図説 金枝篇 下

図説 金枝篇(下) (講談社学術文庫)

図説 金枝篇(下) (講談社学術文庫)

  • 作者: ジェームズ.ジョージ・フレーザー,メアリー・ダグラス,サビーヌ・マコーマック,吉岡晶子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/05/12
  • メディア: 文庫
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 上巻を読んでから、下巻を読むまでかなり間を空けてしまった。各部の最初に、その部で書かれることの概略が書かれているのがいいね。
 ○神々の結婚と死と再生の神話とそれを模倣した儀式
 『人々は、季節の変化、特に植物が毎年生育し枯れ死することを、神の生涯に起こる挿話的な出来事としてとらえ、その悲しい死と喜ばしい復活を、悲劇と歓喜で表す聖劇の形の儀式にして祝っていた。しかし、その祝祭は、聖劇の形をとっていたとしても、本質には呪術であった。つまり、その呪祭の意図は、冬の訪れで危険に晒されたかにみえる植物が春に再生し、動物が繁殖するのを、共感呪術によって確かなものにすることにあったのだ。』(P53)
 『ヘブライの王たちの歴史をみると、歴代の王が神の、それもこの国の神であるアドニスの役割を演じてきた痕跡あるいは名残と解釈できるいくつかの特徴がみられる。』(P29)
 古代地中海沿岸地域の人々が崇拝した神アドニスは植物とくに穀物の神だった。そして『西アジアギリシアの各地で行われていたアドニス祭では、毎年、主に女たちがアドニスの死を激しく嘆き悲しんだ。死装束のアドニスを、埋葬地に向かうときのように担ぎ、海または泉に運んで投げ込んだ。さらに翌日、アドニスの復活を祝う地方もあった。』(P38-9)
 そのように『女たちが毎年、嘆き悲しんだアドニスの死は、自然の生命をふたたび活気づけるために王を死に至らせるという慣習の反映であることもあきらかになったのではないだろうか。』(P38)アドニスと森の王は、『自然再生産力を保持するために死ななければならなかったという点』(P16)が共通する。
 ○災厄転化の儀式
 多くの国で見られる『災厄をおおやけの儀式によって追い払う慣習をざっとみてきたが、全般に共通する点がいくつかみられる。』(P142)
 その共通する点の中の一つの『神格をもつ人間か動物を身代わりにする点がとりわけ注目に値する。(中略)人々の罪と悲しみをその身に引き受けて運び去るために、なぜ死にゆく神が選ばれなければならないのか。それは、神を身代わりに用いる慣習がかつてはまったく別個の独立した二つの慣習の合わさったものだからである。これまで見てきたように、一方には、神の命が老いて弱っていくのを救うために人間神や動物神を殺す慣習があった。また他方では、やはりすでに見てきたように、毎年一度、災厄と罪の総祓いをする慣習もあった。』(P145)本来は二つの慣習は別で、『死にゆく神が殺されたのは、本来は罪を取り除くためではなく、老いて衰えていく神の命を救うためであった。ところが、とにかく殺される運命にある死にゆく神なのだからと、自分たちの苦しみや罪を背負ってもらうのに、この機会を逃す手はないと人々が考えたとしても無理はない。』(P145)そして災厄の排除と豊穣祈願の2つの意味を持つ儀式となる。
 ○身分の低いものが王や主人に扮する祭りと、短期間の仮の王のいけにえ
 ローマのサトゥルナリア祭では、祭りの間は奴隷が主人を罵ることが許され、そして『主人と奴隷の地位が逆転して、主人が食卓で奴隷の給仕までする。』(P169)
 聖ダシウスの殉教物語に残っている伝説によると、ローマ兵は下モエシアのドゥロストルムで毎年サトゥルナリア祭の三十日前にくじで仲間から一人を選びサトゥルヌス王の扮装をさせた。王の役の男は三十日の期間中好きなことすることができたが、祭りの日がくると『男は自ら扮する神の祭壇に立ち、わが喉をかき切って果てた』(P170)。バビロニアのサカイア祭では祭りの期間中だけ一人の罪人が専制君主を演じ、本物の王の愛妾たちを自由にし酒色にふけったが、最後には縛り首もしくは磔にされた。
 『もともと、王としての任期は一年限りだったようで、任期が終わると殺されることになっていた。しかし、やがて王は力ずくあるいは策略によって、その統治期間を延ばそうとはかり、ときには代理に王をたてて、短期間だけ名目上の王座をゆずったあと、その代理の者を自分の身代わりに殺させたのである。最初は神格をもつ王の代理を務めるのは、やはり神格をもつその息子だったと思われるが、後にこの掟は守られなくなり、さらに時代が過ぎると、慈悲の心が生まれ、犠牲にするのは罪人にすべきということになった。(中略)神格の堕落はとどまるところを知らず、犯罪者でさえ縛り首や火あぶりにされる神の化身としてはもったいないと考えられるようになり、しまいにはいささかグロテスクな人形をつくり、それを哀れな代理に仕立てて、神として縛り首や火あぶり、その他の形で破壊するしかなくなる。』(P197)
 ○森の王の後任者が金枝を折る意味
 なぜネミの祭司(森の王)は、後任者が前任者を殺す前に聖樹(オーク)の金枝を手折らなければならなかったのか。
 『ヤドリギにはオークの生命が宿っているとみなされていたので、そのヤドリギが無事でいるかぎり、オークを殺すのはもちろん、傷つけることすらできなかったのだ。』(P269)霊魂を体の外の安全な場所にしまうという考えは多くの民族に見られるものであり、冬にオークの葉が落ちた後もヤドリギが青々としていることからそのような考え方が生まれたのだろう。そしてヤドリギが金枝と呼ばれた理由は『たぶん、切りとったヤドリギの枝を数カ月おいておくと、見事な金色がかった黄色になるからだろう。その鮮やかな黄金色は葉だけではなく茎にまで及び、枝全体がまぎれもなく「金枝」にみえるようになるのだ。』(P291-2)
 オークの樹木の化身であった森の王の後任者が金枝を手折らなければならなかったのは『オークの樹霊である「森の王」の命または死はヤドリギに宿っていたのであり、そのヤドリギが無事であるかぎり、「森の王」も、バルデルの場合と同じように、死なずにすむのである。だからこそ、「森の王」を殺すには、やはりバルデルの場合と同じように、その枝を投げつけなければならなかったのだろう。』(P289)