サイゴンのいちばん長い日

サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3))

サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3))

内容紹介

1975年3月23日、サイゴン(現・ホーチミン)の空港に降り立った新聞記者が同5月24日、サイゴンを去るまでの2ヶ月間に体験したのは……窓を揺るがす爆発音、着弾と同時に盛り上がる巨大な炎の入道雲、必死の形相で脱出ヘリに殺到する群衆、そして戦車を先頭に波のように進攻してくる北・革命政府軍兵士……。4月30日サイゴン陥落前後の大混乱を、ベトナム人の妻をもち、民衆と生活を共にした新聞記者が、自らの目と耳と肌で克明に記録した極上のルポルタージュ
(amazon より)


 kindleで読了。
 1975年3月23日から、南ベトナム政権が崩壊した4月30日をはさんで、5月24日にサイゴンを去るまでの2月と1日のサイゴンの様子が書かれている。
 新聞記者としてサイゴンに派遣された著者が、一気に瓦解した南ベトナムの崩壊の様子とそうした激動の日々の中でのサイゴンの人々の姿を描いた作品。そうした南ベトナムの崩壊での混乱したサイゴンの様子や政局の他に、以前の滞在を含めて親交を深めた人とのエピソードなども交えて南ベトナムの日常も描いている。そうした過去の話や日常的なものが書かれることで、北ベトナムに占領/解放されたサイゴンの人々の不安感や変化などを感じ取れる気がするからいいね。
 再度ベトナムに来た当初はそれほど切迫したことになるとは思わなかったので、里帰りになると思ってベトナム出身の妻を連れてきた。しかし想像以上に南ベトナムの崩壊はすばやく進行して首都サイゴン近くにまで北ベトナム軍が迫ってきたこともあって、ベトナム国籍の妻が脱出できなくなることを怖れて先に出国させた。
 米軍撤退に伴って南ベトナム軍は領土縮小して守る範囲を狭めようとした。しかしその大撤退によって、士気が崩れて、大潰走を始めることになる。3月中旬に戦況が動き始めてからあっけないほど簡単に大きな都市の陥落(3/22に旧王都ユエ、3/29に東南アジア最強の洋裁と詩と歌われていた南ベトナム第二の都市ダナンが落ちた)が続いて、想像をはるかに越えるペースで、あっという間に北ベトナム南ベトナムを制圧することになる。
 妻が家長であったということもあって妻の家には彼女の親戚の色々な人が暮らしていた。そして著者は以前のベトナム滞在時の最後の方は妻の家に暮らしていたこともあって、同居していた妻の親族をよく知っている。そしてそうした親戚付き合いのある人間がサイゴンにいるということもあって、民衆の動きも描かれている。
 最後にあっても、あるいはだからこそ混乱する政局。
 ミン大統領の一方的停戦宣言でベトナム戦争は終焉(それと同時に南ベトナムは消滅)することになる。そして北ベトナム軍はサイゴンに威風堂々と無血入城する。
 占領した北ベトナムが大統領府に向かうと、その官邸の執務室に最後の大統領となったミン大統領がいて、『大統領は、/「現在をもって、あなた方に総ての権限を委譲します」/ これに対し、指揮官は、/「将軍、あなたにはもはや委譲すべき権限は何ひとつありません。われわれはすでに全土を完全開放しました』/ と応じたそうだ。』この知人のカメラマンから聞いた南ベトナム大統領の最後の一幕の挿話はいいね。そのようにして4月30日に北ベトナムベトナム全土を制圧することになった。
 サイゴン北ベトナムに占領されて外国との交信が立たれたが、日本人記者団は大使館のテレックスで最小限の送稿ができたため、『制圧後約十時間は、東京経由で日本特派員電が独占的にその後のサイゴンの様子を世界に伝えることになった』というのはちょっと風変わりな状況だし、面白い豆知識。
 5月14日、東側メディアソ連の新聞プラウダ東ドイツ紙の記者がサイゴンに到着し、著者らサイゴン在留組の記者は彼らと話す機会があったようだが、東西両メディアが交流している様子はなんか不思議な感じね。
 『本書には、私人としての生活記録あるいはかなり主観的なベトナム社会の点描と、サイゴン陥落をピークとしたその前後のルポルタージュ風あるいは解説風の叙述がないまぜになっている。』文庫版はその出来事の直後に書かれた本の改訂版ではあるが、のちに明らかになった新事実は書き足さずに『あくまで当時の時点に視座を限定した』ものであり、あくまでその当時の著者の見聞や見解が書かれた本。