シャーマニズム 上

シャーマニズム 上 (ちくま学芸文庫)

シャーマニズム 上 (ちくま学芸文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

著者はシャーマニズムを「エクスタシーの始源的な諸技術」と定義する。その担い手たるシャーマン、聖の専門家はいかにして誕生し、どのような活動を行うのだろうか。膨大な資料を駆使しつつ、シャーマンの召命と試練、象徴的な死と再生、めざましい超能力や、それを支えるコスモロジーに説き及ぶ本書は、比較宗教学あるいは宗教形態学の古典であるとともに、原初の世界と人間の普遍的な型に迫ろうとする情熱的な思想の冒険行でもある。本巻には、イニシエーションの諸相、衣裳と太鼓のシンボリズム、中央・北アジアシャーマニズム宇宙論などのテーマを含む第8章までを収録。

 シャーマン・シャーマニズムをほとんど知らなかったので、色々と知ることも多く、面白かった。また印象的なイメージがかなりあって想像力をかきたてられた。
 『シャーマニズムは厳密には、古代的エクスタシー技術――同時に神秘主義であり、呪術であり、広義の「宗教」――のひとつである。』(P23)
 中央アジア北アジアを中心に世界各地のシャーマニズムには、どのような共通点があるか、そうした共通する中心的な部分について説明がなされる。そうした説明だけでなく、この民族の場合はこういう儀式をしている、こうした世界観を持っているなどの実例が紹介されて、シャーマニズムの儀式や文化などのさまざまなことがらを知ることができる。
 シベリア型シャーマニズムの枠組み以外の地域では、シャーマンは呪医・呪術師・卜占師というような広い意味でも使われる。しかしそれは本質ではない。著者はシャーマンは『その共同体の利益のために如何にしてエクスタシーを行使するかを知っている者たち』(P30)と考える。
 そして『エクスタシーとは、象徴的なものであれ、みせかけであれ、真実であれ、いずにせよ常にトランス(trance)を伴っている。そしてこのトランスとは、シャーマンの霊魂がその肉体から一時的に離脱することと解釈されている。エクスタシーの間にシャーマンの魂は天界に上昇し、地下界に下降し、もしくは空間遠く旅立つものと考えられている。シャーマンはこうした神秘的な旅をその入巫儀礼(イニシエーション)を通して、はじめて体験し、そして後には、(1)病人の魂をさがすために(空間を、地下界もしくは例外的には天に)、(2)いけにえにした動物の魂を天界に運び、神々に供養するために(中央アジア・シベリア)、もしくは天上の神々からの祝福を求めるために(南米)、もしくは志願者に加入礼をほどこすために(オーストラリア)、もしくは月界やその外の天界を訪問するために(エスキモー人)、などの場合に行使する。これらの諸例はすべて上昇に関連する。(3)最後に死者の魂を地下界にあるその新しい住居に導いていくために(霊魂の導き手としてのシャーマンの地獄くだり(中略))行うのである。(中略)エクスタシーは(中略)人間性と広く共存しているという意味で、根本的現象である。』(P31)
 シャーマンは『すべての医者と同様に病気をなおすものと信じられ、すべての呪術師と同様に、行者風の奇跡を行うと信じられている。しかし、シャーマンはそれ以上に霊魂の導き手(中略)であり、また祈禱師であり、神秘家であり、詩人である。』(P41)
 『厳密な意味でのシャーマニズムとは、なによりもすぐれてシベリアと中央アジアの宗教現象である。』(P41)そうした地域の宗教的活動は他に供犠司祭もいるし、部族長が部族儀礼の司祭をしているが、シャーマンが支配的である。エクスタシーこそ宗教経験だとしていて、シャーマンがエクスタシーの技術に熟達しているので、そうした様相になっている。こうしたことから『この複雑な現象の第一義的な定義、そして恐らく最も危険の少ない定義は、シャーマニズムとはエクスタシー技術ということになるだろう。』(P42)
 他の諸地域にシャーマニズムがあるといっても、それがただちに『その当該民族の呪術宗教的生活がシャーマニズムを中心に結晶しているという意味ではない』(P42)
 中央および北方アジアでのシャーマンは、世襲ないし神や精霊による召命(エクスタシー体験でシャーマンになることを命ぜられる)が基本。部族が選ぶ場合もあるが、その場合でも世襲・召命のシャーマンよりも力が弱いと考えられるし、そうした部族が選ぶ場合でも(世襲の場合でも)候補者のエクスタシー体験が必要。
 そうして選ばれると加入礼に等しいものとして、『(1)エクスタシーの教育(夢、トランスなど)と、(2)伝承的教育(シャーマンの技術、精霊の名と機能、部族の神話と系譜、秘密の言葉など)』(P55)という二種類の教育が老師と精霊から授けられる。
 『シャーマンのイニシエーションそのものは単にエクスタシー体験のみならず、(中略)、神経症患者と理解させるにはあまりに複雑な、理論的でかつ実践的な教育課程を含んでいる。真の癲癇やヒステリー発作に悩まされるかは別にしてシャーマンや妖術師、呪医は一般に単純な病人とは認められない。彼らの精神錯乱的経験は一つの理論的内容を持っている。』(P75)
 そのため『呪術師や呪医、もしくはシャーマンはたんなる病人ではない。彼は何よりも、全快した病人であり、自ら治癒するに成功した病人である。シャーマンや呪医の召命が、しばしば病気を通し、癲癇性発作を通して啓示される場合、この候補者のイニシエーションは治癒に等しい。』(P70)
 『実際にシャーマニズムを行使することによって常に快癒・統御・平衡がもたらされるのである。例えばエスキモーやインドネシアのシャーマンがその職能と特権を負うているのは、癲癇性発作に苦しめられているという事実のためではなく、この癲癇を統御し得るという事実のためである。』(P72)
 病理学上の疾病、夢想、およびエクスタシーなどによる異常体験による「選び」は、その者をシャーマンに導く。『ふつう、病気や夢想やエクスタシーは、それ自身でひとつのイニシエーションを構成する。即ち病気などは「選び」以前の俗なる人間を聖の使い手に変換させるのである。』(P79)
 『最初のエクスタシー体験の内容は、比較的豊富ではあっても、ほとんどつねに以下のテーマの一つ、もしくはそれ以上のものをも含んでいる。それらのテーマとは即ち、内臓器官や超の再生を伴う肉体の解体、天空への上昇と神々や精霊との会話、地下界への下降と精霊や死んだシャーマンの霊魂との会話、宗教的、シャーマン的(職業の秘蹟)双方のレベルのさまざまな啓示である。』(P89)
 エクスタシー中のずたずたに身体を引き裂かれ解体された後に、新しい聖なる肉体が生成されて、シャーマンとなるというイメージは強く印象に残る。エスキモーでは、そのときに『彼を貪り食らう動物(中略)が、未来のシャーマンの補助霊となることもある。』(P102)
 シベリアのシャーマン、オーストラリアの呪医。候補者は半神的存在または祖先による手術で『肉体は解体され、内臓と骨とは別物に取り替えられる。いずれの場合も、この手術は「地獄」で行われるか、冥界下降を含んでいる。石英その他の呪物の何片かを精霊がオーストラリアの候補者の肉体の内部に置くという点については、シベリア民族の間ではあまり重要なものとされてはいない。』(P110)
 そのような『シャーマンの象徴的死は、一般にかのメトローが正しく監察しているように、志願者が長く気を失っている期間と昏睡とによって暗示される。』(P113)加入礼である死と復活の儀式。
 シャーマン、呪医になるには召命が不可欠。『そしてこの召命は何よりもエクスタシー体験に関する異常な能力によってはっきりと示される。』(P128)

