先生と私


先生と私 (幻冬舎文庫)

先生と私 (幻冬舎文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

誕生から高校入学までの15年間、両親・伯父・副塾長・牧師…多大な影響を与えた先生たち。知の“巨星”の思想と行動の原点を描いた自伝ノンフィクション。


 kindleで読了。
 著者の中学時代の話が書かれる。中学時代に通っていた塾の先生との交流など、著者が中学時代にした大人との交流の話が主に書かれている。
 少年時代の著者は無線好きでアマチュア無線の資格もとった。その無線の話。そして父の話。中学時代に塾に通うようになって、そこの先生たちとの話。山田義塾で出会った国語の先生、早慶学院で出会った数学の先生などと授業外でも色々と話していたという話。そして高校受験の話。そして高校に入る直前にした一人での北海道旅行の話が書かれている。
 塾の先生たちが中学生の佐藤少年を子ども扱いせずにはなしているのはいいな。その交流で『元副塾長や数学の先生を通じて、同年代の生徒たちよりも、大人の社会の雰囲気を、一足先に知った。』(N3262)
 中学時代に大人に対するのと同じように接してくれる人たちがいた。そういう関係性っていいね。大人たちとそうした交流ができたのは、著者がそういう対応させるだけ成熟していると思われていたほどしっかりしていたということだろう。そうした交流もあって徐々に興味が無線などの理系的なものから人文的なものへと移っていった時期のことを書いている。
 山田義塾から独立して新しい塾(早慶学院)を開く先生にスカウトされて、著者が慕っていた国語の先生もその塾で教鞭をとるといわれたこともあって、通う塾を変えた。
 その後その国語の先生はそこから更に独立するということになる。その話を聞いて直接国語の先生(副塾長)にそのことを尋ねると、塾長との方針の違いといった塾の内情まで話してくれた。そこまで真摯に話してくれる大人を先生に持てたというのは間違いなくいいことだよね。
 中学時代にソ連への関心が芽生えて、早稲田高等学院ではロシア語が勉強できると知って、そこを目指してみようという気になる。受験で出る内容が異なる(浦和は問題は難しくないが合格ラインとなる点数が高く間違いは許されない、早稲田は問題が大変難しいが合格ラインとなる点は低め)ということもあって、それは勧めないといわれた。しかしロシアへ興味があると知った元副塾長は、山田義塾で国語を教えている岸田先生はソ連レニングラード国立大学で日本語を教えていた先生だといって、引き合わせてくれた。
 結局早稲田高等学院への受験は失敗してしまったが浦高には合格。
 そして浦和高校に入る直前の春休みに、翌夏のソ連と東ヨーロッパへの旅行を前に、予行演習として一人で北海道旅行をすることになる。
 北海道旅行ではユースホステルに泊まる。そのホステルでの浪人生や高校生との交流など旅行についての想い出が書かれる。
 そして北海道旅行後、高校の入学式にでた後の父との会話でこの本は締めくくられている。