図解 日本の城

図解 日本の城 歴史がおもしろいシリーズ

図解 日本の城 歴史がおもしろいシリーズ


 kindleで読む。
 このシリーズは「図解 戦国史」についで2冊目。というか、同時期にkindleで安くなっていたそうした図解○○の中からちょっと興味のあったその2冊を買ったというだけなんだけど。
 見開きの右下にある「城を知るための書籍など」で紹介されている本やwebサイトは、城について知識がないので、そうしたものの紹介はありがたい。
 特に気になったものをいくつか挙げると、「日本城郭史」『昭和一一年に刊行された近代歴史学における日本城郭研究の古典中の古典』(P14)という紹介をされると、ちょっと興味がわく。「探訪ブックス 日本の城(全一〇巻)」文庫サイズで『専門的で詳細な城郭解説が基本』(P22)の本とかいいね、でもamazonに新品おいてないのか。
 『日本で、大きな石造物が作られなかったのは、地質が大陸のように切り出して加工しやすい堆積岩が少なく、硬い固まりの火成岩が多かったこと、適当な石材があっても、複雑な地形で運搬が困難だったこと、石だけを積み上げても地震で崩壊する危険が高かったことなどが原因です。』(P16)
 『戦国の戦いでは城は天守に攻め込まれれば落城という暗黙の了解があったとされています。』(P20)
 『近世城郭で城主、つまり殿様が実際に生活していたのは御殿という、平屋の広い建物』で、その御殿の『内部は、普段は倉庫などでしか使われない天守よりもはるかに豪華』(P28)だった。
 城内の道は、背後や側面から攻撃できるようにらせん形になっているのが理想。典型的ならせん形になっている城が丸亀城であり、江戸城もらせんに近い形で造られている。
 秀吉が家康に江戸を勧めた理由は単に嫌がらせではなく、大阪が瀬戸内海の最深部であり淀川という大河の河口であるように、江戸は江戸湾最深部であり隅田川という大河の河口の発展性の高い土地だったから。それでは江戸や大坂が戦国時代まで都市として発展しなかったのかというと、大河の加工で整備に莫大な手間と費用がかかるからという理由。
 『城の防衛戦略については、墨子がもっともすぐれた学者として上げられ、日本の築城術の基本となっています。』(P116)墨子が城の築城術・防衛の基本とされていたと言うのは知らなかった。それが地形の違いから独自に発達したのが武田流・山鹿流の兵学
 二部には、多くの城について各城の説明とその城の縄張図で見開きになっているのはいいね。ただ、縄張だけを見てもどういう防衛上の工夫がされているのかなどというのがいまいちわからないから、城の説明で一部触れているところがあっても全体的には何処がどうなっているから強固な守りとなっているといった説明がある本を読みたいなあと思う。そうした一つ一つの城の防衛上の工夫を綿密に解説した本をそのうち読みたいな。