日本史の快楽 中世に遊び現代を眺める

内容(「BOOK」データベースより)

「武士がヤクザ化した理由」「涙を見せるのは男らしくないか」「東西の武士、どちらがガメツイか」「忠臣蔵、吉良の言い分も聞くべきだ」「隠岐に流された後鳥羽上皇の怨念」―中世史学の泰斗である著者独自の視点で、現代と中世を縦横無尽に駆け巡る。歴史の楽しさ、奥深さがわかるエッセイ集。

 kindleにて読了。歴史エッセイ集。元々雑誌に連載されていたものをまとめた本だということで、一つ一つが数ページ分と短め。
 前半は歴史上の人物・事件について書いた小エッセイが、後半は明治以後の歴史学の論争についての小エッセイや現代の事柄(自身の体験)と歴史を絡めた小エッセイが書かれている。
 芥川の「羅生門」と元ネタである「今昔物語」は、芥川は主人公の男は主家の衰微で暇を出されたとしているが、「今昔物語」では盗みのために地方から上洛したとある。『盗みのため上洛するという社会状況に私は興味を覚える』(N140あたり)とあるが、改めていわれてみれば盗みのために上洛するという状況には興味がわく。
 平安京は政治都市で、『華やかな宮廷生活の傍らに盗人がはびこり、死体が放置される部分が存在するのは、繁栄が崩壊した末の荒廃というよりは、この都市本来の構造的な特質のように思えてならない。』(N165あたり)
 平将門藤原純友は同時期に反乱の動きをした。純友の配下は摂津の須岐で情洛中の備前介を襲って捕らえた。はっきり彼が謀反に踏み切るのは数ヵ月後だが、平安京に対する脅威としては将門より高いのに、それに対して朝廷は最初は従五位下を純友に実行犯の配下にも官職を与えたり、純友が対立していた伊予守と純友の両者の言い分を聞いたりもしていた。
 「建礼門院右京大夫集」右京大夫平資盛との恋愛を主軸にして書いた作品があるが、後白河法皇がその資盛と関係を持っていたという説もあるのね。本当なのか邪推なのかは知らんけど。
 源氏と奥州藤原氏とは、別に主人と家人の関係ではない。しかし『義経を迎えて八ヵ月後、秀衝は病死する。そのとき泰衡以下の子供たちに、義経を主君と仰いで仕えるよう遺言したことが、摂政九条兼実の日記『玉葉』に記されている』(N680あたり)それは、たぶん義経活躍後になっての風聞・伝説で、事実ではないとは思うけど(たしか奥州藤原氏義経迎えたのも主人の子だからとかではなく、義経の母の再婚相手の親戚が当時奥州で官職持っていて、その縁で奥州にいったのではなかったっけ)都の貴族からはそう思われるくらいの関係だったということだろうか。
 12歳だった四条天皇はいたずらで滑石の粉を板敷きに塗って転ばそうとしたら、自分で転んで死亡。なんか小石かなんかだと誤って覚えていたが粉だったか。
 幻の京都の大仏。東福寺の大仏は明治十四年(1881年)の火災で焼失。秀吉が作った方広寺の大仏は度々災禍にあい、江戸時代1843年に終わりの有志の人々で(当初のものとは趣が異なるものだが)木造大仏が作られたが、それも1973年に消失。