ネアンデルタール人は私たちと交配した

ネアンデルタール人は私たちと交配した (文春e-book)

ネアンデルタール人は私たちと交配した (文春e-book)

 kindleで読了。
 ネアンデルタール人のDNAを復元した学者の、DNA解読をめぐる自伝的な本。第1章では、ネアンデルタール人のDNAの一部が解読されて、その成果を最初に発表するまでの話が書かれる。そして第2章以降では著者の研究生活、いかにして古代DNA研究の世界に入って、それからどんな仕事をしてきたかや私生活の事などについて時系列で書かれる。

 ○mtDNAについて。
 1996年にはじめてネアンデルタール人のDNAの一部を発見。著者らがネアンデルタール人のDNAでまず探していたのはミトコンドリアDNA(mtDNA)。これは『ひとりの人のmtDNAはどれも同じで、そのゲノムは全体のわずか0.0005パーセントでしかないが、1個の細胞が数千個のmtDNAのコピーを持っているため、mtDNAでないDNA、つまり細胞核の、母親由来と父親由来のふたつしかない核DNAより、はるかに研究がしやすい』(N130)。発見したDNA(mtDNA)は、それまで調べられていた数千人の人間のmtDNA配列にはない配列だった。明らかに人間のものに近かったが、そのいずれともわずかに異なっていた。

 ○DNAの変化や損傷
 古代の骨であるネアンデルタール人の骨。
 DNAの損傷、日々起こっているが生きていれば修復される。『実のところ、こうした修復システムがなければ、細胞の中にあるゲノムは1時間も同じ形ではいられないのだ。』(N199)当然死後にはDNAが修復されなくなる。そして死ぬと『酵素が漏れ出し、手当たりしだいにDNAを分解し始める。そういうわけで、死後、数時間、或いは数日のうちに、体内のDNA鎖はどんどん切断されて小さな断片になり、また、さまざまな損傷が蓄積していく。』(N211)そうした過程を経てDNAはばらばらに分解されて消える。
 何兆の細胞がDNAを持つので、例えばDNA分解前に水分がなくなれば、DNAの一部が長く残ることもある。そして骨や歯など硬組織中の細胞のDNAが死後に『骨のミネラル成分と結びつくことがある。そうなると酵素の攻撃から守られるので、中には死後の分解と損傷の嵐に耐えて残るDNAもある。』(N223)
 そうして残っても宇宙線が緩やかなペースではあるものの、DNAを変えたり壊したりする。そのため四万年前のネアンデルタール人のばらばらになったDNAを探すのは困難だった。

 ○古代DNAを抽出する難しさ。人間による汚染。
 しかし『古代の骨からの抽出物――古代のDNAをわずかに含むか、まったく含んでいない――には、現代人のDNA分子が混入している恐れがあったからだ。用いた薬品、研究室のプラスチック容器、空気中の埃――人間のDNAを運ぶ媒体はいくらでもある。実のところ、人間が暮らす部屋や仕事をする部屋にある埃の大半は人の皮膚の断片で、その細胞は完全なDNAを含んでいるのだ。また、かつて博物館や発掘現場でその化石に触れた人のDNAが混入している可能性もある。』(N260)そのように現生人類のDNAが多いに混じるので、現生人類に近いネアンデルタール人のDNAを復元するのは難しい仕事。

 ○DNA研究の道へ
 著者は最初エジプト学を志していたが、歩みが遅くて好みでなさそうと悟る。その後医学の道を進み、そこで分子生物学と出遭う。そして、それでミイラのDNAを調べられるのではないかと思いつき、ミイラのDNA解読に取り組む。その論文はネイチャーに発表されたが、その論文を見た著名な進化生物学者アラン・ウィルソンからサバティカル休暇の1年を「ペーポ教授の」研究室で過ごさせてくれないかという手紙が来る。インターネットもない時代だからこその誤解であり笑い話、面白い。
 その後、そのアランの研究室に入った著者。PCRで古代の動物のDNAを増幅・解析しながらDNA回収技術への理解を高めた。そこで得た知見『古代の遺骸に残っているDNAは一般に短く、多くが科学的に変化しており、時には互いに絡み合ってつながっていることを述べた。DNAの損傷は、PCRでの増幅に様々な影響を及ぼした。中でも深刻な問題は、古代のDNAは総じて短く、長い断片の回収は難しいということだ。』(N977)

