往生要集を読む


 源信「往生要集」は浄土信仰についてまとめられた本。その。『源信はこの著『往生要集』によって日本浄土教の基礎をつくったと言えよう。法も親鸞もこの基礎の上に自分たちの思想を展開したのである。』(P16)
 往生要集の全体の構成を簡単に説明した後に、思想的に問題となる点を指摘。「往生要集」の全体の三分の二は経論の文句の引用であるだが源信の経論解釈は正当だったかなどについて、古代インド諸言語(サンスクリット語パーリ語)の原文と比べる。そうしてインドの浄土教に比べての発展や歪みを見ることで、往生要集の特徴を明らかにしようとする。
 「往生要集」での章の順番通りに、どういった内容が書かれているかが説明しながら、その経論解釈はということが書かれる。
 地獄の観念、原始仏教時代のインドの民衆にあったものを取り入れたもの。『因果関係を現世だけに限ることなく、のちの世界まで延長すれば、悪の結果としての地獄の存在を当然容認せねばならなくなる。』(P22)迷える衆生の5つの生存領域(趣)、地獄・畜生・餓鬼・人間・神々(天上)。パーリ文では六道(六趣)は見られない。六道輪廻などの六道は、前述の五つに阿修羅を加えたもの。中国天台教学では六道が十界(六道+声聞・縁覚・菩薩・仏)のなかの六つを占めていたので、日本では天台教学の影響が強かったので六道が一般的になった。
 地獄の獄卒には魂があるか? アビダルマ教義学で大きな問題となった。有情ではないとすると、なぜ動作できるのか。『それは宇宙成立時期(vivartani)に起きる風のようなものである。つまりかれらは独立の存在主体ではないが、ひとりでに活動を起こすというのである。』(P54)一方で残酷な悪人はヤマ(閻魔)の手下の悪魔となると説く高僧もいた。『倶舎論』作者はヤマ王の使卒となって、地獄に投げ込む者は有情であるが、地獄に行った者を苦しめる獄卒は実の有情でないと解釈する。
 餓鬼。サンスクリット語パーリ語では死者を意味するにすぎなかった。中国では死者の霊を鬼と呼び、『インドのバラモン教およびヒンドゥー教の伝統的な観念によると、死者の霊は死後に子孫の供え物を待ち焦がれているから飢えているのだとして、「餓」の字を付加して「餓鬼」とよぶようになったのだと考えられる。』(P69)
 当初はインド一般の見解と同じように、幸運に恵まれた死者も不運な死者もいると考えられていた。後に『餓鬼とはつねに不運なものであり、その住処は悪道の中にある』(P77)と変わる。中国や日本でよく読まれた『大智度論』でもそう語られ、おそらくそれが餓鬼草紙にも影響を与えた。
 死に裏付けられている生存は苦である。そんな世を厭離する。その見解は小乗のものではないかという疑問に、源信は厭離は大乗仏教でも説くと『大般涅槃経』に収録されている原始仏教以来の有名な詩句を引用する。
 インドの仏教徒が想定していた浄土は多数ある。源信は西方にある無量寿(無量光・阿弥陀・アミターバ)仏が主である極楽浄土のことを強調して、他の浄土については述べない。
 『華厳経』の最後に出てくる「普賢行願賛」のサンスクリット文。『一切の仏たちをたたえ、人々に奉仕するというのが「普賢行願賛」の原型であり、アミターバ仏を讃える詩句は、のちにくわわったものであると考えられる。』(P108)
 『観無量寿経』では勢至菩薩も重要な存在であるが、源信はおなざりに言及するのみ。『ここにわれわれは、浄土教源信において「専念弥陀」への道をたどり、顕著に日本的となって行く過程を認めることができる。これがもう一歩進むと、やがて「唯称弥陀」となるのである。』(P119-120)
 源信による極楽浄土の描写。『もとの経典では、極楽浄土においては、清らかな水流、美しい鳥、みごとな樹木は、快く感せられ、説法を聞き理解するための間接的な助けとなるということが説かれているのであるが、源信によると、「水・鳥・樹木がみな妙法を演べている」というのである。文句は短いが重要な一言である。
 源信はここで日本天台の「草木国土悉皆成仏」という思想と相通ずる思想をもっていると考えられる。精神をもっているいきものだけがさとりに達する(=成仏する)ということは、インド以来一般に承認されていたが、日本天台出は精神的思考力の無い草木や国土までも仏と成り得るということを主張するようになった。これは或る意味で人類に普遍的な問題でもある。西洋でも、人間ばかりでなく自然万物は救済され得るかどうかということが問題とされた。西洋の神学では、これを宇宙的旧債(cosmic salvation, kosmiche Erlösung)と呼んでいる
