ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年

内容(「BOOK」データベースより)

小学校にあがる血液型検査で、出生時の取り違えがわかった二人の少女。他人としか思えない実の親との対面、そして交換。「お家に帰りたいよう。」子供たちの悲痛な叫び―。沖縄で実際に起こった赤ちゃんの取り違え事件。発覚時から、二人の少女が成人するまで、密着した著者が描く、家族の絆、感動の物語。


 実際に沖縄で起こった赤ちゃん取り違え事件(昭和46年に起こり、昭和52年子供が6歳になったときに赤ちゃん取り違えの事実が判明した)、それについて事件判明の1ヵ月半後より取材を開始して、長年(副題通り17年、文庫新章を含めると25年)その事件によって運命を惑わされた双方の家族を追ってきた著者が書いたノンフィクション。
 病院の赤ちゃん取り違えという過ちをその後ずっと背負うことになった二組の親子の物語。その取り違え事件の当事者となった双方の家庭の子供への愛情(実子への愛、6歳まで育てた子供への愛)、そして「血」と「情」をいやおうなく天秤にかけなければならない定めとなったことへの苦痛、交換後も交流が続いたことによる親子関係のこじれ、家庭内の問題などを書くことで、家族や本人が味わった長年のさまざまな感情を活写したノンフィクション。
 本書中に出てくる名前は仮名ということもあって、以下敬称略で感想を書かせていただきます。
 幼稚園の血液検査で血液型が、両親の血液型からは出ない血液型だったことから取り違えられていたことに気づく。伊佐家が先に気づき、そのことで狼狽。初めは夫の重夫は浮気をちらと疑ったようだ(実際そのほうが統計的な可能性は大きい)。しかし、そうではなく病院の取り違えによるものだということが、6年間育ててきた子供が我が子でなかったことを知る。そのことで味わう双方の両親の受けた衝撃、そして赤裸々な気持ち、痛切な思いが書かれる。
 伊佐智子が事件発覚から裁判終結までを記した日記、あるいは城間照光の手記などが適宜引用され、それが当時の哀しさを基調とした複雑で激しい心情や心の揺れを知るよすがとなり、それを読み、親たちの子供に持つ深い愛情と事実を知ったことで身を切るような思いが生じていたことを見ると、より一層この事態の悲しさ辛さに心を動かされる。
 6年間愛情を持って育てた子供を実際は違うといわれても、手放す気にはなれない。智子、それがわかった日には泣き明かし、その後も泣き、悲しみ、肉体的な変調をきたす。
 最初わかったとき、当然そんなことあるものかと否定する気持ちがいの一番に出てくる、しかし実子が他にいるということで、それを知ると実子にも会いたくなるのが人情というもの。
 病院が取り違えられた相手方(城間家)を見つけて、互いの家族、二人の取り違えられた子供とその実の親を合わせるセッティングをする。そして実子を見て、その本当の親父に似ていることに改めて驚く。それを見たことで、当初は育ての子のほうが可愛いし、公刊したくないと思い、それは揺らがないと思っていた気持ちも揺さぶられる。血と情の間で思いは引き裂かれる、いっそ二人とも引き取りたいという気持ちは当然のようにあるが、それは双方にあるためそんな選択はできない。
 病院側、早く交換した方が新しい環境になれやすいと説明して、早く交換するように促す。交換早いほうがいいというのは確かなことだが、彼らのミスでそうなったにもかかわらず第三者的な発言を実子に対面して動揺しているなかにする。そんな発言には、病院側の早いところこの件を終わらせて評判に傷をつけたくないという思いが見え透いているため、両家族に病院側への不信感と反感が募る。
 とりあえず交換について棚上げして双方の家族は交流を図る。智子、交換するべきだと決心したと日記に記した数日後には、やはり絶対に美津子(育てた子供)を手放したくないという思いに変わったり、その思いは強く揺れ動く。
 6年間の情愛と、血のつながりとの究極の二者択一の選択を迫られる両家族。城間家、迷いもあったが、親族関係濃密な半ば村である場所で暮らしていることから、親族の意向もあって実子をという選択に押し流される。
