闇の奥

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

船乗りマーロウはかつて、象牙交易で絶大な権力を握る人物クルツを救出するため、アフリカの奥地へ河を遡る旅に出た。募るクルツへの興味、森に潜む黒人たちとの遭遇、底知れぬ力を秘め沈黙する密林。ついに対面したクルツの最期の言葉と、そこでマーロウが発見した真実とは。

 kindleで読了。
 有名な小説だけどようやく読めた。思っていたよりも読みやすかったが、この本が色々と言及されるし、色んな評価がされることの多い理由はいまいちわからなかったな。
 主人公であり語り部のチャーリー・マーロウは英国で海を絆に結ばれている友人たちに自身のアフリカ(コンゴ)での体験を語るという形式。
 彼が子供の頃には世界地図で空白となっていた土地があった。彼がそこへ向かった当時は空白ではなかった。しかしそこに大きな大河が流れていることを見て、そこでは蒸気船を使っているだろうから、その仕事をしてみたいという気が起きた。そこで親類に運動して、そこの職を紹介してもらう。
 そして彼はアフリカの任地に着く。そこで疲れ果てた現地の労働者たちとその人々を監督する「教化された」現地人、そしてこんな奥地でもきっちりと身なりを整える主任会計士と会う。そして彼からあなたは奥地でクルツと会うだろうと聞かされる。ここで初めて聞くことになるクルツ氏は一番奥地で、他の出張所を合わせたよりも多くの象牙を送ってくるという人物。
 そしてしばらくしてこの地にある会社の出張所の中心である中央出張所に行ったら、彼がそれを使って仕事をすることになっていた蒸気船が沈んだことを伝えられる。そういうわけで船の修理から始めなければならないことになる。
 中央出張所の主である支配人は大物きどりで、能力的に優れたところのある人物ではない。しかしこの地で3年の任期を三回務めたほど体が丈夫という、この地ではある意味最も重要ともいえる資質があった。
 そして支配人の秘書役をしている一級社員は、マーロウが社員になるために使ったパイプが有力者であったので強力な後ろ盾あると思われた。そのため今後地位どうなるか気にしている。
 彼らへの失望もあってか、マーロウの中にクルツ氏への関心が強くなる。
 そして支配人の秘書役である社員に後ろ盾あると勘違いさせたまま、その社員に船を治すのに必要なリベットを送るように頼む。
 それもあってリベットが送られてくると思って、マーロウは機械工の老人に近々リベットがくるぞと伝え二人で喜ぶが結局前々来ないというエピソードはちょっと好き。
 クルツは本社経営陣に背を向けて、原始の森の方へ顔を向けた。
 そんなクルツと会うために支配人らとともに蒸気船で川をさかのぼり奥地へと進むことになる。
 蒸気船に向かって何かの儀式(呪詛か祈りかは不明)を見た彼は『原住民は――いや、彼らは、人間とは思えないというわけじゃなかった。わかるかな、そこが最悪なんだ――ああいうのも非人間的とはいえないんじゃないかと思えることがね。』(N1012)という感想を抱く。野蛮だと見下していたものが自分も相手も大自然の中、その場にあって見ると人間らしい自然なものに映って、それが見下していただけにショックだったということかな。
 奥地に向かう間に色々とトラブルもあったりしたが、何とか奥地出張所。件のクルツ氏がいる場所へとたどり着く。
 クルツと会う前にクルツの下で働く彼に心酔するロシア人の青年に彼についての話を聞く。
 その奥地で王のように振舞うクルツ氏。力・野蛮さでも支配して、象牙を多く蒐集している。かつては『各出張所はより良きものへと向かう途上の標識となるべきであり、通商の拠点となることは当然として、同時に文明化と向上と教化の拠点にもならなければならない』(「闇の奥」N910あたり)と言っていた人物の変わりよう。まあ、言葉も風習も違い、仕事をするには力で威圧するのが一番楽だからいったんそれに流れるとずるずる、そうした行いに染まってしまって変質していってしまったということなのか。
 しかし彼はそれと同時に支配者として現地の人々に認められる存在でもあるということは、ある意味現地に適応してそういう風なあり方になったということなのかな。そうであれば少なくとも欧州の単純な押し付けだけではいけないことはわかっていたということか。
 現在病身であるクルツと対面することになる。そして彼を蒸気船で連れ帰る途中で、彼は死亡することになる。『怖ろしい! 怖ろしい!』(N1946)というのが彼の末期の言葉であった。
 そして欧州に帰った彼はクルツの婚約者と会い彼の最後について聞かせるが、最後の言葉は彼女を慮って彼女に向けた言葉と言うことにした。
 近代西欧文明という光の届かない世界という意味での闇と、近代西欧文明の驕慢さという闇。クルツは、近代西欧を絶対に思っていたから、自身のその観念に亀裂が入ったときに狂わずにはいられなかったということなのかな。