レナードの朝 新版

内容(「BOOK」データベースより)

20世紀初頭に大流行した脳炎の後遺症で、言葉や感情、体の自由が奪われてしまった患者が、奇跡の新薬L‐DOPAの投与によって目覚める。しかし体の機能回復に加え、人格まで変貌してしまうという怖い副作用が…。レナードら20人の症例とそれに誠実に向き合う脳神経科医サックス博士の葛藤を、人間味あふれる筆致で描く。1970年代の刊行以来、演劇や映画化でも世界を感動させた不朽の名作、文庫の新版。



 症例での患者たちの伝記形式の話は興味深くていいし、病気について深く突っ込んだ話は半ば観念的と言うか、人間の本質にまで突っ込んだものとなるからちょっと読みづらいし、頭の中を素通りしていっている感もあるけど、当たり前だと思っていた認識について考えさせられたり、「正常」な状態がいかに危ういバランスを守って保たれているのかだったり、人と人との交流の力は空疎な言葉ではなくて実際に効果があるということなどを(改めて)認識させられる。
 第一次大戦直後に大流行した嗜眠性脳炎の後遺症で、後にパーキンソン症候群パーキンソン病のような症状)をわずらって、身体がろくに動かせなくなったり、声もでなくなったりした患者たち。その流行の40年あまり後、1960年代後半にL-DOPAという薬がその症状に効果があることがわかる。その薬を投与されたことによって、「目覚め」て、それまで身体をごくわずかにしか動かせなかった人が普通に動かせるようになった人がでた。読む前まで全く意識不明の植物人間状態から意識を取り戻した的な話かと勘違いしていたけど、そうではないのね。
 普通長い間動かさなかったら、ちゃんと動かせるようになるまで時間がかかるものだが、これで「目覚め」た患者たちは、何年も体を動かせなかったのに目覚めたら直ぐに立ったり歩いたりすることができるなど、効くとすぐさま正常な運動能力を取り戻せたというような劇的さもあった。
 そうした動くことも話すことも困難な状態が何年も続いていた人が、自由なコミュニケーションができる、現実世界での活動が可能になったこともあって、登場当初L-DOPAは奇跡の薬、魔法の霊薬であるかのような扱いを受けた。たしかにそうした大きな効果を生む素晴らしい薬ではあるが、完全無欠の良薬というわけではなく。大きな効果と同時に、その薬には「望ましい効果」と不可分な「副作用」(その大小または代償は人にもよるし、またしばらく止めて再び投与したときに別な症状(代償)となることもある)もあった。なのでL-DOPAで状態が大きく改善した者も多くいるが、耐えられないほどのチックが過剰になるなどの症状の悪化だったり、幻覚だったり、発作の頻発などさまざまな弊害がでてかえって投薬前よりも状態が悪化する者もいる。
 また、最初は良い反応を得られていても、薬を服用し続けることで、薬の量の調整や休薬日を設けるのでは対処できなくなる、ほとんど安定状態を保てず過敏な症状が始終でてしまい投薬を止めなければならなくなるなど、投薬が続くことで正常に留まる時間が短くなってくることも多い。
 そして薬への反応には患者本人の人格(薬による自身の身体や精神状態が変化をきたしても、立ち向かい続けられるか)も影響するし、周囲の人との交流や協力といった環境も大いに影響する。
 当時は薬のネガティブな作用についてほとんど無視され、ポジティブな面のみ注目されていたようなので、そうしたこともあってか、なんでもかんでも与えればよくなるものではなく、副作用もその薬の効果の一部であるということを伝えるために、この本の中ではそうした話が何度もなされる。
 著者は当時そうした患者を多く収容する施設の医師であった。そこで多くの患者の「目覚め」に立会った。実際にL-DOPAを投与した後の患者たちの良いことも悪いことも含めた反応が物語的、伝記的な感じで書かれている。
 パーキンソン症候群の症状としては、動作が非常に鈍くなったり、動作をするのが難しくなったり、あるいは動作の途中で静止したりという症状の方が有名だが、それとは反対に歩行や手足の動作、あるいは思考の加速するという症状もある。
 脳炎後遺症のパーキンソン症状は、突発性のパーキンソン病(普通言われるパーキンソン病)に比べて、振戦や固縮の頻度は少ないが、カタレプシー(いつまでも無為に同じ姿勢を堅持する、体制だけでなく思考に於いても全く動かなくなることもある)に似た無動症状ははるかに深刻。脳炎後遺症でパーキンソン症状と同じくらいおきるのが、カタトニー(緊張病)。そしてカタトニーとは、カタレプシーや、外からの命令をそのまま受け入れる命令自動症、長時間同じ行動を持続する常同症などが組み合わさった状態のこと。
 『何時間、何日間、何週間、何年間にもわたって動くことなくじっとしている。』(P72)そんな脳炎後遺症としてのパーキンソン症状が進展した結果、生ける彫像のようになった患者は、ただ『運動機能に障害を来たすだけでなく知覚、思考、食欲、感性などの人間存在すべての側面が停止するに至るのである。』(P72)
 当時著者が勤めていたマウント・カーメル病院は80人の脳炎後遺症患者が入院する米国で最大の施設で、半分がそうした病的な「眠り」の中にいて、話すことや動くことをほとんどできず、完全介護を必要としていた状態だった。
 1967年の初めに多量のL-DOPAの経口投与で、パーキンソン症候群の治療に成功したことが報告した。そのニュースは瞬く間に神経学界に広まり、マウント・カーメル病院の患者たちも三月にはその薬のことを耳にしていたようだ。そして著者は1969年3月には、マウント・カーメル病院の患者にその薬の投与をすることを決める。
 「症例1 フランシス・D」体が動くようになったのはいいが、薬によって意志では制御できない衝動に「憑かれ」た行動をしばしばとったり、発作が起こる。しかしそうではあっても調子の良い日には久しぶりに普通の一日、郊外への遠足を楽しむ「完璧な一日」を過ごすこともあって、そうした一日を過ごせたことに感動している。
 それまで静止して固まってしまうような状態であっても、意志で制御できない行動・衝動に精神も肉体も引き回されることで、肉体的にも精神的にも負担がかかって、投薬でメリットよりもデメリットが強くなってしまったため投薬を中止した後は直ちに元の状態に戻るのではなく、症状が悪化。

