【絵解き】 雑兵足軽たちの戦い


〈歴史・時代小説ファン必携〉【絵解き】雑兵足軽たちの戦い (講談社文庫)

〈歴史・時代小説ファン必携〉【絵解き】雑兵足軽たちの戦い (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

戦国時代の合戦で活躍した雑兵足軽たち。勝敗を決する部隊の主役でありながら、武将の陰で注目されてこなかった彼らの戦いの実像を、正確な考証とリアルなイラストで再現。足軽のルーツ、合戦への動員のされ方、給料の額、集団戦法と武器の使用法など満載の、ビジュアル歴史読みもの第2弾。


 史料が少ないということもあるのだろうが、「絵解き 戦国武士の合戦心得」よりも戦場・戦闘での具体的な話がちょっと少なくなって、時代ごとの雑兵の変化などの歴史的な話にページを割いている印象。
 それはそれで面白いのだけど、もうちょっと具体的な、戦闘・戦場での細かなエピソード・豆知識的なものがほしかったかな。まあ、もしかしたら単純に個人的に前書よりも知っているような内容が増えたからそう感じているだけなのかもしれないけどさ。
 あと鎌倉時代元寇)で一騎打ち云々とあるのが、それって確か名乗りをあげている(味方に自身の存在をアピールしている)ところを誤読したかなにかで生まれた説だとかで、信憑性怪しいとは見たことあるので当然のようにそう書かれているのを見て、ちょっと他の部分もどうなのだろうという思いが頭をよぎって素直に読めなかったという面もあるかな。
 前半は雑兵の役割が時代によってどう変遷していったかみたいな歴史的な話が多め。
 日本の弓、木と竹の合成弓で『最大射程は、角度四十五度で四町(一町は六十間。四町で約四百三十六メートル。これ以上飛ばす場合は、矢に細工をして放つ)。通常は六十メートルほどの数矢(雑兵の集団使用)で相手を制圧する。』(P41)案外日本の弓矢も飛ぶのね。しかし『現代の弓道家で四町飛ばす者は、まず居ない。』(P78)ということだから、当時の人たちは、現代のものよりもずっと張りの強い弓(強弓)を使っていたようだ。
 『日本人の好む防具の第一は、鎧や兜ではない。実は手近な樹木を加工して作る大型の盾だった。』(P80-1)そうした盾はこの本でも言及されているが、楠木正成が用いた掛け金でつなげて並べて隙間ない壁にして矢を撃ったというエピソードの印象強くて個人の武具というよりも逆茂木とかそっち系だという印象を持っていたからちょっと意表をつかれた。
 しかし弓を使う人がそれを使っていたということだから戦闘中は前に置いて装備しているわけではないが(いや盾兵が装備して操作していたのかしら?)、まあ、持ち運びできた(後退時には盾兵が背負った)のだから防具の分類なのかな。
 武器の熊手、棒に曲げた指のような鉄の先が付いたもので、その先に鎖が付いて手元でそれを持つ。すると柄である棒が切られても熊手は外れないようになっているというのはなかなか面白いな。騎馬武者を引き落とすイラストとともに90ページにそのような説明があるけど、対騎馬武者用が主なのかね。
 鉾と鑓の最大の区別は使用法にある。鉾の場合は、両手or片手を突き出して、引くという動作をする。鑓の場合は、左手を前にして、右手で後方の柄を握って目標物に向かって右手を押し出しても、左手は動かさない、左手は動かさず右手で押し引きする「繰り出す」動作をする。そのことですばやく穂先を前後させることができ、相手に穂先を握られることを防げる。
 片籠手、今までそうした漫画的、ゲーム的なイラストを見たときは単に格好いいからデザインとしてそうしているのかと思うばかりで機能的なものを考えてみたことがなかったが、今回イラスト(P120)で見ると、それは左側(相手から見たら右で、つまり右利きが攻撃しやすい方面)を防御するためにあるのねと、ようやく勘付いた。
 具足『まず刀を具足下着の帯に差し、その後に具足の胴を着け、草摺の揺ぎ糸の間から刀の柄を出す。そうすると揺ぎ糸が切れることはなく、胴をはずしても刀は差したままで行動できる。』(P143)というように具足つける前に刀を差すというのはちょっと意外。
 足軽、戦場では一人平均五合五勺から六合(一合0.18リットルとして0.99リットルから約1.08リットル)の米が支給された。
 戦場には飢えがつきものであるため、兵士は自前で保存食を備えていた。その『代表的なものとして前に述べた干飯・焼飯の他に、干し味噌、梅干、焼き塩、干した芋の茎などがある。』(P162)。
 そのうち焼き塩は、粉末の塩は湿気を含みやすく野外では扱いにくいため用意されたもので、『気の利いた家中では、塩釜で一度に三升ほどの塩を焼いて型に入れ、足軽に支給した。一個で一日が五十日間使用できた。』(P164)
 また、葱や牛蒡、大根の葉やぜんまいなどを味噌干しにしたものを持ち歩き、それをお湯で戻して食べていた。
 戦場での博打、武具などまでとられて不恰好な装備をして戦場に出てくる者もいるが、そうしたものほど取られた分を敵から取り返そうと思う気持ちが強いから働きもよかったというのは面白い。そうしたこともあるし、禁ずると士気が低下するため武将にとって頭の痛い問題だった。
 旗差は最も目立つ存在でよく狙われるため、『家人のうちでも一番の勇者が選ばれる』(P213)というのは、旗を捨てて主の恥となるようなことをさせないためにそうした人でなければならないのはわかるし、そうして目立たないと(存在のアピールをしないと)恩賞ももらえないからそうした人が必要なのもわかるけど、でもなんか戦闘で使えばいいのにもったいないとちょっと思ってしまう(笑)。
 江戸時代の御徒歩とか与力・同心は、元は足軽