アメリカン・スナイパー

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

アメリカ海軍特殊部隊SEAL所属の狙撃手クリス・カイル。彼はイラク戦争に四度にわたり従軍して、160人の敵を仕留めた。これは米軍史上、狙撃成功の最高記録である。守られた味方からは「伝説」と尊敬され、敵軍からは「悪魔」と恐れられたカイルは、はたして英雄なのか?殺人者なのか?本書は、そのカイルが、みずからの歩みと戦争や家族に対する想いを綴る真実の記録である。クリント・イーストウッド監督映画原作。


 著者はイラクで戦った海軍特殊部隊SEALという精鋭部隊のメンバーであり、そこで米軍史上最多の射殺数(160名)を記録したスナイパー。彼はイラク戦争に従軍して、その後も何度かイラクに渡って反政府組織と幾度となく戦闘を繰り返した。そして著者は軍を退役した後は民間軍事訓練会社を経営しながら、心身に障害を負った元兵士の支援をしていたが、本書発売の1年後(2013年)にその支援をしていたうちの一人であるPTSDを患うとされる元海兵隊員に射殺された。
 戦場での体験や、SEALについてのあれこれ、そして戦場へ立ち続けることで発生する家庭内での不和(妻が当時考えていたことなども、妻自身の文章が適宜挿入される)などが書かれている。
 愛国心を持つ純粋な戦士。プロフェッショナルなどというよりも、戦士であるというほうが正しい把握だろう。シンプルに敵を侮蔑し、味方を愛し、大義を疑いを持たずに信じ、仕事をこなし、戦場を愛する。
 そうした敵への嫌悪が極めて強くあからさまに表現され、相手の事情を全く持って勘案する気もないその姿勢に、局外者の立場としては少し眉をひそめてしまう。しかし国家や軍にとっては、それがアメリカでなくても、どの国でもこうした兵士は、稀有であり理想的な兵士であろうということはわかる。
 敵を憎み撃ち倒すことで、味方を一人でも助ける、そして『たったひとりのアメリカ人の命でも失うには多すぎる』(P25)というのはある意味当然のことで、模範的かもしれないけど、現代の戦場での話で、ここまで敵は野蛮で卑劣であると思っていることをあけすけに記されると、それが戦場のリアルであるのだろうが、少なからず衝撃を受ける。
 テキサスの小さな町の生まれで強い郷土愛を持っている。そして高校・大学とロデオ競技をしていた。そのロデオの最中に怪我をした後、牧場でのバイトをはじめた。そこで口汚くののしられること(SEALになるために必要とされたこと)に一定の耐性をつけた。
 SEALになるためのBUD/Sという訓練。実際にそれをする前に、インドックというBUD/Sに実際に挑戦している候補生の扱いを目の当たりにしながら、本格的な訓練が始まる前に安全策を習得することが目的の一ヶ月の教化訓練が行われる。そして『BUD/Sでの候補生の扱われ方も目の当たりにして、”くそ、もっと真面目に鍛えておかなきゃ”とも思った』(P57)ようだけど、インドックが終わって実際にBUD/Sをはじめてみると、
 骨折してBUD/Sを脱落したら、SEALに入るためにはBUD/Sをやり直さなくてはいけないため骨折していることを隠して訓練を続けたというエピソードによって、骨折の痛みに耐えるよりも骨折を直してから初めからやるほうがいいと思うほどの厳しいものとわかりその訓練のすさまじさを改めて感じて驚く。
 ヘル・ウィークという訓練をすることは(インドック中かBUD/Sの途中かに見たか脅されたかしてだと思うが)知っていたが、経験したら想像を絶する厳しさ。あまりの激しさに骨折の痛みを感じていられないほどのものだったようだ。
 減る・ウィーク後の潜水訓練で鼓膜に穴が開き、水面に戻ると血が出ていたためごまかせずロール・バックされたが、ヘル・ウィークはクリアしていたため再びやらずに済んだ。
 BUD/S、著者がいた期で卒業できた(SEALになれる)のは訓練開始時の一割未満。
 SEALは海軍の部隊ではあり、感染の拿捕などの活動もしているが、著者がSEALには居るために訓練をしていたころから陸上戦がこれまで以上に重視されるようになる。そのため本書でかかれる活動の中で、海に関することは少なく、主に陸上でのイラクの反政府組織との戦争が書かれている。
 SEALの離婚率は極めて高く、一説には95パーセントに達するという話もある。
 SEALはバーなどで喧嘩などをして悶着を起こすことでも有名。著者はSEALは自分たちから喧嘩を始めることは少なく(もしかしたら騒いでいるかもしれないが)、つっかかってくる愚か者の相手をしているだけだといっているが、どうにも喧嘩売られると喧嘩だ喧嘩とそれを嬉々として買っているようにしかみえんよ(笑)。
 SEAL内での新入りへのいじめ、相当なものがあるようなのはちょっとついていけないし、眉をひそめてしまう。まあ、戦場で味方にストレスを感じても(戦場でのストレスを耐えられなくて戦地で変な行動・言動を取った味方などに)耐えられる耐性をつけるためとか、あるいはSEALのほかのメンバーの狂気あるいは暴力性の発散のためとか理由はどうとでもつけられるけど、著者が受けた結婚式前日に無理に多量のアルコールを飲まされ失神して、そこにスプレー塗料でプレイボーイのバニーマークを書いたなどのものを見ると不快さしか感じない。