 ○汚染への対策、古代DNA研究の難しさ
 動物のmtDNAを採集しようとして、人間のmtDNAを採集してしまうと間違いに気づけるが、古代人のものだと混入に気付くのが難しく混入は一層厄介な問題になる。そのため著者はシベリアマンモスなど絶滅動物を研究対象にしていた。
 それでも人間のDNAが非常によく混じるので悩む。それまで同じ作業台で人間や他の生物のDNAを大量に扱っていたのでそれを改める。PCRの感受性が強く『もしほんの一滴でも、現代人のDNA溶液が古代のDNA抽出物の中に紛れ込んだら、古代の細胞に由来するほんのわずかなDNAは、現代人のDNAに圧倒されてしまうだろう。』(N1122)
 それで専用の研究室を作り、他の実験から分離することで状況は改善した。そうして実験室のクリーンさのために厳格なルール(週一の漂白剤での洗浄、毎晩の紫外線照射をして、必要な道具を直接その部屋に運び研究所の他の部分を経由させないなど)を定めた。そのルールを現在も使用している。
 他の古代のDNAを採集しようとした研究チームの中には、そのような厳格なルールを使わないために、琥珀の中のDNAや恐竜のDNAなど数百万年前、数千万年前のDNAを採集したと発表するところもあった。もし『暑さも寒さもほどほどで、酸性もアルカリ性も強すぎない環境にあれば、DNAはどのくらいの期間、保存されるかについて、リンダルの研究に基づいて大ざっぱな計算を試みた。そして数万年――きわめて恵まれた環境でなら数十万年――が過ぎると、分子はすべて消滅するという結論にいたった。』(N1209)そのようにあるはずもないDNAの発見、つまり混入したDNAを古代の物と勘違いしている。そのようなものが世間を騒がせていた。恐竜のDNAとかあり得ないものなのね。

 ○ネアンデール人のDNA研究に取りかかる
 ネアンデルタール人のDNAを調べることになる。そして1章にあるようにネアンデルタール人のmtDNA配列の採集に成功した。第二のネアンデルタール人の配列を別グループが、第三を著者の同僚が発表。『遺伝学の理論では、3つの配列があれば、ある集団のすべてのmtDNAにつながる系統十の、主軸となる枝の標本を抽出した可能性が50パーセントになるとされている。』(N1660)そのためネアンデルタール人の遺伝バリエーションについて仮説として何かを語れるようになる。例えばネアンデルタール人の3つの配列に3.7%の違い、現代人のmtDNAの配列の違いは平均3.4%。チンパンジーは14.8%、ゴリラは18.6パーセント。DNAバリエーションの少なさから、現代人と同じく小集団から増えたのではないかと考えられる。
 パイロシーケンス法、2003年には『一度に96個ではなく、20万個のDNA断片を同時にシーケンシングできるようになった!/ そのパワーをもってすれば、古代の骨から抽出したDNA断片を手当たり次第に配列決定し、含まれる全配列を明かすことも可能だと思えてきた。この力ずくのアプローチは、狙いをつけた配列の断片を見つけ出そうとするPCRの方法とは全く違っていた。PCR法は手間がかかるだけでなく、(探す配列を事前に決めなければならないので)狙ったもの以外の配列は分からない。』(N2318)そのような革新的な新技術が登場。
 見切り発車で2年以内にネアンデルタール・ゲノム解読を公言したが、肝心の次世代シーケンサーや多額の資金、良質のネアンデルタール人の骨のいずれも持っていなかった。
 更に2年というのはシーケンサーの効率がとても良くなることを見込んでの数値とか、正直何を思ってそんな宣言をしたのかがよくわからない。通常廃棄される再度フラクションの再利用ができるようになり、抽出したDNAをライブラリする過程が効率的になる。他にもいろいろと新しいアイデアのおかげで何とか間に合う。

