移民の宴

内容(「BOOK」データベースより)

日本に住む二百万を超える外国人たちは、日頃いったい何を食べているのか?「誰も行かない所に行き、誰も書かない事を書く」がモットーの著者は、伝手をたどり食卓に潜入していく。ベリーダンサーのイラン人、南三陸町のフィリピン女性、盲目のスーダン人一家…。国内の「秘境」で著者が見たものとは?


 文庫化再読。「おわりに」にも書いてあるように、『日本に移り住んだ外国人を食とコミュニティから見る』(P370)という本で、日本に根を下ろして暮らしている外国の人たちの普通の生活を垣間見ることができる。そうしたものはパッとイメージできるものではないので、へえとちょっと関心しながら読むことができる。
 取材時期にはちょうど東日本大震災があったということもあり、震災に関係したエピソードも散見される。
 成田のタイ寺院に場所に行ったときに、タイの僧侶は車やバイクを運転してはいけないことになっていることから、フォークリフトを運転している僧侶を見たというのはちょっと面白い。
 イラン、イスラム革命以降女性は公共の場でスカーフを被らなければならなくなったが、家の中では踊りを踊ったり酒を飲んだりしているというのはちょっと意外。ちなみに、イランはがちがちの宗教国家みたいなイメージもあるけど、ペルシャ帝国だったということなどもあって、イスラム教国では珍しく、宗教を平気で相対化することができる人が多いみたい。
 イラン料理、著者もあまり美味しくない印象だったが、実際に取材相手に食べさせてもらうととても美味しかったようだ。その印象は、イランには外食する習慣があまりなく、普通男はあまり料理をしないのに、レストランでは男が料理するから不味いということになっているということのようだ。本物のイラン料理、(少なくとも日本では)食べたいと思っても、中々食べられないものみたいでことで逆に少し興味がわく(笑)。
 フランスは店舗をレンタルする習慣がないから、フランスで店を開くのは日本で店を開くよりもずっと難しい。
 フランスの方が国際化について、その国の言語が離せなくても例えば中国語なら中国語だけで生活できるコミュニティがあって、そこで生活が完結できるという意味に考えている。
 最後の12章、著者の高野さんの友人で「わが盲想」のアブディンさんの家族を取材しているけど、取材でなくて普通に結婚した友人の家に遊びに行っている感もあってなんか好きだな。
 「文庫版へのあとがき」では、本書で取材した人々の後日談(現在)が書かれているのはいいね。こうした少したった後のことが書かれるのは、小説でもノンフィクションでもなんか好きだわ。