ。
 主人公である彼が痛い目を見なくなったのはいいことでもあるけど、同時に衝動的だが純粋な思いでイノシシのようにことにあたって、頓珍漢ではあるが正義のために戦い破れる、愚かではあるが自分の労苦や負傷を厭わない”愁い顔の騎士”とはちょっと趣が変わった気がしないでもない。不正に愚かな戦い方をして常に破れる悲しき騎士というようなものとは微妙に変わっているというか、戯画化が薄まっているような印象。
 サンチョは給金を得るために島の領主にすると約束してもらったが、未だなれていないその償いとして給金として上乗せしてくれといい、さらに島の領主を約束した年月を盛大に(数十倍)盛るのは、呆れる。注によれば、恐らくこの小説を構想し始めてからの年月のことをいっているのだそうだが、それでもドン・キホーテの狂気にかこつけて、彼から金をむしりとろうとする悪党に見えて、実際そういうことでもあるから、ムッとしてしまう。
 本物の公爵夫妻がドン・キホーテの本を読んでいて、城に招かれる。そのことにサンチョが度肝を抜かれたというのもうなづける。
 公爵夫妻はドン・キホーテを客として招いて、騎士物語のお決まりの礼式・作法をとって盛大に歓待することで、(参加型の劇のように自分や使用人たちもそう振舞うことで)彼のふるまいや言動を楽しもうとする。
 そうやって盛大に歓待をされたことで『彼はその日はじめて、自分が空想上の騎士ではなく、正真正銘の遍歴の騎士であることを認め、確信するにいたった』(P108)とあるが、ドン・キホーテ自身が果たしてどこまでその狂気を自覚的なのかいまひとつわからないなあ。これも狂人とまともな意識がしばしば切り替わっていてこのときは正気モードだったがそっちまで遍歴の騎士モード(狂気)に塗られたのか、それとも後篇になってからは半ば正気を取り戻しながらも狂気のように振舞っていることで遊んでいて正気というか、騎士道物語の夢からは解けたが、そう振舞うことは楽しくてまともだけど狂人を振舞っていると自分では思っている狂人(つまり騎士道物語的な幻覚ではなく、別のところが狂ってしまっている)であるかよくわからない。
 ドン・キホーテも従者であるサンチョの単純ではあるが、抜け目ないあくどさも持ち、しかし人のよい愚か者と思わせる間抜けさもあるという彼の性質をしっかり理解しているのね。
 サンチョはドン・キホーテの狂気のことを公爵夫人に話すが、それをわかってなおついていくのはドン・キホーテに輪をかけた常軌を逸した馬鹿ではないかと公爵夫人に指摘されているも、給金あるし主人を気に入っているという理由を述べる。
 公爵夫妻は、大芝居をうってドン・キホーテ主従の反応を見て楽しんでいる。笑いものにしているけど、歓待したり、上等の狩猟着を与えたり、あるいは猫を使って彼の反応を見ようとしたときにドン・キホーテは猫を悪魔と思って戦ったが、そのときドン・キホーテが怪我したことを悪ふざけが度を過したと思って後悔しているようで、コケにするのではなく節度を持って彼の狂気に付き合い反応を見ているという感じなので、主人公の滑稽さを引き出そうとしていてかついでいて(ネタ晴らししないドッキリ的なことをしていて)もそこに不快さは感じない。
 公爵夫妻は大仕掛けな芝居もしているが、そうした芝居も自弁で色々準備しているわけで、公爵家の悪ふざけでドン・キホーテが冒険したりおちょくられているのを見る分には、この「後篇 二」の前半のように冒険して迷惑かけて金を多く出費して、それを相続する同じ家に暮らしている姪などに迷惑をかけずに済んでいるから変に心配にならずに済むし、誰にも迷惑かけずにすんでいるから、むしろドン・キホーテの狂気に付き合った彼らが悪ふざけしているのはいいことでもあるかなと思うわ。しかし、そう思わせるために直前ではた迷惑度の強い行動をドン・キホーテに前篇以来久々にとらせたのかなとちょっと思わなくもないけど(笑)。
 外国から助けを求めてきたという設定で、魔法の木馬で空を飛んでその国までいけるが、そのためには目隠しすることが必要といわれて、主従を目隠しして木馬に乗せて、ふいごで風を吹きかけたり、火の粉をあびせて反応を楽しむ。そうして楽しむのはいいが、その後のつじつまどう合わせるのかと思いきや、最後は木馬を爆竹で音を立たせた後い燃やし、自分たちは地に倒れふすことで、何らかの魔法の結果そうなったと思わせる。
 木馬に乗っている間は火の粉などにびびっていたが、木馬で空中を飛び魔法で帰ってきたから自分たちが何していたか公爵家の人々は知らないと思って(実際はその場から動かず主従の会話の一部始終を聞いていたわけだが)、この木馬に乗って月に行ったなどと体験をふかしてはなしているサンチョに笑う。そして公爵家の人々は実際のところを知っているが、笑いをこらえながら話を聞く。
 44章の初めのほうで、前篇では一つのテーマを書くのにわずかな語り手から話させることには苦労するため、物語の本筋から外れたいくつかの短編を挿入する工夫をしたが、読者はドン・キホーテやサンチョの行動が知りたいから短編の内容はざっと読み飛ばす下層でなくても注意を向けない。そのため後篇ではそうした本編から外れた小説やそこから遊離した話は挿入していない、そうしたものを書かずにいたことを賛辞を送ってもらいたいと原著者であるモーロ人の原著者の自賛という体で載せて、セルバンテスが自賛しているのは笑う。
 意識していなかったが、そういえば確かにそうした本筋から外れた話は後篇でないよね。そしてこのように書いているのだから後篇最終巻でもないのだろうということのはありがたいことだね。
 公爵夫妻、サンチョを島の領主にさせて、そこで色々と芝居してどんな反応するのかを楽しもうとする。そのためサンチョは「領主となった」島に行くために44章でドン・キホーテとサンチョの主従は別れる。そして45章以後は少なくともこの巻一杯までサンチョパートとドン・キホーテパートが交互に分かれて描かれる。
 しかしサンチョは、島の領主になる前にあれこれとドン・キホーテに心構えをとかれているときに、おいらが領主に向いていないのなら島の領主になるのを止めるからいってくれというなど、別段島の領主になるのを切願しているという感じはないね。まあ、それだからおふざけで島の領主にしそれを廃されるということは既にわかっていても悲壮感と言うか、あわれだという感じにならないからいいね。
 サンチョパートの島の領主篇で、あれこれとおふざけしているのは面白いね。特に食事シーンの身体に善くないといって、美味しそうな料理を一々彼の前まで持ってきては遠ざけているところとか。
 しかし領主が変わったら、まず裁判をするというのがならわしだといって最初にサンチョが裁判しているが、こうした事件も公爵家が演出している劇の一部なのか、それとも本当の訴えなのだろうか。恐らく前者で間違いないだろうとは思うが、ちょっと気になる。
 しかしサンチョメイン(領主サンチョ)のパートは新鮮で面白いな。