謎の独立国家ソマリランド

 ソマリアは『大きく以下の三つの地域に分かれているのだ。/「民主主義国家」のソマリランド/「海賊国家(?)」のプントランド/「リアル北斗の拳」の南部ソマリアイスラム過激派、暫定政権、その他武力勢力が覇権を争っている)』(P54)他の地域が海賊で世界を騒がしたり、戦乱が続いている中で平和を保つソマリランド。本書ではそんなソマリランドを中心にソマリアの3地域のことが書かれている。
 ○ソマリランドの首都ハルゲイサの平和
 ソマリランドの首都ハルゲイサ。『この街が何よりもすごいのは、銃を持った人間を全く見かけないことだ。民間人はもちろんのこと、治安維持のための兵士や警官の姿もない。いるのは交通整理のお巡りさんだけだ。アジア、アフリカの国でここまで無防備な国は見たことがない。』(P49)
 ハルゲイサは夜でも外国人が普通に街に出歩けるし、街では携帯でゲームをしながらはしゃぐ十代女子のグループとすれ違うという平穏さがある。
 南部ソマリアソマリア共和国時代の首都『モガディショの金持ちの中には、年に一回、ソマリランドに避暑ならぬ「避戦」に来る人も多いとワイヤッブは言っていた。地元は年中戦争なので、たまには家族揃って「平和」を満喫しにハルゲイサに行くというのだ。』(P452)

 ○ソマリ人社会において重要な概念である「氏族」
 1991年に崩壊したソマリア共和国は95%以上が同じソマリ民族の国で、その中の争いは氏族間の抗争。『氏族とは日本の源氏や平氏、あるいは北条氏や武田氏、徳川氏みたいなものである。武田氏と上杉氏の戦いを「部族抗争」とか「民族紛争」と呼ぶ人はいないだろう。それと同じくらい「部族〜」という表現はソマリにふさわしくない。』(P98)
 そしてソマリ人にとって氏族は非常に重要な概念。そして氏族の中でも○△分家、△□分分家、□◇分分分家……と細かく分かれている。本書では馴染みのないソマリの氏族名や重要人物をわかりやすくするために便宜上日本の歴史上の氏族名や有名な歴史上の人物の名をつけている。
 ソマリ人にとって氏族は日本人にとっての住所や本籍のようなもの。『私たち日本人が重要犯罪で指名手配されたら、出身地、親族、職場のつながりなどでほとんどが捕まるように、ソマリランドでも、掟を破ったら氏族の網を通じて必ず捕まるのである。つまり、氏族間で抗争がないかぎり、治安はとてもよく保たれる仕組みができている。』(P103)
 『ソマリランドの人間は、基本的にエチオピア人のリシャンが言っていたとおり、「傲慢で、荒っぽい」人たちである。「弱肉強食」という言葉をこれほど実感させる民族は珍しい。』(P145)
 しかし『どのソマリ人も群れ(氏族)の網できっちりとまとめられているので、大それた逸脱行為はしにくい。氏族間の戦争になっても、それを解決するメソッドが確立されている。/ そのうえに成立したのがソマリランド共和国なのだ。』(P147)

 ○ソマリランドの歴史
 1960年6月26日に英領だったソマリランドが独立して、7月1日にイタリア領だったソマリア共和国と合併。1969年クーデターでダロッド平氏シアド・バーレ(バーレ清盛)が権力を握って、その後独裁政権を築く。1991年にモガディショでハウィエ源氏のアイディード将軍(アイディード義経)によりバーレ清盛政権が倒された後、アイディード義経と同じくハウィエ源氏のアリ・マハディ(アリ・マハディ頼朝)が対立する。その対立からモガディショで民間人を巻き込む無差別な攻撃が起こり、その後も続く南部ソマリアの戦乱が始まる。
 『ソマリ戦国史を見ていくと、大局的には(中略)大きな氏族ごとに対立が起きるが、どちらかが勝つと、今度は必ずと言っていいほど、同じ氏族内の分家同士で衝突する。そして、またその争いにどちらかが勝つと、勝った方の分分家同士で富や権力をめぐって激突する。
 だから、ソマリ社会では覇権がちっとも誕生しない。むしろ、権力が支配地域がどんどん細分化されて行く傾向にある。』(P170)
 バーレ清盛政権の崩壊後、ソマリランドは独立を宣言。ソマリランドもイサック藤原氏内部の争いからソマリアの他の地域と同様に内戦となったが96年に二度目の内戦が終結し、武装解除。2000年に複数政党制による民主化に移行した。

 ○ソマリランドの政治制度
 ソマリランドには貴族院的な長老院と政党による議会がある。そして政党による議会では、政党の数が3つに限定して政党が『「特定の氏族を基盤としない」ように工夫が凝らされている。』(P513)10年毎に政党を選ぶ選挙が行われて、大統領は各党が1人候補者を選んで国民が選ぶ。そのようにソマリランドはソマリ人の伝統、社会に合った独自の見事な制度を作り運用している。
 『ソマリランドはもう十五年間も高度な治安を維持し、(中略)内部崩壊するどころか、危機を乗り越えるたびに、「イサック藤原氏と他の氏族の和解」「内戦終結」「全氏族の契約」「(大まかな)武装解除」「複数政党制へ移行」「普通選挙による大統領選出」「平和裡の政権交代」とどんどん国家のレベルをアップさせている。』(P527)

