現代訳論語


 青空文庫kindleで読了。論語を初めて読んだが、孔子とその門人の言行録(訓戒や教え、人物評が書かれた一つ一つが短い文章)であるということや、事前にこの本の訳者の「論語物語」を読んでいたこともあって、すらすらと読み進めることができた。一つ数行の各章の直ぐあとに、○をつけて意味や用語の註釈や訳者の所見が書かれているので、それもありがたい。
 冒頭で、論語には古註と新註があるが、本書は主に新註(朱子の註)によっていることが書かれる。
 『「論語」を読むにあたってわれわれの忘れてならないことが、それが「精神の書」であり、「道徳の書」であると共に「政治の書」であるということである。』(N55)そういう点で他の道徳宗教に比べてユニーク。神秘的な能力ではなく、理想的人物の指導があれば理想社会ができるとしている。
 そして『孔子には、老・荘・仏・基のように、飛躍ということがなかつた。つまり孔子は常にこつこつと地上を歩いた人であり、現実社会の秩序ということを忘れて、一挙に理想に突入し、愛の燃燒によつて罪を浄化するというような心境には終生なれなかつたのである。そういう点で、孔子に霊感的なものを求めるのは比較的困難である。しかし、そこに基督などとはちがつた彼の偉大さ、いわば平凡人の偉大さとでもいうべきものがあつたと思う。理想としては、「汝の敵を愛する」のが見事だとしても、現実社会は永遠に「怨みに報いるに正しさを以てする」必要があるであろうことを、われわれは忘れてはならないのである。』(N2759あたり)釈尊やキリストのように別の位相の世界を語って、現世とは違うルールでの生き方を教えてくれるのもいい。孔子のようにあくまで現実の人間として現世で人々を救おうとしているのもいい。
 『法律制度だけで民を導き、刑罰だけで秩序を維持しようとすると、民はただそれらの法網をくぐることだけに心を用い、幸にして免れさえすれば、それで少しも恥じるところがない。これに反して、徳を以て民を導き、礼によって秩序を保つようにすれば、民は恥を知り、自ら進んで善を行うようになるものである。』(N338あたり)いつの時代にもこの種の法と道徳についての言説はあるものだな。それだけ根深い問題というか、人間変わらないなあと思う。
 『由よ、お前に『知る』ということはどういうことか、教えてあげよう。知っていることは知っている、知らないことは知らないとして、すなおな態度になる。それが知るということになるのだ。』(N407あたり)プラトン無知の知やこれ、東西の偉大な哲人が同じようなことをいっているのが面白い。賢い人はある程度の学識で満足しないでよく学ぶということか。
 『仁==孔子の道徳的理想で、理性愛というに近いが、それでは不十分である。しかもその用法には時に深浅があつて。一定しない。前節でそれを「親切心」と訳したが、その程度の意味に解した方が適切な場合もある。』(N667)正直いまいち少し意味がつかめない言葉なので、そうした解説ありがたい。別のところで幾度かは説明を読んでいると思うのだが、直ぐ忘れてしまう。いい加減覚えなくてはと少し反省。
 『聖人・君子・善人==孔子のいう聖人・君子は常に政治ということと関係がある。現に政治の任に当つていると否とにかかわらず、完全無欠な徳と、自由無碍な為政能力をもつた人が「聖人」であり、それほどではなくとも、理想と識見とを持ち、常に修徳にいそしんで為政家として恥かしくない人、少くとも政治に志して修養をつんでいる人、そういう人が「君子」なのである。これに反して、「善人」は必ずしも政治と関係はない。人間として諸徳のそなわつた人という程度の意味で用いられている。』(N1334あたり)これもニュアンスだけしか覚えていないので、定義を聞くとなるほどと思う。
 『君子は仕えやすいが、きげんはとりにくい。きげんをとろうとしても、こちらが道にかなっていないといい顔はしない。しかし人を使う時には、それぞれの器量に応じて使ってくれ、無理な要求をしないから仕えやすい。小人は、これに反して、仕えにくいがきげんはとりやすい。こちらが道にかなわなくても、きげんをとろうと思えばわけなく出来る。しかし人を使う時には、すべてに完全を求めて無理な要求をするから仕えにくい。』(N2463あたり)言われてみればなるほどと思う違い。
 顔渕が死んだときの『ああ、天は私の希望を奪った。天は私の希望を奪った』という孔子の嘆きは他にない感情的な孔子の言葉で、その言葉からも彼の優秀さと孔子の嘆きの深さを知ることができる。
 『子張がたずねた。――
「四つの悪というのは、どういうことでございましょう。」
 先師がこたえられた。――
「民を教化しないで罪を犯すものがあると殺す、それは残虐というものだ。何の予告も与えないでやにわに成績をしらべる、それは無茶というものだ。命令を出す時をいい加減にして、実行の期限だけをきびしくする。それは人民をわなにかけるというものだ。どうせ出すものは出さなければならないのに、勿体をつけて出し惜しみをする、それは小役人根性というものだ。』(N3837)たしかに、そういうの嫌だ。