 著者が担当した患者の中でL-DOPAで圧倒的に良好な反応を見せた2人は、軽症のパーキンソン病患者ではなく、最も重症の脳炎後遺症の患者。
 自由に動けるようになった患者は、現在が1969年であるということは知ってはいるけど、自身が普通に行動していた時代の方が現実味があるため、その時代(例えば1920年代とか)であるように感じる。
 何の苦もなく話せたり、動けるようになった患者の感動や、その患者が疎遠になっていた家族と交流を取り戻したことについて書かれているのはいい話で、読んでいてうれしくなってしまう。特に「症例5 へスター・Y」20年前に彼女が病気になって入院せねばならなくなったことで家庭が壊れてしまい、息子や娘は精神状態が不安定となったが、彼女がこの薬で話せるようになって娘や息子と交流を取り戻して子供たちまでも癒されていて、家族の絆が再生している様子なのは心が温まる。
 注での『スピッツがメキシコの孤児院の子供たちを対象に行った研究は忘れがたいものである。人間的なつながりの欠如がもたらす効果を調べるために、抜群に機械的で「衛生的」な環境で、人間的なまなざしやぬくもりを注ぐことなく子供たちを育てたのである。その結果、子供たちは全員、三歳になる前に死んでしまった。幼児や老人、重病人や精神的に引きこもった人を対象に行われた同じような研究からも、人間的なケアを受けられないことは文字通り致命的であり、それによって人は死んでしまう。それも弱い立場にいる人ほど早く死んでしまうことが明らかになった。』(P250-1)そういう話は知らなかったので、興味深い。
 「症例10 マイロン・V」もともとしていた、靴つくりの仕事を与えたことで症状は安定したといういい話だった。それなのにエピローグで施設の金銭的事情でそれが廃止されたことで状態が悪化したということが書かれているのは悲しいなあ。
 エピローグ。パーキンソン症候群、内なる基準の物差しや時計がすべて歪んでいる。サルヴァトール・ダリの有名な絵『いくつもの時計の進む速さがすべて異なり、それぞれが違う時を刻んでいるその絵は、パーキンソン症候群を象徴しているのかもしれない(ダリ自身、パーキンソン病の兆候を感じていた。)』(P484)。ある患者は一人では歩けないが、隣で人が歩けばそのリズムを見ることであるけるようになった。あるいは別の患者は音楽がある間は体の片側のチック、もう片側の無動症が和らぎ、音楽が止まると元の症状に戻る。著者の本ではしばしば語られることだが、音楽・リズムというのが人間にとって本質的な重要性を持つことについて記される。
 脳炎後遺症のパーキンソン症候群は、通常のパーキンソン病のように進行性ではないため、一度安定したらその状況が比較的長く続く。
 エピローグで「症例」で記した患者たちのその後が記されているのはありがたい。まあ、年齢的なものもあるのかもしれないが、それからあまり持たずに死亡している人が多いようなのは物悲しく感じるけれど。
 「付録7 『レナードの朝』の演劇と映画」この本を題材にした演劇・映画などについての著者の感嘆、そうした表現で真実を伝えていることの驚きが書かれる(中には……というものもあったようだが)。また、真実を表していることでそうしたことから本ではなく、そうしたメディアによって五階ない真実を知ってもらうことができることがわかったようだ。それから映画版についての話はロバート・デ・ニーロの役者としての凄みだったり、その映画の舞台裏が見られるのは、その映画見たことがないけどなんか面白いな。