 『われわれは、未来のシャーマンの選出に最も共通した形式の一つが、神的、半神的存在との出会いであることを見てきた。こうした神的、半神的存在は夢想、疾病その他の状況を通してあらわれて、彼が「選ばれた」ことを告げ、それ以後新しい生活のルールに従うべきことを強く勧めるが、この報知をもたらすのは彼の巫祖たちの例であることの方が多い。』(P140)
 シャーマンの選びでは、トランスの中で『シャーマン候補者は責め苦を受け、切り刻まれ、死に至らしめられ、次いで蘇生させられる、ということを見てきた。実にシャーマンを生別するものはただこのイニシエーション的死と蘇生なのである。』(P151)
 『何がシャーマンを他のメンバーから区別しているかといえば、それは能力や守護例を所有している点ではなくて、彼のエクスタシー体験なのである。』(P186-7)
 『シャーマンが病気なおしであり、魂の導き手であるのは、彼がエクスタシー技術を心得ているからである。言い換えれば、彼の魂は何の支障もなく、その肉体を離れて遠くに彷徨することができ、地下界へ降りたり、天上界に昇ったりすることができるからである。』(P315)そうして患者から抜け出た魂を取り戻す。
 天界の神々(上なる神々)に使える白シャーマンと地上界(冥界)の神々(下なる神々)に仕える黒シャーマンがいて、前者の方が地位高い。二種の神々は善神・悪神というように対立しているのではなく、『むしろそれは種種さまざまの宗教形態や宗教的神格の、分類上の、または特殊化の問題なのでなく。』(P319)それぞれの神々が受け持つ仕事が違うということかな。そして地上界の神は人間との交わりがあるが、『天界なる至上神は一つの隠退せる神』(P320)で、ほとんど人生上のことに影響を及ぼさない。
 病気は死んだものの悪霊によって起こされると考えられていて、『もし死者の未亡人や子供、あるいは友人が後を応用に死ぬと、テレウート人は死者がその人たちの魂を持っていってしまったのだと信ずる。』(P346)死んで間もない死者はそうした畏れの対象となるが、死んでかなり時間が経つとその家族の守護霊となる。死者が『死者の国に入ってしまわぬうちは、死者は自分の家族、友人、はては家畜の群れまでをも一緒に連れて行こうとする。』(
P347)
 アルタイ・シベリアのシャーマンは死者が生前の世界への未練を断ち切れない場合、魂の導きとして死者の魂を死者の国へと導く。ただし死者は死後3日、7日、あるいは40日は墓の中で生きていて、その後冥界への旅を始めると信じられている。そのためシャーマンがそうしたことをするのはその後のこと。ただし、その期間が経過したときに必ずシャーマンが魂を死者の国に導く儀式をする部族と、その期間を過ぎても直魂が現世でうろついている場合にのみシャーマンが魂の導き手としてその魂を死者の国へ導く部族とがある。
 シャーマンは悪霊に取り付かれた患者を治すときに、『悪霊をシャーマンの体内に入れなければならぬことがある。そうすると彼は悪霊と戦うが、最後には病人自身よりも激しく悶え苦しむのである。』(P384)