剃髪式

剃髪式 (フラバル・コレクション)

剃髪式 (フラバル・コレクション)

内容(「BOOK」データベースより)

ボヘミア地方ヌィンブルクのビール醸造所を舞台に、建国間もないチェコスロヴァキアの「新しい」生活を、一読したら忘れられない魅力的な登場人物たちに託していきいきと描き出す。「ビール醸造所で育った」作家が自身の母親を語り手に設定して書き上げた意欲作。

 著者自身の父フランツィンと母マリシュカが若夫婦だったころ、まだ子供(著者)が生まれる前のことが書かれた小説。1920年台の初め、チェコスロヴァキアの小さな町が舞台。その当時の夫妻の生活の様子、そしてペピン叔父の話、が母の視点で活き活きと在りし日の光景を楽しげに書かれている。一つの物語というよりも、各十数ページの章ごとに1つのエピソードが書かれているという、短編集ないし挿話集的な本。訳者あとがきにも、オーストリア=ハンガリー帝国から独立した時代であり、『ラジオ、高周波治療、車といった新しい文明機器がヌィンブルクという小さな町に次々と押し寄せてくる時代でもあった。「古き」オーストリア時代の面影が徐々に薄くなり、人びとのライフスタイルが「新しい」チェコの生活へと一変していく状況を背景にしていきいきと描き出される』(P155)とあるように、当時の時代と作家の両親のことが書かれた小説。
 この小説は、なんというか、一人の人物を主人公に大正ロマンとか昭和ロマンとかそういう時代の日常を切り取った日常系の漫画とか小説とかそうした感じの楽しみ方(例えばこの時代に現在では当たり前となっている物品が新奇なものとして出てきたり、当時の流行とか、それに対する人々の反応とか、あるいは時代を感じる細部やその他のその時代ならではの事柄や当時の感覚を楽しむ)をする小説だなと思う。ただ、チェコのそうした時代へのロマン掻き立てるようなイメージだったり、知識を持っていれば更に楽しめたのだろうな。
 全編母マリシュカ視点で書かれているが、彼女が快活で明るい天真爛漫な人だということもあって、舞台となっている時代もとても明るく楽しげで魅力的に映る。
 著者の父のフランツィンは『規律を重んじる慎重』(P156)派で、ビール醸造所の支配人。そして著者の母や叔父という茶目っ気があり、子供っぽい変わった行動を取る二人のキャラに食われている感がなきにしもあらずな常識人で、マリシュカとは仲睦まじい夫婦。それからペピンおじさんはとっぴょうしもないところがある人物ではあるが、愛される人物。彼は最初は父母夫妻の家に2週間の約束で転がり込んで長居して、その内に父も勤めるビール醸造所にも雇われることになって、舞台の街に長く暮らすことになった。
 2章、ザビヤチカ(豚を屠畜して、様々な料理や保存食を作る行事)の描写は、特別な日って雰囲気が出ていて、自然発生的にパーティーになっているその感じもいいね。
 6章のビール醸造所の煙突に母と叔父で昇って一騒動になるという話も面白いな。そして救助活動に来た消防隊のデ・ジョルジ氏は、二人が動けなくなっているとかではなく大丈夫そうなので、自分は『煙突の内部を通って下りることに』(P77)する。そしてそれを無事に終えてすすまみれになりながらも危機としている彼を見てマリシュカは『その時、私にはわかった。デ・ジョルジさんは煙突のなかを降りたこの出来事を誇りに思いながら、これから何年も、いや、生涯のあいだずっと生きていくことになるにちがいないって。』(P80)と書いてあるけど、これ多分実際そうで、ことあるごとに話していたのだろうなと思うと、なんだか微笑ましく思って笑みがこぼれる。
 7章のマリシュカの父は激情家で、マリシュカの母はそれを発散させるために古い棚をいくつも買って、沸点に達しそうと見るや斧を渡してそれを壊させて発散させていた(そして壊れたものは薪として使っていた)という話は、実話だと思うとさらに面白い。
 マリシュカは非常に長い美しい髪を持っていて、夫のフランツィンもその髪を非常に愛していて、町でも有名な長い髪だが、最後の話である12章はそれをばっさりと切る話で、ここで表題がくる。訳者あとがきでは、その行為は『新しい世界へ入るための一種の通過儀礼としての意味が強く込められている。』(P158-9)そうした古いオーストリアから新しいチェコへと変わったこと、その変化をあらわす象徴的な儀式でもあったということのようだ。