ジヴェルニーの食卓

内容(「BOOK」データベースより)

ジヴェルニーに移り住み、青空の下で庭の風景を描き続けたクロード・モネ。その傍には義理の娘、ブランシュがいた。身を持ち崩したパトロン一家を引き取り、制作を続けた彼の目には何が映っていたのか。(「ジヴェルニーの食卓」)新しい美を求め、時代を切り拓いた芸術家の人生が色鮮やかに蘇る。マティスピカソドガセザンヌ印象派たちの、葛藤と作品への真摯な姿を描いた四つの物語。


 短編集。それぞれの短編ではある画家の傍にいた人物、そしてその画家の生み出す芸術に魅入られた人物から見たその芸術家の姿が描かれる。4つの短編集が収録されているこの短編集で中心的に扱われる画家たちは19世紀後半から20世紀のフランスの画家で、「うつくしい墓」ではマティスが、「エトワール」ではドガが、「タンギー爺さん」ではセザンヌが、「ジヴェルニーの食卓」ではモネがそれぞれ描かれている。
 どの短編も語り手がその画家を憧れ、仰ぎ見ているといった感じでその人のことを語っている。そうやって変に画家を俗っぽく描かずに、芸術家にある神秘的な感じをかもし出してくれるような物語のほうが個人的には好きだな。また、どの短編もノスタルジーに彩られていてしみじみと良い想い出を味わっている感じの綺麗な話で物語に暗さがないなのはいいね。
 「うつくしい墓」偶然晩年のマティスのもとで働くことになった人が、そのことを回想しながら取材に来た記者に話す。
 「エトワール」ドガと交友があったアメリカの女性画家メアリー・カサットが、ドガの唯一の彫刻作品「十四歳の小さな踊り子」のモデルの少女とドガのことを回想する。
 「タンギー爺さん」画商タンギー爺さんの娘が、帰郷してしばらく戻っていないセザンヌに対して出した手紙。タンギー爺さんの人の良さだったり、彼がいかにセザンヌにほれ込んでいるかが伝わってくる。そしてタンギー爺さんは売れない画家に、作品が売れたら払うという口約束で絵の具を渡していた(そして彼らはその代わりと言って作品を置いていった)。そんな彼の店が一種の画家たちのたまり場となっていたということで他にも色んな画家の名前も出てきて、また彼の幼馴染の友人である小説家エミール・ゾラもでてきたりするのは楽しい。
 そうしたタンギー爺さんが画家たちを世話したり彼らを見ることが本当に楽しそうな様子や、語り手も儲けがなくて危機的な経営のことを書いているけど、タンギー爺さんがうれしそうに仕事しているのが好きなのだなあと伝わってくるのがいいね。
 「ジヴェルニーの食卓」老境のモネと生活を共にしているモネの義理の娘から見た、現在(最後の大作睡蓮の大壁画を手がけている晩年)のモネとモネの友人クレマンソーとの交流や、彼女が回想する子供の頃よりもモネとの関わりが描かれる。語り手のモネへの思いやりにあふれているからなんだか癒される。
 解説を見ると、どうやら小説という形式で『ドガとメアリー・カサットは互いに理解し合う最も良き相手であったにも拘わらず、おそらく恋愛関係にもならず袂をわかった。それはなぜなのか? セザンヌは失意の時代をタンギー爺さんに支えられていたといわれるが、どのようなかんけいだったのか?』(P275)など資料ではわからない美術史では踏み込めない問題について語る。
 私は美術も美術史も詳しくないから解説を読むまでそういうことだったというのがわからなかったのだが、そうした空白、不明瞭な部分を書いたものであるようだ。そういうのを知っていたらより楽しめたのかな。