 ○ネアンデルタール人と現代人
 現代人とネアンデルタール人との差異。『わたしたち(およびネアンデルタール人)とチンパンジーの共通の祖先が、650万年前に生きていたとすると、わたしたちとネアンデルタール人の共通の最後の祖先は83万年前(650万年×12.8%)に生きていたことになる。エドが数組の現代人どうしについて同じ計算をしたところ、共通の祖先はおよそ50万年前に生きていたことがわかった。』(N3821)83万年、現代人とネアンデルタール人の共通の祖先が生きていた年代の平均値で、83万年前に現代人とネアンデルタール人が分岐したことを意味しない。両者の分岐は27〜44万年前の間のどこかで起こったと推定。
 『アフリカ人と非アフリカ人のSNPを照合すると、ネアンデルタール人のゲノムは常に、非アフリカ人のゲノムと約2パーセント多く一致したのだ。』(N3950)ヨーロッパ人に特別ネアンデルタール人の血が濃いとかもなく、ネアンデルタール人は非アフリカ人(フランス、中国、パプアニューギニア人など)に一定の遺伝子の寄与がある。そのことから著者はおそらく中東で両者は出会い交配したので、非アフリカ人に同じくらいのネアンデルタールのDNAを持つのだろうと考えた。
 ネアンデルタール人から現生人類への遺伝子流動が起こっている。優勢な方から劣勢な方へと流動しがちということから考えると、ネアンデルタール人が絶滅したことから結果論的に現生人類が優勢だったと考えがちだが実は違ったのかもしれないという可能性も考えられる。
 ネアンデルタール人から寄与された遺伝子。 『モンティ・スラトキンは、両者の人口史をモデリングすることによって、寄与された遺伝子の割合を推定した。その結果は、ヨーロッパ人かアジア人の祖先をもつ人々は、1〜4%のDNAをネアンデルタール人から受け継いでいるというものだった。ライシュとパターソンは別の方法(ヨーロッパ人とアジア人のDNAが、100パーセント、ネアンデルタール人であるDNAとどれほど違うかを調べる)によって、1.3から2.7パーセントという答えを出した。以上の結果からわたしたちは、アフリカの外の人々のDNAの5パーセント未満がネアンデルタール人に由来する、と結論付けた』(N4102)。
 他のグループが『現代のヨーロッパ人とアジア人には一般的でアフリカ人には見られない特殊なMHC遺伝子の変異が、ネアンデルタール・ゲノムに見つかったことを報告した。(中略)現生人類と遭遇したとき、ネアンデルタール人はすでに20万年以上、アフリカの外で暮らしていたため、彼らのMHC遺伝子変異はアフリカには存在しないヨーロッパ特有の病気との戦いに適応したのかもしれない。故にそれらを受け継いだ現生人類は、受け継がない人より生き延びやすくなり、その結果、これらの変異は高頻度で見つかるようになったのではないか、とピーターは見ている。』(N4677)

 ○デニソワ人
 2009年デニソワ人の発見。現生人類とチンパンジーが600万年前に分岐したとすると、ネアンデルタール人とは50万前に分岐(上で引用したN3821 の推定では、人類とチンパンジー650万年前分岐と推定して、何時ネアンデルタール人と分岐したかを推定しているので、ちょっと数字違う)。そして現生人類とデニソワ人とでは100万年前に分岐したことになる。
 デニソワ人とネアンデルタール人の核DNAは良く似ているが、デニソワ人は『ネアンデルタール人とはずいぶん長期間にわたって交流がなかったことも示された。それは、現代のフィンランド人がアフリカ南部のサン人と、遺伝子レベルでほとんど交流がないことを見ても納得できる話だ。デニソワ人のDNA配列はアフリカ人よりもユーラシア人の配列にやや近いが、ネアンデルタール人の配列にはもっと近かった。(中略)そして、ネアンデルタール人が現生人類と交配した時代に、ユーラシアにいた現生人類は、ネアンデルタール人のゲノムを通じて、デニソワ人のゲノムを受け継いだと考えられる。』(N5046、5058)ネアンデルタール人とデニソワ人の違いは、スウェーデン人である著者とサン人との違いと同程度。
 かつてシベリアに住んでいたデニソワ人は、他の人種よりもパプア人とのより多くのSNPを共有している。『デヴィッドとニックは、デニソワ人とネアンデルタール人のゲノムのデータから、アフリカの外の人の、ゲノムの約2.5パーセントはネアンデルタール人由来で、パプア人はそれに加えて約4.8パーセントをデニソワ人から寄与されたと推定した。したがってパプア人は2.5パーセントプラス4.8パーセント、およそ7パーセントを初期人類からもらったことになる。』(N5130)

 現在判明している古代人から継いだ遺伝子の濃さや薄さについて著者はTEDでの講演で『これが意味することは アフリカ以外の人とアフリカ人との間に 決定的な違いがあるのでしょうか? つまり アフリカ以外の人は 絶滅した人種のゲノムの一部を 受け継いでいるのに対し アフリカ人は持たないのでしょうか? そのようなことはないと思います おそらく現代人は アフリカのどこかで生まれました そして当然ながらアフリカ中にも広がり そこには古代人もいました そして別の地域でも交配したように アフリカ人から古代人のゲノムを 将来発見した際には 間違いなく アフリカの現代人の祖先もまた その古代人と交配したことが分かるでしょう』(「スバンテ・ペーボ DNAがつなぐ私たちの内なるネアンデルタール人 TED Talk TED.com」より)と語っている。他にも人類は現在は未発見の古代人の血を継いでいるだろうというのは面白い。