聖なる酔っ払い伝説 他四編

内容(「BOOK」データベースより)

ある春の宵、セーヌの橋の下で、紳士が飲んだくれの宿なしに二百フランを恵む―。ヨーロッパ辺境に生まれ、パリに客死した放浪のユダヤ人作家ロート(一八九四‐一九三九)が遺した、とっておきの大人の寓話。他、ナチス台頭前夜をリアルに描く「蜘蛛の巣」など四篇を収録。


 長らく積んでいたけどようやく読めた。
 「蜘蛛の巣」この本の中で一番長い180ページほどの中篇。1923年に書かれた中篇。『一九二三年当時、ヒトラーヒムラーゲーリングといった、のちのナチ党の幹部たちは、まだ海のものとも山のものとも知れぬ群小集団だった。』しかし作者は『同世代の群像に「悪の原型」を嗅ぎ取り』(P394)その後のヒトラーと同じように大物になっていく主人公を書いた。しかし読んでいる最中はナチスが台頭していく当時の時流を書いた作品かと思ったので、本格的に彼らが本格的に台頭する前の作品(とはいえ、作中で名前は出てくるが)だと解説で知り、びっくり。
 「四月、ある愛の物語」旅行者である主人公はある小さな町で恋を見つけ、その町に長逗留する。そこでアンナという恋人を作っていたが、別の人に恋をしたが、その人が重い病気だと知らされる。そこで街を離れようと決心するも、アンナに引き止められて一度は街に残る。しかし五月も半ばをとうに過ぎていることに気づいて、この街を出て行くことにする。
 その日、主人公が朝食を取っていたカフェでは郵便局長が朝にカレンダーをめくるのがルーティーンとなっていた。しかし新しくこの町に来た旅行者が、カレンダーを勝手にめくっていたので、それを主人公は直すとその旅行者は驚いた顔で『だって、あなた、きょうは五月二十八日ですよ!』(P225)と主人公に言った。このシーンはタイトルから4月がとうに過ぎ愛の季節は終わったことや、その町のカフェでの小さな儀式を知るくらいにこの町に長く留まりすぎていたことを主人公にも読者にも一瞬で気づかせるシーンで、巧いなあ。
 「ファルメライヤー駅長」ある日、主人公のファルメライヤーが駅長を勤める駅の近くで事故が起こった。そのとき事故に巻き込まれたロシアの貴婦人に一目ぼれする。第一次世界大戦が勃発して、彼はロシアへ行くことになる。そして彼女に会いに行き、思いの丈をぶつける。そして恋仲になる。その後ロシア革命が起こり、ドイツも撤退することになったので、互いの伴侶を頭からどけて二人は手を取り合いモナコに逃げることになる。しかし彼女の旦那である侯爵が生きていて、彼女に会いにきた。その時、侯爵の半身不随になっている姿、そして侯爵「夫妻」の姿を見て、彼女は身ごもっていたが一人失踪して消息を絶った。
 彼女の夫を目の前にして、現実を目の当たりにしたことで、非現実めいた幸福がパチンとかき消されたのか、それとも彼女の夫への対応に愛を見てしまったのか、その振る舞いで自分との不釣合いさをまざまざと実感させられたのか、あるいはその半身不随の侯爵からこれ以上何かを奪い取ることはできないと思ってしまったのか。
 「皇帝の胸像」この短編集の中で一番印象深かった短編。主人公のオーストリア・ハンガリー帝国の伯爵だったモルスティン伯爵はコスモポリタンであり、領地の人々のために色々と手を尽くす優しい庇護者であり、領地の人々から強い敬意を払われていた人だった。しかし第一次世界大戦に敗戦して、ポーランドは独立した。
 多民族が共生していたかつての帝国に強い愛着を抱いていた伯爵は強い喪失感を抱いていた。伯爵はかつて自分の領地に皇帝が行幸に来たときに領地の少年が作った素朴な皇帝の胸像を自身の家の前に据えて、昔の軍の制服を着るようになった。
 世が変わって伯爵は村の人々の力になれなくなっていたが、今でも村人は彼を尊敬していたし、その皇帝の像にも敬意を払っていた。
 当地の視察にきた新政府の人間がそうしたものをみて驚き、皇帝の胸像を撤去しろと命じられる。そこでモルスティン伯爵は、皇帝の胸像の葬儀を行うことにする。その葬儀には村の人々も列席して、彼らも泣いて、そして時代の終わりをこのとき切に感じることになる。
 この短編の終わりでもその出来事はいくつかの新聞は『からかいの言葉をまじえて「短信」欄で扱っていた。』(P320)というように傍目から見ると滑稽でも、本人たちにとってはひどく真剣な悲しみを覚えている出来事であり、物悲しさがある。
 この葬式は今まで自分たちを育んできた時代・世界・枠組みの死であった。そのように時代の終焉(時代の葬式)とその悲哀が書かれていて印象深い。
 民族自決の波により、故郷が独立し、他民族共生という国の形が失われて、祖国喪失者となったモルスティン伯爵の物語。
 「聖なる酔っ払いの伝説」表題作。主人公の浮浪者アンドレアスは、金ができたらサント・マリー礼拝堂の聖女への借りだと思ってそこに収めてくれといわれて200フランをもらう。そして週末にその礼拝堂にお金を返そうとするも、その金を返せないことが続く。運よく金が入ってきても、その金が聖女様に返すときになぜか残らない。しかし数週間後今際に、ある女の子を聖女のテレーズ様だと思い込み、彼女にそのお金を返そうとして亡くなる。寓話的な話。