 著者、事件が『琉球新報』に載った一月半後から取材を始める。はじめは城間家に事実を否定されていたが、他の取り違えがあった夫婦から話を聞く機会を設けることを条件に相手方の家(伊佐家)を教えてくれ、双方の家族がその夫婦から話を聞くことになる。そしてそこから著者の両夫妻に対する取材が始まる。
 そこで短期間で子供は慣れたとの話を聞き、双方交換する決心ができた。しかしそのケースは互いの家が遠く、環境も違かったということに注意を払わなかった。その結果、互いに家が子供でも意向と思えばいける距離にあることもあって、その後もずるずると交流を続けてしまった結果、子供がそれぞれの家庭に適応することが困難になる。
 交換するときまで相手の親になれさせる名目で家族同士でしばし交流を続ける。そのとき色々と遊びに行ったのだが、その本当の意味を知った現在の二人の記憶からはその楽しかったはずの日々の記憶は抜け落ちている。
 小学校入学直前に、二人を交換することと話し合いで決まる。互いの親が取り違えられた子供たちに遠慮がちになっていたことや、子供たちも事実を知って不安定な気持ちになっていたこともあり、かなりわがままを言ったり甘えたりする。子供たちは当然交換なんてされたくない気持ちが強い。
 交換前に週末だけ相手方、実の親の家に行かせることになっていた(結局その後もずるずるとその習慣を続けて、互いに実の親の家に馴染まない結果を生む)が、そうするときに明日いくのよと言うと育てた娘が泣きだしそうな顔になるのをみて、交換しないままでいいんじゃないかと言う気持ちがわいたという引用された智子の日記を読むだけでも、胸が締め付けられるような思いだ。そして、そうした日々がこの後もずっと続いたことを思えば、その子供たちへの愛情の深さと耐え抜いた苦しみに敬意を抱く。
 そんな子供たちの思いに少なからず動揺し、容れられないとわかっていても両方の子供を育てたいと、思わず相手方(城間家の夏子)にいってしまうほど、万が一億が一でも容れられる可能性があるのならばいわずにはいられないほど、の思いだった。
 交換前の夜に、智子は育ての子美津子と一緒の布団で寝たが、そのときその娘が『やっぱり、お母さんのところがいいなあ』(P116)と小さな声で言ったというのは泣ける。
 病院側の慇懃無礼な態度もあり、この事件は裁判にまで発展。病院方の弁護士が県内のビッグネームだったため、県内弁護士は及び腰。そのことを知った著者の友人の伝で、東京の加藤弁護士が両家族の弁護士となる。彼は、家族に交通費立て替える余裕なかったため手弁当で裁判終結まで十数度東京・沖縄を往復。それでも自分を頼ってくれたことで充実感あり、生きがいを感じていたようだ。
 取り違え事件、この当時自宅出産から病院出産が増えたが、病院側の増員の手が増えなかったことから、しばしばそうした取り違えが判明して問題となっていた。
 当初の病院側の提示よりも押し返した賠償額になって裁判は終わった。しかしそれが子供たちの6年の空白を鑑みて適正なものか誰にもわからない。
 ここまでで第4章、163ページまで。そしてその後2章を使って、双方の親の子供の頃の話から配偶者と出会い結婚してという、取り違えが判明するまでの家族の前史を書く。そうすることで単に「親」という概念ではなく、一人ひとりの人間としてキャラが立ちあがる。5章の伊佐家パートは、それまでがそちらを中心に話が進んでいたため子供が生まれる前で止まる。一方6章では城間家のちょっと荒れた家庭環境、妻である夏子が子供を放っておいて若者として自由に遊んでいて、あまり家庭を顧みなかったことがここではじめて明かされる。そうしたこともあって、夫の照光は離婚も考えたが、親戚に反対されて思いとどまる。
 伊佐家は実子の初子を引き取ったとき、名前を真知子と変える。そのことでそれまで彼女を育ててきて、愛情を持っていた城間照光は怒りを覚える。
