望郷の歌 石光真清の手記 三

望郷の歌―石光真清の手記 3  (中公文庫 (い16-3))

望郷の歌―石光真清の手記 3 (中公文庫 (い16-3))

 今巻は日露戦争に従軍した時の話、そして日露戦争後に世間の荒波にもまれ、色々と空回りして失敗を続ける日々が書かれる。後半の活躍の場を見出せず、失意の日々を見るのは、それまでの活躍、日本への貢献を見ているだけに悲しい。
 日露戦争開戦の布告を聞いて、日本に戻ってきた。しかし帰国後すぐに召集令状を受け取り、家に落ち着く暇もなく、再び大陸へと赴くことになる。
 橘中佐の葬式で、一番関係の深い石光真清が祭文を読むことになった。しかし関係が深い分色々なことを思い出してなかなか書くことができなかったので、森林太郎(鴎外)に代筆してもらった。その祭文の出来を奥大将らや税所少将に褒められて、いきさつを明かす。
 休戦条約が締結されたと聞いた時の、勝ったのかわからない将兵がすぐにはよろこべず、しかしともかく戦争は終わったんだという言葉が発されてからそうだそうだとなって、皆がようやく遠慮のない笑顔をしたというエピソードがいいね。
 休戦後、田中義一大佐から満州鉄道の会社ができたら勤めてもらうつもりだが、それまでぶらぶらしているのも辛かろうと陸軍通訳名義で満洲で仕事をしないかと言われた。大佐の好意で示されたその仕事だが、再び家族を置いて満洲に行くことになるので、家族からは喜ばれなかった。しかし、することもなく追いつめられた気持ちだったこともあり当人は喜んで満洲に再び赴くことになる。
 しかし最初から剰員としてあそばしておけと言われた受け入れ側の関東軍都督府陸軍部からは歓迎されず、下士官の仕事をせよといわれたことで、喧嘩別れで即日辞めることになる。そのまましばらく満州にいて、しばらく後に戦利品のロシアの郵便切手を処分するのを手伝って手数料を貰う仕事を弟から貰ったが、そのときちょうど戦前の真清を知っている人が救いを求めてきたので彼に仕事をしてもらうことにした。しかし彼がロシアの税関で怪しまれて、日本領事館に引き渡されたときに、堂々としていればいいのに変に狼狽したせいで、取り調べを受けることになる。そして、それが合法的なものであることがわかるも、弟が軽率な取り扱いをしたとして軽謹慎を命じられた。真清は、おそらく即日辞したことで感情を害し、また本部の田中大佐に申しびらきするために、石光真清はこんな怪しい人物であるというために合法であるのに弟にそんなことを命じられたのだと思って、満洲から去ることになった。
 そんなこんなで骨折り損のくたびれ儲けで、満洲から帰国することになる。
 しかし数ヵ月後に、満州での事業を計画している人物から満蒙産牛皮の輸入調査を依頼されて、再び満洲にわたることになる。しかしそれも失敗、その後も魚菜市場、石灰製造所、石材採掘所、などの事業をしようとするがどれも失敗に終わる。そういう中で、満洲には来たけれど上手くいかなかった不遇の人を色々見ることになり、そういう人についても色々と書かれている。
 そして今まで自分が嫌っていた満洲ごろ、満洲浪人に自分がなっていることに気づいて愕然とする。そんな折に海盗の首領の丁殿中を助けてほしいと、彼に命を助けられた本間徳治に頼まれた。そして彼の生業を会社にして、官の許可を得ようとするも、従来の海盗事業と変わらぬ内容を会社としてやろうとしても当然無理があり、結局日本側にはあしらわれて中国側には睨まれて終わる。
 そのため丁の身の安全が怪しくなり、彼を安東県へと逃がすことになる。そして海盗の食客になっていて、海盗の仕事についていき、その仕事を見ることになる。
 そんな身の上になっていたこともあり、日本に帰ることを決めた。そして明治四十年八月に何もつかめずに帰国することになる。
 しかし内地での就職が難しいこともあり、再び満洲に行き新たに作られた日清通商公司で仕事をすることになる。その会社も失敗する。今回の渡満で、菊池写真店をしていたときに出会ったロシア人アブラミ―スキーと出会い、彼に色々と協力してもらうも約束を心ならずも二度破ってしまい、信頼を失う。そしてまた帰国となる。
 帰郷し百姓をしようと思うほど行き詰る。そんな境遇に義姉が同情し、三等郵便局をやらないかといってきてくれた。そして東京世田谷村で郵便局長をすることになる。そのことでようやく生活も気持ちも落ち着き、穏やかな日常を得ることができた。
 最後に叔父の死、天皇の死について触れられて、明治が終わるとともに、この巻も終わる。