ナボコフの文学講義 上

ナボコフの文学講義 上 (河出文庫)

ナボコフの文学講義 上 (河出文庫)


 ナボコフが大学で講義していた内容が収録された本。上巻ではジェイン・オースティンマンスフィールド荘園』、チャールズ・ディケンズ『荒涼館』、ギュスターヴ・フロベールボヴァリー夫人』についての講義が収録されている。
 『大学で教えていた頃、私が文学の学生に与えようと努めたのは、細部に関する正確な知識、それなしにはどんな小説も死んでしまう肉感的なひらめきを生み出す細部と細部の組み合わせに関する正確な知識であった。』(P9)文体や表現、細部の持つ意味や小説の構造などについて語られる。上巻で読んだことがあるのは『マンスフィールド荘園』だけだったが、そうしたことが語られることで、そんな意味があったのかとわかることがあって面白かった。読んだことのある「マンスフィールド荘園」が一番楽しめたから、他の小説も読んだ後に読めばもっと楽しめただろう。いつになるかわからないけど「荒涼館」や「ボヴァリー夫人」を読み終えた後に、再度読めば理解も深まるし楽しめるだろう。
 そして巻末に「付録」として「荒涼館」と「ボヴァリー夫人」に関するナボコフの試験問題の見本があるので、それらの本を読み終えて、この本での講義を再読したら、やってみようかな。

 「ジェイン・オースティン
 小説の構造に自然に溶け込んだ人物描写。『たとえば、レイディ・バートラムが田舎にいつづけるのは、彼女の無精のせいである。一家はロンドンにも家があって、ファニーが登場する以前、はじめのうちは一家は春を――社交の季節を――ロンドンで過ごす慣わしであった。が、いまでは「レイディ・バートラムはちょっとした体の不調と、大いなる無精のせいで、以前は毎年春になると移り住む習慣だったロンドンの家をすっかり見限り、一年中田舎にこもりきりで、トマス卿ひとり国会の仕事に従事させ、自分の不在のために、夫の安楽が増えようと減ろうと、当人まったくお構いなかった」。よくりかいしなければならぬことだが、ジェイン・オースティンがこのように手配したのは、ファニーを田舎に留まらせ、ロンドンに何度も旅をさせたりして自体をこんがらがらせないためであったのだ。』(P81)そういう意図についての説明も面白い。
 「チャールズ・ディケンズ
 「荒涼館」で批判されている法律問題は、その小説が書かれた頃にはすでに解決されていたもので、また『『荒涼館』に登場する子供たちにつながりがあるのは、一八五〇年代の社会環境というよりは、もっと早期の時代であり、その時代の世相なのである。(中略)われわれは少年期のディケンズとともにいるのだ』(P181)書かれた当時の時代のことではなく、ディケンズが少年期あたりの時代のことを書いているというのはなるほど。
 エスターの容貌は天然痘で損なわれてしまったと書かれるが、時の経過ではっきりとは語られないものの回復していることがほのめかされる、少なくとも読者にはそう想像させる。
 『ディケンズは良き道徳家であり、良き物語作者であり、かつ優れた魔法使いだ。が、物語作者としては、ディケンズは彼の他の長所とくらべて、やや落ちる。いいかえれば、彼は人物を描き、一定の状況における彼らの生きざまを描くのに非常に巧みであるが、それらの人物をさまざまに結び合わせて、筋を構成しようとすると、彼の作品には欠点があらわとなる。』(P304)
 「フロベール
 『若くて健康な夫が夜毎、自分の連れ合いのベッドがもぬけの殻になるのも気づかずに眠りほうけ、妻の愛人が鎧戸に投げかける砂や小石の音も聞こえず、土地のお節介焼きの誰からも匿名の手紙を一通も受け取ることがない、そんな小説なのである。(中略)その他さまざまな本当らしくない細部――たとえば、辻馬車の馭者のまったく信じがたい素朴さなど――が続出する小説なのであって、そのような小説がどういうわけか、いわゆる写実主義の里程標と呼ばれてきたのである。』(P344-5)『写実主義自然主義というのも、比較的な観念に過ぎない。ある時代の人々がある作家の中に自然主義と感じる者が、それより前の世代の人々には、うす汚い細部の誇張と見え、それより若い世代の者には、たいしてうす汚い細部ともみえないのだ。主義はやがて消滅し、主義者は死んでゆく、芸術は生き残る。』(P346)「ボヴァリー夫人」は写実主義ともいわれるが、すごさは芸術、小説としてのさまざまな工夫にこそある。