 心を鬼にして分かれたこの未練を断ち切る荒治療を行うのが、取り違えた子供を本来の家庭になじませるための一般的な解決策だった。しかしこの2つの家族は、あまりにも距離が近いため、互いに育てた子に会うことを望み、また実子を喜ばせるために週末に互いの子を育った家庭に過ごさせることをその後も続けた。そうして絆を断てなかったことが、二つの家族の形を複雑なものとした。交流断つべきとわかっていても、普段の実子の暗い表情と週末の後の実子の明るさを見ると、そうした悲しい顔をしてほしくないというのもまた親の人情。
 子供が6歳という途中から新たな家族関係、親子関係を築き始める苦労。親子ともども触れ合い方や距離感がうまくつかめない。
 美津子、週末に伊佐家にくるとき、今までは何か買ってもありがとうといわなかったのに、今では必ずありがとうと言うようになったとか、今までよりもずっと甘えてくるという、いじらしい姿。そんな姿を見て、やはり二人とも育てたいという思いがわき出でて、つい再びそのことを申し出てしまう。相手の城間家の家庭環境の問題を薄々感づいていたようだから、よりそうしたことをいいたくなってしまうのだろう。
 交換から2年たって、真知子(初子)は伊佐家になじんできた。しかし美津子は、荒れた家庭の影響もあってまだまだなじまないことに、照光は焦燥感を覚える。温かい家庭を求めて元の家、智子のもとにしばしばバス代を貯金して帰る美津子。伊佐家もそれを諌めるべきだと思いつつ口にできない照光。そのような不均衡な状態、伊佐家のほうに二人とも寄る状態となってきたことで、少ししこりもでてくる。
 夏子が放蕩して男と遊んでいた間に、家族を見守っていた姉の敏子が照光がくっついて、さらに家庭環境が悪化する。そして夫婦関係、事実上破綻。しかしひとりで生活できない夏子はその後も、夫が姉とくっついて事実上の夫婦となっているのだが離婚しない。敏子が息子を産んだことで、照光の目が息子に注がれるようになり、美津子への関心が薄くなった。
 そうしたもつれる家庭内の愛憎劇、積み重なっていく家庭内の問題。そうしたものが美津子が城間家の家庭になじむことを阻害したこと、十分な愛情を注がれなかったこと、そして育ての母である智子の愛情が、美津子に城間家ではなく伊佐家をホームとする心を培わせる。
 そして真知子はもともと実の親の伊佐夫妻になじんできていたが、育ての父照光のそうした生活そして男を連れ込んだ夏子の姿を目にしたことで、実の親である伊佐家の家庭、ここが自分の生きていく場だと心に決めた。
 交換から6年目、二つの家族同じ敷地に住むことになる。そのことで美津子は伊佐家に入り浸る。真知子(初子)は、もはや育ての親の近くにいけることに喜ぶわけではなく、もう伊佐家が自分の家だと思っていたので、戸惑った。
 経済レベルはさほど変わらなかったが、しっかりした家庭で智子の深い愛情があった伊佐家と、教養なく場当たり的な教育方針で子供を翻弄し、複雑な家庭環境もあった城間家。二人の子供が伊佐家の温かくしっかりとした家庭の雰囲気に惹かれるのも、城間家にとっては憤懣やるかたないことかもしれないが当然のことだろう。それも同じ敷地にそうした対照的な二つの家庭とは残酷ともいえる光景を見せられたら。そして美津子が心のよりどころとする家は伊佐家であることは確固とした動きようのないものとなった。
 本書でも引用されている智子の日記を、美津子は中学生の時に読み、どれだけ自分を愛してくれていたのか、強い母の胸のうちをしり、「母」智子への愛情がより一層強くなる。
 取り違え発覚後16年目。二人の子供とも結果として伊佐家に愛着を持ち、夫妻の子供、家族となったということもあって、二人を面倒を見てあげなさいという神のいたずらだったのかもしれないと、智子は余裕の返答。そして一方の城間は交換しなければというくいが残る結果となった。
 しかし文庫版書下ろしの新章などを見てもわかるように、取り違えで翻弄された子供たちが幸せそうなのはほっとする。まあ、城間家の人々には悪いが子供たちが現在幸せならハッピーエンドな結末ということでないかな。
 長いスパンで夫妻の、そして子供たち、特に美津子の気持ちなどを細やかに書いていて、また解説にもあるように、そうであっても暴露的な趣はなく、興味本位のリポートにもなっていない。そうした臭みのない、生の家族ドラマを誠実に記録しているため非常に素晴らしいノンフィクションとなっている。