 まあ、戦場において最良の兵士の性質というのは、日常生活では不適切な荒くれ者的な性質でもあるということかもしれないな。また、バーでの馬鹿騒ぎや仲間内でのぶっ飛んだ悪ふざけといった習慣もいざ戦場で出たときには、内にストレスを溜め込んで能力を十分に発揮できないなんて事態を防ぐために必要な習慣ではあるのだろうから、習慣づけに有用と理由が付かないこともなさそうだし。
 『私は戦いたかった。訓練してきたことを実戦で試したかった。私をSEALの隊員に鍛えあげるために、アメリカ市民の納めた多額の税金が投資されていた。祖国を守りたかった。自分の義務を果たし、自分の仕事にしたかった。/ そしてなんといっても、戦闘のスリルを味わいたかった。』(P113)戦場でのスリル、戦場の空気に生きがいを感じる。そして何度も戦地に戻りたくなる変わった、しかし一定数いるであろう人種。そうした危険への挑戦で何度もチャレンジする姿を見ると戦士も、ある意味登山家とかと同じだと感じるな。
 戦争での高揚感を包み隠さず記しているなど、現代だとそうしたものを隠されているから、そうした率直さはいいね。敵への無理解な態度もそうした率直さの一つだし、精鋭部隊SEALのメンバーは中々前線に加われないことにむしゃくしゃしていて、実際戦場に行くことになったときの沸き立つような感覚、あるいはメディアの報道への不満など、そうしたものも等身大の感覚、一兵士である著者の体験、そして戦場のリアルの一面が書かれる。
 戦地の習慣から、夜に起きてベッドに戻るときに眠っている著者を起こさないと反射でパンチされたりなどの行動をされたという著者の妻タヤの話や、様々な日常の場面で戦場での感覚残っていて違和感があったという話を聞くと戦地と日常の切り替えがそう容易にはできないことがわかる。
 戦地から1日ほどで母国アメリカに戻るというのでは用意に切り替えできないのはわかるが「戦場における人殺しの心理学」でもそうしたものが問題点として書かれてあったし、その本教科書的かなにかになっていたとその本の解説で見たように思うが、まだ徹底してそこらへんの措置をとっていないのかしら。
 イラクでのアメリカ軍、公式には飲酒が禁止されていたが実際は他の多国籍軍の仲間に買ってきてもらって飲んでいた。
 市街地での狙撃は180〜360メートルほどの距離からの狙撃となるのが普通で、郊外での狙撃の場合はそれが730〜1100メートルほどになる。
 しかし前線からはずされることを嫌って足を怪我したのに医者に行かず、後に手術することになったって本当に戦場好きなのだなあと、真似できないことへの感心と呆れが混じった思いを抱く。
 SEALの仲間たちに自分たちがフィリピンで訓練をつける任務で『フィリピン人と友好の握手を交わし、とくに何をするでもなく時を過ごし、人生に嫌気がさしていた頃、私は愉しみを独り占めしていた』(P245)ことで妬まれた。そして膝の痛みがあっても『私は仕事が気に入っていた。戦争はれっきとした愉しみではないかもしれないが、私はたしかに楽しんでいた。戦争は自分に向いていた。』(P257)と率直に語っているが、「愉しみ」と表現するほど戦場が好きで待ち望んでいるという感覚や意識を、実際にそう感じた本人の言葉として聞く(それも遠くない過去の出来事をそのように語っている)ことには驚きがある。それも4度目の実戦配備のときに『つくづく思った、私はやはり戦争が大好きなのだと。』(P429)と述懐していることからもわかるように強がりや未経験だから思えたものでなく、本当の思いだ。
 スナイパーとして格段の成果をあげたことで、仲間から<ザ・レジェンド>というあだ名をつけられ、そしてイラク武装勢力に首に懸賞金をかけられた。
 上からの要請でイラク政府軍に箔をつけるために、著者たちが作戦を実行している後ろについてこさせて手柄を彼らにやるという作戦をすることもあった(そしてそれは珍しくなかったようだ)。アメリカが鍛えた彼らはもう十分な錬度を持っていて、イラク人が自力で治安維持できるというアピールか。
 仲のよくなった大尉が戦車で主砲を撃ってみたい(成果を挙げたい)からチャンスがあるときは知らせてくれといって、そのときがきたら実際に彼の部隊を実際に呼んだというエピソードは(当たり前のことだが)アメリカ軍と反政府軍とでいかに力が隔絶していて、そうしたリクエストを通せる状況であったということがわかる。
 著者の妻タヤは家族よりも「国」、戦場を優先している夫(著者)に強い不満を持つ。
 ラマディでの米軍が射殺した数が増えたときから、自分が行った射撃及び記録した射殺に関する報告書が求められるようになった。そのため細かな部分まで記す必要があるため、激しい銃撃戦のさなかでも打った敵の人数を走り書きしなければならなかった。それに対して上が自分の責任逃れをするために現場の負担を増やし、現場で戦っている人間の危険を増させていると怒る。