 ○プントランドの特色、政治制度
 プントランドでもこの20年大きな戦争がない。『大規模な内戦はないが、小さい戦闘がちょくちょく起きているのがプントランドの特徴であるらしい。』(P282)
 『プントランドの民主主義はこうだ。議会の議席は氏族ごとに細かく割り振られている。各氏族は自分たちで選挙を行う。(中略)要するに、プントランドは氏族が政治を行っているのである。』(P511-2)
 プントランドでは『驚いたことに、政府は兵士と武器をセットで、各氏族から徴収して「政府軍」を作っているのだという。その「徴収」の割当比率は、まさに国会議員の議席数の割り当てと同じ。
 政府が徴収しているといえば聞こえがいいが、要するの各氏族が自分たちの兵を政府に貸しているだけなのだ。』(P289)

 ○プントランド軍と氏族、海賊の関係など
 『プントランド政府軍というのは、国連軍とか多国籍軍みたいなものだ。ソマリランドとかイスラム過激派といった大きな敵なら共同で出兵するが(中略)海賊がどこかの船を拿捕した時、同じ氏族の部隊は出動するはずはないし、他の氏族の部隊だって、わざわざ氏族間の対立をあおるような行為を取るわけがない。「内政干渉」だし、彼らの氏族にも海賊はいるのだ。』(P290)『船一つ乗っ取られるたびに交渉が起き、長老が呼ばれ、結構な額の謝礼か日当が払われる。長老以外にも車代、食費、宿泊費、護衛の兵士代と、今私が払っているものがみんな、氏族に支払われる。氏族全体にとっていいことずくめなのだ。それをあえて止めようという人間がいるほうがおかしい。』(P272)
 文庫あとがきを見るとプントランドの海賊は激減し、『先日(二〇一七年三月)にタンカーが襲われて奪われたが、「五年ぶりの海賊事件」と報道されたほどだ。』(P559)
 『「どうしてプントランドソマリランドのように武装解除ができなかったのか」と訊いたら、面白い答えがかえってきた。/ スレイマン曰く、「イサック(藤原氏)は氏族(分家)同士の差異が大きく、対立も深かった。だから武装解除しなくては一緒にやって行けなかった。しかしマジェルテーン(北条氏)はほぼ一つの氏族(分家)なので、かえって武装解除できなかったんだ。」/ たしかに、マジェルテーン北条氏は「ダロッド平氏」の中の「東国ダロッド平氏」のさらに分家である。均質性が高い、親しいゆえに武装解除という思い切った方策がとれなかったという意見には説得力があるし、「分家間の小競り合いや抗争はあるが大きな内戦は一度も起きたことがない」というプントランド特有の状況をよく説明している。』(P294)

 ○モガディショの繁栄とその理由
 さまざまな勢力が入り乱れて戦乱の続く南部ソマリア。しかし旧ソマリア時代の首都モガディショは20年間ほとんど戦火が絶えたことがないのに、大規模な紛争がしばらくないプントランドや平和が続くソマリランドよりも栄えていた。
 『建物はそこらじゅう、銃弾の跡だらけで、砲弾により崩壊しているものも珍しくなかったが、道端にはオレンジやマンゴー、サモサなどの露店が出ているし、通行人の数も多く、荷物を満載したトラックや荷馬車が行き交い、活気に満ちている。(中略)店のつくりもそこに出入りする人の服装も、プントランドソマリランドよりずっとあか抜けている。』(P359)
 旧ソマリアの首都モガディショには国連やNGOなど国際社会から多くの援助が来て、それを配ったりするために多くの費用が現地の人々に支払われる。そして外国の兵士の駐留費用でも金が落とされ、停戦したら復興・人道援助で金が来る。『トラブルを起こせば起こすだけ、カネが外から送られてくる。誰も真剣にトラブルを止めようと思うはずがない。プントランドが海賊を基幹産業としているのと同じで、モガディショはトラブル全般が基幹産業なのである。(中略)モノも金も人もここに落ちてくる。だから、みんなして、モガディショに殺到し、落ちてきたものを奪い合う。だから、戦争が終わらない。モガディショは都であり、ここを取ったものが勝者になるのだ』(P433)
 ソマリ人はせっかちで荒々しい人も多いが、モガディショの人は穏やかで付き合いやすい。『結局のところ、モガディショの人たちは都の人なのである。(中略)応仁の乱の荒廃の中でも、きっと京の人は、他の土地の人たちに比べたら、依然として雅だっただろうと、かつての日本に思いを馳せてしまったほどだ。』(P440-1)