イスラムの蔭に 生活の世界歴史7

生活の世界歴史〈7〉イスラムの蔭に (河出文庫)

生活の世界歴史〈7〉イスラムの蔭に (河出文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

10世紀イスラム社会の風俗図巻!逸話をふんだんにまじえ、カリフの下のバクダートとコルドバの市民生活を描く!

 西暦10世紀、イスラム暦4世紀のイスラム世界が書かれる。10世紀はイスラム世界はそれまでの一教団一カリフから北アフリカ、イベリア、バグダードにカリフ政権が現れて三分になった時代。そして9世紀から11世紀は『イスラム文明は爛熟し、学芸は高潮期に達したので、枚挙しがたい名著傑作が続々と送り出された。』(P14)そんな時代でもある。この本では前半をバグダードを中心にする東方イスラム世界のことが書かれて、後半ではコルドバ(現在のスペイン)を中心に西方イスラム世界のことが書かれる。
 生活の世界歴史というシリーズ名から、当時の人々の生活の様子は詳しく知ることができるかと期待していたが、そうした市井の人々の細々とした生活の話は少なめ。
 「帝王譜――カリフの生きざま」10世紀のバグダードアッバース朝カリフについての話。彼らのエピソードが書かれるが、カリフ位を無理やりおろされた人物が多いな。
 残虐カリフ、アル・カーヒル。その性格もあってクーデターを起こされ、退位させられて、目に熱した針を刺されて盲目にされた。眼を潰されるという風習はビザンツから入ってきたものだという。あるとき彼はみすぼらしい恰好で大モスクにあらわれて、礼拝に集まった人々に対して『お恵みにあずかりたい。わしは昔はみなさんが御存じだったものですじゃ。』(P33)と哀願して、時のカリフに嫌がらせをした。伝説的な真偽の判断がつきかねるエピソードだが、『それ以後は、自由な外出も禁じられ』(P33)たとあるから本当なのかな。彼が盲目にされた最初のカリフだったが、それ以後もそうやってカリフを下すことが続いて、その後アル・カーヒル、ムタッキー、ムスタクフィーと三人の盲目にさせられた元カリフが生きているとあったというのは恐ろしい。
 『ハムディーという大泥棒がバグダード市内を荒しまわったのも、ムタッキーの治世中のことであったということである。この男は、夜中、カンテラや提灯などをもって、民家につぎつぎと忍びこみ、財宝を持ち去るという回答出会ったが、面白いことに、時のバグダードの警視総監イブン・シールザードが毎日金貨二万五〇〇〇ディーナールをこの男から貰うという条件で盗みをきょかしていたということであった。しかし、新しい警視総監になると、この泥棒を捕え、のこぎりびきにしてどうたいを両断してしまった』(P42)。莫大なわいろで警察のトップに見逃してもらった大泥棒という存在は面白い。
 「翰墨譜――教育と文学」クッターブ、コーランの暗誦や読み書き算術、若干の詩を教える寺子屋のようなもの。『普通、クッターブの教師は、生徒の父兄からの、わずかなつけとどけなどによって生活していたから、貧しいものが多く』(P69)というのもどことなく寺子屋っぽい。
 マサドラが普及したのは11世紀以降で、それ以前は学者たちは自宅やモスクで教授し、その学者のもとに弟子が集まってきた。
 シューピーヤ(民族思想)運動、それまでアラビア語の権威が絶対的だった。しかし9世紀ごろからそれぞれの国の言語での文学活動が、まずはペルシア語から始まった。それに反発したアラビア語を愛し誇りに思う人々もアラビア語で名作傑作の著作を書いたし、その中には当然イラン系の人たちもいた。そのような化学反応もあって多くの優れた文芸作品が生まれた世紀でもあった。
 しかし本書では色々な当時の書籍のタイトルなどが書かれるが、そこで興味を持った本でも日本語で読める本はないのだろうなと思うと少し悲しくなる。
 「都城譜――ある法官の茶飲み話」タヌーヒーという当時の法官が書いた『キターブ・アン・ニシュワール・ウル・ムハーダラ』(座談の糧)という題の面白く短い話を集めた本がある。その本のエピソードは当時の人々の哀歓が感じられるもので、この章ではそこに書かれたエピソードが紹介されている。
 バグダード、9世紀初めに比べて10世紀初めのバグダードは今昔の感のある衰えようだったが、10世紀初めに比べると10世紀後半のバグダードの人口は十分の一ほどというのはすごい寂れよう。
 「コルドバ図巻――市街と住民」まず、イスラム政権下のイベリアの人種構成が書かれた後に、コルドバの支配者のエピソードなどが書かれる。
 ヒシャーム二世の三度の死。1009年に一族の者に退位を迫られて幽閉された時に死んだと発表されて(1度目の死)、世間もそうだと思った。その翌年に幽閉から解かれてカリフとして返り咲いたとき、人々は驚いた。そして1017年に本当に殺された(2度目の死)ときも、それを信じようとしない人が多かった。それを信じようとしない地方豪族は、金曜日のフトバ(説法)は彼の名で行っていたが、1059年になるとさすがにそれを認めた。これが3度目の死。
 イスラム史上でも一流の政治家であり将軍であった父を持ち、優秀な異母兄もいたサンチュエロ。異母兄の早世で20そこそこで大宰相となる。しかし彼には兄を毒殺したという疑惑があった。それを義母(兄の生母)は信じていた。
 ヒシャーム二世と彼はとても親しく、ヒシャーム二世は自分の退位後は彼をカリフ位を譲るとまで述べた。それによる批判がさまざまなところから聞かれた。軍を率いて彼が都を出発した後、ウマイヤ家の公子でコルドバのよたものたちの間で顔が利き、そちらでの人気がある人物がクーデターを起こす。金持ちであったサンチェロの義理の母がその資金を提供していた。
 クーデターでヒシャーム二世を退位させ自分がカリフになり、サンチュエロも捕えられて、斬られた。しかし新カリフのアル・マフディー・ムハンマドは、いかがわしい人物を大量採用して、そうした人たちが市民に絡んだりしていたので人気がなくなった。そして再びクーデターが起こって敗れ、自身の身が危うくなると前カリフであるヒシャーム二世を連れてきて、彼に自分が命令したことと言わせる。しかし敵方から『ヒシャームは死んだ。ムハンマドよ、お主が第一番に死体に祈りをささげたではないか!』(P256)といわれて、効果なしと分かり、その後潜伏。そしてスライマーンが新たなカリフとなる。その後アル・マフディーは一度復位するも孤立無援となって、ヒシャーム二世が復位して彼は斬られることになる。そしてコルドバを再度手にしたあるスライマーンにヒシャーム二世は退位した。彼がその後に殺されたか脱出したかには諸説あるようだ。
 「田園図巻――コルドバ歳時記」イベリアのキリスト教徒で司教だった人が書いた本の内容が書かれる。当時のイスラム世界の影響を受けて、星の位置によってその日はどんな日なのかや年間行事などが書かれている。
 「愛恋図巻――鳩の首輪」イブン・ハズムという大学者の残した恋愛論『鳩の首輪』について書かれている章。