スカートの風

内容(「BOOK」データベースより)

27歳で韓国から留学生として来日した著者。しかし日本人の曖昧な笑顔や態度、韓国人には考えられぬ不思議なその人生観にカルチャーショックを受ける。そんな困惑の中に知り合った、日本で働く韓国人ホステスたち。彼女たちの姿に、日韓文化のギャップの源や意外な真実が映し出されていることに気づき始めて…。一留学生が、李朝以来の韓国人が持ち続けてきた日本人像を打ち破り、日本文化と融合してゆく様と、そこから見出した韓国社会の病根と日本社会の意外な素顔を綴った、衝撃のルポエッセイ。


 kindleで読了。
 著者が日本という異国で暮らすことで感じた母国である韓国社会の大きな問題が書かれる。1990年当時、四半世紀前の韓国の女性が歩める道の少なさで、女性には結婚か水商売かくらいしか開けた道がないという歪みについて書いている。
 日本に留学してきた当初は人に胸襟を開いて本音や秘密を語り合うようなことをあまりしない日本社会に違和感を覚えて、しばらく慣れない日々が続いた。
 そうした文化の差異による強い違和感や悩みがあったが、しばらくたって今度は逆に日本を徹底的に理解しようと思うようになる。そこで当時韓国では権力や財産による楽しみ、そしてそれらを持つための上昇志向でぎらぎらしていることによって充実感を持つが普通だったので、そうした強いモチベーションもないのに日々を楽しんでいる日本人が理解できなかった。しかし平凡な物事、日常の少しの変化や旅行などで十分に楽しんでいることがわかった。
 韓日ビジネスの通訳や翻訳のほかに、韓国人ホステスたちに日本語を教えていた。そこで彼女たちと親しく付き合っていくことで、『韓国人女性の抱える切実な問題』(N405あたり)が見えてきた。
 韓国クラブのホステス。常連と愛人関係になって手当てをもらうという関係が、普通のように書かれていて、隔世の感があるというか日本がバブル期の話だということを感じる。
 韓国のキーセンの伝統。『下の階級の子弟に美人があれば、キーセンに仕立てヤンパン(両班=家柄のある上層富裕階級)の妾とする。これが、伝統的な美人の出世の形であった。彼女たちが美人、愛人、出世という人生観を当然のごとく考えているところには、そうしたキーセンの伝統をおいてみなくてはならない。』(N570あたり)そうした古くからの関係性を求める。
 お金を稼ぐために日本に渡る女性たち。多くの人が来るのでビザが徐々に厳しくなる。そこでブローカーは、酒場とあっせん契約を結んで1年の給料を半分ほどピンはねすることを斡旋料代わりにしている。そんな条件でもブローカーに感謝している女性たち。彼女らは金持ちの客を愛人にすることが目的なのでそんなことは気にしておらず、ブローカーはその心理を利用する。
 日本に渡航・滞在するためのそうしたブローカーや偽装結婚、さらには死亡した女性の戸籍を手に入れるというちょっと驚くような話も書かれる。
 『金持ちの愛人になると言えば、日本ではそこに、したたかな女の生き方を見ることができるかもしれない。しかし、韓国の女では、自立精神の未熟者、つまり他者に頼って生きることを当然のように考えて育った心のあり方を、そこにみなくてはならない。』(N826あたり)
 渡航手段として留学生を装う人でなく、普通に留学生として来た人でもやがてホステスとなって、金持ちの愛人を目指すことになるケースも多い。『たしかにこれは一種の「転落」ではあるだろう。しかし、そこが韓国的なセンスでは少々屈折があって、本人がそれほどの悲哀感を感じなくてもすむようになっている。やはりキーセンの伝統がかかわることでもあるのだが、ホステスという職業は卑しまれている半面、不思議な尊敬の念が与えられてもいる。彼女はホステスの一線で活躍している。それは彼女が美しいことの証明なのだ――というように。』(N880あたり)

 離婚が増えても社会倫理はなかなか変わらず、身の置き所のない女たち。『離婚して実家に戻った女たちは、生涯にわたって「女の道を踏み外した失格者」のレッテルをはられ、家族や親戚縁者からの冷たいまなざしと差別的な待遇を受けて生きていかなくてはならない。そのため、離婚しても実家に帰るものが少なく、また、いたたまれずに実家を飛び出す女たちは多い。(中略)国を離れた遠いところでならば、男のお酒の相手をしても、またたとえ身体を売ったとしても知られないですむ。それで経済的な自立ができるならば、だれにいじめられることもなく一人で暮らしてゆける。そこで近年、韓国の女たちの間でささやかれるようになった言葉が、「離婚したら日本へ行け」なのである。日本は、離婚した女でも歳をとった女でも、また外国人でも、関係なく雇ってくれる職場がたくさんある……。韓国の女たちのなかで最近とみに話題となる日本は、そのような日本なのだ。』(N1100あたり)仕事がふんだんにある。当時の経済事情の良好さがうかがえるなあ。
 『処女ではない未婚の女性が韓国で生きていく道は、酒場のホステスか売春婦しかないと言っても、決しておおげさではないと思う。』(N1242あたり)
 『信じられないような「数字」が韓国にはたくさんある。たとえば、女性就業人口の七〇パーセント強を水商売が占めているということ。』(N1340あたり)その数字からも離婚した後の道の少なさを察することができる。
 極端な処女信仰と女性の社会進出がほとんどされていなかった。そのため、たとえば家父長的で女性が耐えることを要する結婚に耐えきれなくなって離婚したら、他の選択肢がろくになくなる。そうした選択の幅の狭さゆえにその道に入る女性が多い。
 そうしたこともあって、当時はバブル期だったこともあって水商売以外でも自立できる働き口があった日本にくる韓国の女性が多かった。