 ところが源信は、さらに一歩進めている。極楽浄土では水・鳥・樹林が妙法を解いているのである。自然万物が、<救われる主体>であるばかりでなく<救う主体>であるという思想が、はたして他の文化伝統に置いて存在するかどうか。一つの大きな問題を提供する。』(P127-8)
 草木成仏論、中国で三論宗の吉蔵『大乗玄論』が最初に主張し、その後草木成仏が広く説かれる。天台六祖の湛年(711-783)の『金錍論』が日本に大きな影響力を与える。そうした草木成仏論は日本で受け入れられて、さらにもう一歩発展があった。(「日本仏教史」より)
 『極楽世界では、さとりの道へ進んでゆくことができるという楽しみがある。源信によると、極楽往生とさとりを得ることとは一応区別されていた。前者は後者への準備なのである。(のちに浄土真宗の驚愕では、往生即涅槃、すなわち極楽往生ニルヴァーナに達することは同一であると解するに至ったが、源信はまだ古来の伝統的観念をまもっている)。』(P131)
 源信、『極楽浄土で修業してさとりを開いてのち、この世に帰って来るのである。そして、またブッダとして現れて、悩める人々を救うというのである。これは浄土経典には明示されていなかった思想である。』(P133)源信は穢土で人々を救うことを問題にしていて、『やがて現世における利他的活動を強調する方向に踏み出しているのである。』(P134)
 源信は『法華経』の文句を引用して、『ちょっとした崇拝儀礼を行った者でさえも、悟りを開いて仏になることができる。だから、修業に励んだものはなおさらである。また仏になれるのだから、極楽浄土はもちろん可能である、というのである。源信の思想は、浄土教のうちでは自力的であったと言い得るであろう。』(P140)
 『自分ひとりが極楽浄土に生まれたいと思うのは、利己主義ではないか。』(P153)という問いに、源信は経論を引用して、違うと述べる。しかし極楽往生が利他のためということは浄土経典には説かれていない。『四十八願は利他的であるが、それは法蔵ビクが発願したのであり、極楽往生を願う凡夫はそういう発願をしない』『そのことは、極楽往生利他主義的性格は、源信が始めて明言したという証するわけになる。これは浄土教における大きな転換である。』(P154)
 『仏教一般の教義学によると、アミターバ仏は「報身」の一つである。報身とは、過去の修業により功徳を積んだブッダの完全なすがたであり、あらゆる美徳を具えた理想的な完全な人格を表現している。ところが源信によると、言語表現や概念的思惟を超越したものである「法身」も、この世で人々を救い助けるすがたの「応身」も、すべて、アミターバ仏であるということになると、これは論理的には既存仏教驚愕の破壊である。だから、かれは控え目に、ひそかに記しているだけであるが、この寸言は注目すべきである。』(P193)
 源信阿弥陀仏を観する時、仏の座を観ずるだけでも極楽往生できると説いた。また凡夫には仏の姿や極楽浄土全体を想像するのは困難だから、仏の白毫を観想すればいいと述べる。その源信が述べた仏の白毫を念じるというのがさらに前進して口称念仏に至る。
 阿弥陀仏の信仰を強調し、他の諸仏については、阿弥陀仏と他の一切の仏は同体であると説明する。
 縁起の意義を突き詰めると、煩悩(妄心)は<不生>。源信は煩悩が実際起こることにどうするかという問題には深く触れておらず、それは後の法然親鸞が扱うことになる。
 念仏をすすめる理由。『四十八願の中に、念仏門に於て別して、一願を発して云く、『乃至、十念せん。もし生れは、正覚は取らじ」と。』(P237)また『観無量寿経』での『極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得。』(P238)という言葉を根拠としている。下品下生の者のための教え、法然親鸞もそうした者たちのために教えを説いた。
 『かれは『往生要集』の末尾でいう。
 我もし道を得ば、願はくは彼を引摂せん。彼もし道を得ば、願はくは我を引摂せよ。乃至、菩提まで互に師弟とならん。(三一九ページ)
 「互いに師弟となろう」。驚ろくべき表現である!
 こういう文句は西洋には無かったはずである。何となれば、西洋には殆ど輪廻転生の観念が成立しなかったからである。西洋中世では現世においては、MeisterとSchülerとの関係、master-apprentive-relationshipは厳として存在し、逆にすることはゆるされなかったにちがいない。いわんや宗教団体においてはなおさらのことである。
 これに対して南アジア、東アジアでは輪廻転生の観念は認められていたが、「互いに師弟となろう」というような、ひたすらな学問志向の精神は表現されなかったと思う。
 源信は全くユニークな、独自の思想家であった。』(P285)