失脚/巫女の死

失脚/巫女の死 デュレンマット傑作選 (光文社古典新訳文庫)

失脚/巫女の死 デュレンマット傑作選 (光文社古典新訳文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

いつもの列車は知らぬ間にスピードを上げ…日常が突如変貌する「トンネル」、自動車のエンストのため鄙びた宿に泊まった男の意外な運命を描く「故障」、粛清の恐怖が支配する会議で閣僚たちが決死の心理戦を繰り広げる「失脚」など、本邦初訳を含む4編を収録。

 短編集。「トンネル」、「失脚」、「故障――まだ可能な物語」、「巫女の死」の4作収録。2013年の「このミステリーがすごい!」海外編5位ということで、このレーベルからミステリーのランキングに入るのは珍しいと思って興味を持って購入したのだが、だいぶ積んでしまっていたがようやく読了。本当のことを言うと、作者のデュレンマットは劇作家として活躍した人のようだが、そうしたのをどこかで斜め読みしてか戯曲でこのミスに入ったのかと勘違いしていたわ(苦笑)。
 長さ的には違うのだが、キャラクターの掘り下げなどではなく、シュールさのある変わった結末を迎える物語で魅せる小説であり、ブラックユーモアを含んでいるため、なんというかショートショート的な小説だと思った。それは訳者解説に作者のデュレンマットはスイスのドイツ語作家だが、出身地のベルン方言が標準ドイツ語と大きく違うため、標準ドイツ語をほとんど外国語として学んだということもあるのかもしれない。例えば、彼が21歳、『一九四二年に書かれたデュレンマットの処女作は『クリスマス』というタイトルで、わずか十四行から成る短編である。標準ドイツ語では長い文章がかけなかったから、とデュレンマットが自嘲気味に回想するほど短く、寸断された文の連なりは、無機的な印象を与える効果を上げている。』(P281)
 そうしたショートショート的という印象が強くて、事前情報を知っていたから「故障」や「巫女の死」が評価されているのだなと思った。しかし、ちゃんとしたミステリーという感じでもないので、なんで5位と疑問に思ってつらつらと調べてみると、どうもこれらは「奇妙な味」というミステリーの分類に当たる作品であるようだな。
 「トンネル」毎日のように利用していた列車での移動中、今までに無かった長いトンネルに列車が入っていることに気づくが、列車は止めることができない。そうした列車の中の人々を書く。
 当時の状況をトンネル(闇)の中を加速しながら走っていく列車と重ね合わせている。
 解説読む前から、この短編が第二次大戦のことをあらわしているのは非常にわかりやすく暗示しているからわかったが、著者の出身国で中立国であったスイスの先行きが見通せない感じを書いていたのね。しかし、この寓話的短編がいつ書かれたのだと(大戦中か後か、どっちだろうと)思ったら、1952年と大戦後なのね。まあ、初出から後に改稿もされたようだけど。
 「失脚」ソ連的な国を舞台として、失脚=粛清の恐怖から逃れるために細心の注意を払う高位高官の面々。そうした高官たちが集まる会議に一人集まらない人が居て、不安になる面々。その異常事態に猜疑心が募っていき、間近に迫った危機を感じる。そんな中で恐慌をきたして失言して、粛清の恐怖が現実の間近に迫った避けられない危機になるものがでてきて、そこからこの会議室の場は荒れていき……。
 ソ連を皮肉る風刺的短編。
 登場人物はアルファベット順にA、B、C、……という名前で出てくる、たぶんそれにも意味があるのだろうがわからない。そうしたミスを赦されないシステム的に無個性にならざるを得ないというようなことだろうか? まあ、そうしたアルファベットだけなので誰が誰だったのか覚えるのが難しく、挟み込まれていたしおりに、各人がどういう人物でどういうポストについているかが書かれた「失脚」の登場人物一覧がなければ読むのがよりしんどかっただろうと容易に想像できる。
 「故障――まだ可能な物語」自動車の故障で道中の村に一泊しなければならなくなった上人の男トラープスは、裁判ゲームという変わった遊びが好きな老人の家に一晩泊めてもらうことになる。その裁判ゲームとは、泊めた旅人を被告役にして、彼の罪だと思っている話を聞いて、それについて弁護したり、あるいはその行為はどういう意図があってのことだと実際老人連が裁判しながらその判決を決めるという遊び。
 トラープスは最初そうした話は無く無実だといった。しかし裁判官役の老人からのいろいろと話しを訪ねられる中で、商売で成功した理由を話す。そうすると裁判官はその物語の中から、犯罪を見出して理由含めて、説明をつけた。説明された犯罪の策略の見事さに、被告人すら魅入られる。
 偶然だったものが、大きく見事な企みに変身させた裁判官の老人。トラープスは、それを実際行った、そうした緻密に計算した大胆不敵な行いを冷静にできる男であるという考え、その大胆で見事な犯罪をなせる男だという夢想からさめないうちに、それが嘘に変わらないうちに物語を終わらせる。
 「巫女の死」ギリシア神話オイディプスの物語が舞台ということで、この短編を読む前にwikiの「オイディプース」の項を見て本来の筋を予習した。
 ギリシア神話を舞台として、オイディプスの父親殺しと母親への姦通という神託を告げた巫女が、悪ふざけでとっぴな予言(オイディプスにしたようなもの)を出し、あるいはこういう神託を告げてと依頼されて受けるような、不信心な冷笑家という設定にする。
 彼女はオイディプスにした予言が当たったことで驚く。老いた彼女は死ぬ間際において、眼前にオイディプスに関係した人物の影たちがあらわれ、その巫女に向かって各人から見た真相を語る。
 そしてオイディプスの行為は同じなのだが、人によって彼の出生について異なる見解を説明する。そして、そのため影たちに話を聞くごとに真相が変わっていく。しかし父を殺し、母と姦通することになるという予言の、父母が誰かすらも違う真相も見せてくるというのは意外性があって面白い。
 そのため彼女は、さらに話を聞くごとに結論、真相と思われることも変わっていくだろうとして、いくつかの可能性をあげて、それ以上真相を知ろうとはせず、一つの解決に落ち着けずに話を締めくくられる。
 「故障」と「巫女の死」の2つに共通していえるのは、筋の通ったいくつもの真相をつくりだせ、そのため本当の真相を知ろうと思ってもそれを知るのは非常に困難であることを表現した話だということかな。
 訳者あとがき、ドイツ語能力には自信があった訳者とその夫(ロシア人)は、スイス留学中、デュレンマットの話したのと同じベルン方言を話す人を、(二人がわかりそうでわからない言葉がそれらだということで)訳者はオランダ語、夫はポーランド語を話す人だと数週間勘違いしていたということからもその二つの言葉がいかに隔たっているのかがわかるだろう。