魔境アジアお宝探索記

 kindleで読了。
 著者は東南アジアで長年骨董品を探して買い付けている骨董品のディーラー。そんな著者が骨董品を買い付けに行った時に体験した様々なエピソードが収録されている。
 「銃の爆発」馴染みの骨董屋の店主からササン朝ペルシャの瓶を買おうとして、その値段について丁々発止なやり取りをする。最終的に望んだように値切れて気分よく帰ろうとして、ドアを開けて外に出たらその店のガードマンの銃が偶然暴発して顔の近くをその弾が通過した。その後『「ミスター、すみません」/ どんなに大変なことが起こっても、我々はこれ以上の言葉を持ってはいない。』(N298)と他人事みたいな締められ方にくすりとさせされる。
 「呂栄葉茶壺」平安末期から鎌倉時代に中国から伝わった葉茶壺が戦国時代に名物化していた。戦国時代に呂栄(ルソン)貿易を得意とする商人呂栄助左衛門は、宋時代にフィリピンに渡っていた葉茶壺を見つけて、それらを買って大名に売りさばいて莫大な富を築いた。
 著者は客からの依頼を受けて呂栄葉茶壺を手に入れようとフィリピンのディーラーたちに声を掛けて探してもらったら多くの葉茶壺がでてきた。『壺は中国から茶を詰めて送られてきた容器である。それが我が国では将軍家や寺院が宝物として保存し大切にしていたが、フィリピンではシャーマンの薬入れとして用いられていたのであった。』(N754)日本では貴重な骨董品だが、フィリピンではシャーマンの薬壺として現役で使われていたというギャップが面白い。
 「埋掘と山芋」河川が増水し色々なものを呑みこむ。そうした宝をあてこんで、河川の近くを掘るということを近くの農民たちが農閑期にやっている。著者がたまたま、ある村に行った時、そうして地面を掘って古い宝物を探しているところだった。そして素晴らしい大壺のふたが既に発掘されていて、本体が発掘されればよい値段つくので本来の予定をキャンセルして村に滞在して壺の本体がでてくるのを待っていた。何かが見つかったらしいので、著者は大壺が出たかと思っても掘り出されるのを待っていたら、発見された大物は壺ではなく大きな山芋だった。この笑い話もいいね。
 「シェパードと蚤の市」『カンボジアでは内戦も終わり、外部との交流が活発になってきた。危険ではあるが外国人も南部へ旅行できるようになった。/ このような時期が骨董の仕入れにとってベストタイミングだ。/ 規制が緩やかで現地通貨が安く、円のメリットが十分に生かせる。骨董品はカンボジア国内での需要はほとんどなく、そのため、値打ち物をたやすく入手することができるのだ。(中略)経験から言って、開国から概ね一年ぐらいで規制が強化される。規制までの間、それは宝の山に踏み込んだようなもので、すばらしい美術品がタダ同然で買える事もある。骨董ディーラーで成功した人たちは、ほとんどがそのタイミングを見事に捕らえているのだ。』(N2306)著者のような骨董ディーラーの人たちにとってはそうしたタイミングが絶好の機会。
 「蝶の谷と交趾大亀香合」著者は観光気分で以前宝物が発見されたという洞窟に入る。案内してくれる同行者はもう何も残っていないだろうが癖なんだと言い訳をしながら、鍾乳洞の小穴に手を突っ込んで探る。そうして二時間以上洞窟を進みながらそうした所作を繰り返した後「見つけた」といってきたが、『僕はこのペンダントトップがハピットさんの家にあったことをはっきりと記憶している。それに(中略)表面の泥はうすく、隅のほうは比較的きれいな状態だった。数百年間この洞窟にあったとすれば全体に泥が固く付着していて、こんなにきれいな状態であるはずがない。
 ハピットさんは非常に興奮した様子で、「ノリキ、おまえも見ていただろう。これを買え」と飛躍する。』(N3263)そのように手の込んだ芝居をして骨董を売りつけようとしているのが面白いな。