聖書男

聖書男(バイブルマン)  現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

聖書男(バイブルマン) 現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

内容(「BOOK」データベースより)

ひげをのばし、全身白の衣服を身にまとい、杖をもって街を行く“いちおうユダヤ人”のおかしくも真摯な387日。


 kindle版で読了。以前から気になっていたがようやく読めた。
 最近ようやくkindle導入したが、こうした注が多い本だと一々タップして注を開くのも面倒くさいというか、慣れていないということもあるけど中々注が開けなくてちょっと面倒だな。他の注が少ない本は普通に快適に読めたけど。
 信仰熱心でない家に育った一応ユダヤ教徒であり、妻子もいる著者が聖書の教え、習慣に従いながら一年間を過ごしてみるというプロジェクトをする。この本は、そのプロジェクトの期間中に取材した人の話、教えを守ることの困難さ、日常生活(家庭生活)の様子などが書かれる。そうした日常的なことを書いた部分も多いので、エッセイ的な感じ。
 このプロジェクトでは、一年の三分の二は旧約聖書の教えのみを守り、残りの期間はキリスト教の教えについても守る。教えを守るといっても、さまざまな教えがある上、その教えの解釈にも文字通りのものなのか比喩的なものなのかという問題もあるが、なるべくは文字通り守ろうとする。もちろん守れないものもあるが。
 そして色々な人に教えを請うてはいるが、ある一つの団体に入ってそうした生活を行うとかではなくて、さまざまな人の助言を聞いたり、色々な団体を取材しながら一人で実践を行っている。
 そして実践している最中に色々な共同体、超正統派のユダヤ教徒や聖書字義解釈主義の団体などアメリカのさまざまな宗教団体に取材をして、そうしたことも本書に書いている。影響力のあるそうした団体について知るよいチャンスにもなるからと、このプロジェクトを実施。
 著者は自ら聖書の教えを厳格に守る(なるべく聖書のまま、後世の規律は気にせず、聖書の決め事を守る)ことを実践しながら、そうした取材もして、そうした団体の話も書いている。それから日常生活も書いているが、夫婦の会話や子供に対する過保護ぶりにはなんだか癒される。
 冒頭に聖書専門店に行ったとき、聖書を読んでいると他人にじろじろと見られるから、パッと見、十代の少女向け雑誌を読んでいるように見える聖書なんてものが売っていることが書かれる。著者も書いているけど、なんだか本末転倒というか、奇妙な代物だなあ。だが、地下鉄で聖書を読むと周囲の人が身構えるのを見て、そうした本の意味を知ることになる。
 家庭生活の様子も色々と書かれているが、そこから見えてくる家庭の様子も素敵。それと妻の言葉を変に女性語に翻訳していないのがいいね。
 髭を生やしたり、毎日祈りをするようにしたりするようにした。著者は不可知論者で、祈りをするようなことが絶えてなかったので、はじめのうちは祈りをしてもどうも落ち着かず、本来の不可知論者としてのタブーも、十戒の「主の名をみだりに唱えてはならない」という戒も破っているように感じたようだ。
 そうはいっても、認知不可知論によれば『人間の心には矛盾を解決しようとする働きがある。信念と行動が矛盾しても、一定の行動を取り続ければ、最後には信念が行動に合致するよう変化する。』ということだから、祈っているうちにその対象(神)を信じるようになるかもしれないと書いている。そして1年間教えを守って、さまざまな人に取材をして、色々なことに気を配るなどしたことで、少なからず心境の変化があったようだ。
 他にも混紡の服を着てはいけないという決まりも(レビ記19章19節に)あるので、それを守ろうとする。著者は他にその教えを守っている人がいないだろうと思ったらそうした教えを守る人々がいて、それに反する衣服がないかを調べてくれる検査員もいることを友人に伝えられて、その調査員に来てもらうことにする。あと、月はじめに角笛を吹くといった、そういった風変わりな教えも守る。
 聖書内の食物のタブーについて『旋毛虫や寄生虫が引き起こす病気を避けるいちばん手っ取り早い方法だと思っていた。でも、どうやら違うらしい。大方の人類学者がいまはこの考えを否定している。現在、もっとも支持されている説は、ある種の食べ物を禁止するのは自分たちを聖別するため、というもの。イスラエル人は、豚肉を食べるペシリテ人など、ほかの部族との違いを明確にしたかった。そこで、食べ物で一線を画していた。』(N5610あたり)私も衛生的な理由によるタブーと思っていたが違うのね。
 レビ記に昆虫についてイナゴ、コオロギ、バッタなどは食べてよいと許可しているので、ためしにチョコレートコオロギを食べてみたり、単に日常生活を送るのではなく、色々と年間行事的なことをやってみたり、こうした風変わりな体験を積極的に行っている。
 プロジェクト202日からイスラエルに旅にいき、当地での話が書かれる。その地でサマリア人と会う。善きサマリア人のあのサマリア人。現在700人程度の集団だが今もいるとのことだ。著者の住むニューヨークでは著者の聖書を守った服装は非常に目立っていたが、イスラエルでは信仰熱心な大勢のうちの一人に過ぎない。
 第290日に書かれている、嘘をつかないように殊更気をつけるようにした著者に対して、彼の妻が今何を考えているのと度々尋ねて楽しんでいる。それに正直に答える著者と妻の会話が面白いな。こうした夫婦のやり取りからも夫婦仲のよさが伝わっていいね。