城下の人 石光真清の手記 1

城下の人―石光真清の手記 1 (中公文庫)

城下の人―石光真清の手記 1 (中公文庫)

明治元年熊本城下に生れた著者は、神風連・西南役の動乱中に少年期を送り、長じて日清戦争で台湾に遠征、ロシア研究の必要を痛感する。波瀾の開幕。

(城下の人|文庫|中央公論新社 より)

 明治元年熊本藩武家に生まれた石光真清さんの自伝的な本。しばらく積んでいたのを後悔する面白さ。非常に読みやすく、魅力的なエピソードが盛りだくさんで、当時の雰囲気もよく伝わってくる。明治期のことを書いた伝記・自伝とかで一番好きかも。他にもこれほどの出来の伝記類があるのなら是非読みたいわ。
 子供時代の西南戦争の話(熊本城が戦場になった)や、軍人となって台湾出征に行ってそこが初陣となったという話などが書かれる。その後に、ロシア留学へ赴いたところでこの本は終わる。
 幼少期のエピソードもきちんと書いてあることや、子供時代の心情や心の動きなんかがリアルに書いてあるのはすごくいいね。
 熊本ということで幼少期に住んでいる土地で神風連の乱西南戦争が起こる。そうした擾乱で戦地となった熊本の地にいる普通の人々の反応や当時の市井の空気なんかが描かれていて、興味深い。
 著者が9歳のときに散髪廃刀しなくてはならなくなったときに自身だけでなく、母も姉も泣いたという挿話からも、いかに武家にとって髷と刀が大事なものであったのかがよくわかる。
 家族一人一人のキャラクターや良い家庭の雰囲気が伝わってきていいな。家族の話がかなりたくさんあるので、家族を書いた本でもある気がするな。
 挿話、地の分ばかりで説明するように淡々と書くのでなくて、台詞とかもかなり入れながらその情景を描いているおかげもあってか想像しやすくて人物をリアルなものとして、近くに感じる。
 明治9年、兄が東京で勉強をしに行くのに県庁に遊学届を出したというが、そうか、まだそういう届出が必要だった時代か。
 神風連の乱、夜に戦端が開かれたが、子供だった著者は父に寝かされて翌朝起きてみれば誰が蜂起したのかわからんまま終わっていた。何がなにやらわからん間に終わっていたというところにリアルさを感じるな。
 蜂起以前の敬神党の副将加屋先生とのエピソードがあって、著者の父も神風連の人々には好意を持っていた。別に父が頑迷とかではなく、父の実弟は新政府で青森で大参事(県知事)などをした野田豁通で、本人も病気で職を辞したが一時秋田の小参事(副知事)を勤めていたこともあるほどなので、当地の士族にとっては普通の感情だったのだろう。それに著者も神風連びいきだったようだ。
 まあ、士族以外にとっては、著者に神風連の蜂起だと最初に教えてくれた植木屋がもう少し若ければ鎮台には入れたのにと冗談を言っているくらいには痛快さがある出来事だったようだが。
 敬神党の蜂起後、熊本城下は不満を抱いていた武士たちは彼らの犠牲を眼前に見て、じっとしていられなくなり、その年の祭りでは刃傷沙汰が起こりかねないピリピリとした空気となったくらいに、かえって物騒な雰囲気となっていたようだ。
 子供時代のパートから、谷干城とか樺山資紀児玉源太郎みたいな大物や後の大物の名前がでてくるのはそうした名前を見るだけでも楽しい。しかし父が谷少将のような大物に敬意を表され、そして請われて着任間もない谷の視察の案内をすることになった。そうして丁重な扱われかたをされて、まんざらでもなさそうなのが微笑ましい。そして西南戦争が勃発して薩摩軍がきたときは、薩摩軍に父は鎮撫使を頼まれたので、それを上機嫌で引き受けて帰ってきた。こうした石光真清の父のキャラ好きだなあ。
 西南戦争、その戦場となった熊本城下での市民の戦火の日々の体験、日常を活写していて、こうした戦地となった場所での生活みたいなものが書かれたものは珍しいので、興味深いし面白い。
 熊本城が燃えたときの衝撃と喪失感、嘆きの声。他のところでもそうだがその時々の感情・実感がよく伝わってくる描写がいいね。
 自身が体験していない、後に知った家族の疎開先での話も、会話文を用いて小説のように生き生きと人物やその出来事を描写しているのもいいね。
 子供だった石光真清は友人と一緒に戦争見物に薩摩軍がいる祇園山へ行く。道中に薩摩の兵からおにぎりを貰ったり、大砲陣地まで行った。そうしたある意味子供らしく無分別な好奇心を発揮させていることには驚かされるが中々見ることのできない体験談で非常に面白く、そうしたカオスな非日常の描写は魅力的だ。
 そして彼らは戦地見学だけでなく、薩摩の軍兵の埋葬地となっている寺へも行っている。そっちは流石に悲しさにあふれた雰囲気で一回行ったきりだったようだが。しかしその後も毎日のように薩摩軍の兵が歩き回っているところに出入りして可愛がられていたようだ。
 薩摩郡にかりだされて雑役として荷物運搬や炊き出しの手伝いをさせられていた村の若者たちが、広場や寺の境内で戦況を村の人々相手に太平記語り風に物語り、それが唯一の情報源だから村人や避難者は熱心に聞いていたという話は面白い。そうした疎開先での生活の挿話など、戦争に翻弄された人々のさまざまな視点の挿話が書かれているのはいいな。そうした細部を知ることで色々想像ができて、単なる歴史上の一コマでなく身近なものとして感じることができる。
 かつて石光家の女中だったミサは現在奉公している商家の人々とともに疎開していたが、主人が亡くなったと同時に使用人が金を持ち逃げして、善後策を尋ねるために石光父のもとへ行こうとした。しかしあせる気持ちのあまり、薩摩軍が占拠して戦地となっている祇園山を突っ切ろうとして薩摩兵に捕らえられた(そのちょっと前に変装してスパイしていた政府側の人間が捕まったこともあって)。
 正三(真清の幼名)は、薩摩軍が水攻めをするために、一時川に水がなくなるからと薩摩の少年兵に付き添われながら水がなくなった川で魚を捕まえていた。そのときに薩摩兵に縄をかけられているミサを見かけ狼狽し、直ちに縄を切ろうとして同行の少年兵に止められるが、彼もまた話を聞いて、なんとかならないかとミサを連れている兵に問うてくれるが、自分の一存ではなんともならぬと言われる。そしてあわてて家へと駆けていき(そのまま駆けていこうとしたとき取った魚をふと思い出して、その魚を入れた籠を持って走っていたというリアリティーがいい(笑))、父にそのことを知らせて、父から薩摩軍の偉いさんに頼んで釈放してもらえた。こうした幸運が重なって、無事救出できたという話はほっこりしていいね。
 勉強のために東京へ行き、東京では叔父のもとで世話になる。
 鉄道馬車というものができたと聞いて、それに乗りに行き、それを叔父夫妻に話すと叔母が興味を持って翌日鉄道馬車に乗った。それで叔父も興味をそそられたが威厳を保つから見物にいくとも言えず次の日曜日にひそかに馬丁の人と一緒に鉄道馬車で3、4回往復したというエピソードはほほえましくて面白い。
 台湾出征で初陣を迎える。初陣のとき、左手ではお守りを固く握り、軍刀と思って右手につかんでいたものが小銃を掃除する棒だったとことに戦闘後に指摘されて初めて気づいた。
 また、城攻めで勝ったとき、立派な服装をした婦人が銃を持ちながら死亡し、まだ生きている女児を背負っていた。それをみてその子を助けて、遺体から形見としていくつかの装飾品を取って、その子の帯につけて連れて歩いた。その子がマスコット代わりになり可愛がられ、またその子を連れていることで周辺の村民へもいい印象を与えた。そしてその後その子は近くの有力者から申し出を受けて、その人に養育してもらうことになった。
 こうした戦場の変わった挿話を見るのも面白い。