ピラミッド 最新科学で古代遺跡の謎を解く

ピラミッド: 最新科学で古代遺跡の謎を解く (新潮文庫)

ピラミッド: 最新科学で古代遺跡の謎を解く (新潮文庫)

 ○ピラミッドの石材はどのようにして運ばれたか
 三大ピラミッドは古王国の第四王朝(紀元前二五〇〇年頃)の時代に造られた。そしてピラミッドに使われた石材の『大部分はピラミッドのあるギザ台地そのものから切り出されたことも判明している。』(P17)
 『古代エジプトでは傾斜路は、実にさまざまなところで使われていた。
 ピラミッド建造としては、第三王朝に建てられたシンキにあるフニ王がおそらく造ったピラミッドや、第四王朝に建てられたメイドゥムのスネフェル王のピラミッドに直線傾斜路の跡がある。(中略)斜路は重量のあるものを高い位置に移動させる必要のある多種多様な状況で使われ、その場に応じて使い分けられたということである。(中略)古代エジプト人は、まさしく傾斜路のエキスパートだったのである。』(P52-54)
 大ピラミッドはその傾斜路で石材を運んで造られたと考えられる。石切場からピラミッドの上部まで石材を運んだ傾斜路がどのような形状だったかについてはさまざまな説がある。『完璧にではないにせよ、現代のエジプト学者たちが一般的に唱えている常識的な説によって、ピラミッド建造はほぼほぼ理解できるということである。(中略)「大ピラミッドはプリミティブな技術では建てられない」という色眼鏡で見られがちなのだが、実際にはピラミッドほど古代の人間が当時の技術で地道に建てた建造物はない。どの仮説が正しいかは現状では結論づけられていないが、人間を組織建、モチベーションを維持すれば、「未来の道具」や複雑な装置を導入しなくとも、二三〇万個と言われている石灰岩の建材の運搬は説明可能である。』(P76)
 大ピラミッド内部の重量軽減の間には5、60トンの巨大な石があるが、『実は、古代エジプトの巨石建築史において五〇から六〇トンという重さは、軽い部類であり、トップ一〇にも入らないのである。(中略)五〇から六〇トンほどの重さは、緩やかな傾斜路があれば、わざわざ特別な装置を使う必要はないのである。そうなると、これまで見てきたように、てこや滑車上の道具も部分的には使われただろうが、人数を割けば地道に石材を運ぶことができる傾斜路が、ピラミッド建造に最もよく用いられた蓋然性が高いだろう。』(P81-3)そうした巨石も未来の道具がなくても傾斜路を使って運べる。
 ○花崗岩の石棺を作る時にかかった労力
 古代エジプトでは砂を研磨剤にして銅の刃がついた筒状ドリルとのこぎりで硬い花崗岩を切ったと考えられる。1999年に現代エジプトの石工とともに行った実験では『一四時間もかけて成功したのは、深さ三センチ、長さ九五センチの切り込みだった。この際、摩耗した銅の量は四六三グラム。筒状ドリルの方は、二〇時間かけて、六センチの深さを開けた。摩耗した銅は二〇〇グラム。平均するとのこ切りの切削速度は一二立法センチ、筒状ドリルが一時間に五・二立方センチだったが、ストックスは、おそらく古代では、のこぎりの切削速度は、一時間に三〇立方センチ、筒状ドリルは、一時間に一二立方センチに達することができたと推測している。
 結論として、こう言った数値が示しているのは、花崗岩の石棺を作るのは途方もない労力や時間がかかったということである。』(P92)そのため失敗したとしても再利用された。
 前述の実験考古学の結果を踏まえて、クフ王の石棺がどれくらいで作り上げられるかを計算すると、『もし二〜三人からなる一チームで働いたとすれば、その時間は二八〇〇〇時間に及ぶ。一日一〇時間、一年三〇〇日働いたと仮定すれば、九年以上!例え時間を節約するために五チームで働いたとしても(中略)一年半以上かかるのである。この際、摩耗した銅の量は四三四キロ、研磨に使われた砂は三七トンに及んだと考えられる。』(P98-9)
 装飾のないクフ王の棺は質素な造りに見えるが、『歴史的には、その棺は花崗岩が用いられた「初めて」の王の棺であり、すでに見てきたように、その花崗岩の棺は二八〇〇〇時間という恐ろしいほどの労力と時間を掛けて造られた、すさまじく手間のかかる創作物である。』(P156-7)スネフェル王は自分より先になくなった王子(クフ王の兄弟)のために花崗岩で石棺を作らせたので、花崗岩で作られた王の棺はクフ王が初。

 他には2部5章にある「墓泥棒のパピルス」と呼ばれる裁判の記録に3000年以上前の墓泥棒の自白があるという話も興味をひかれた。3部ではピラミッド建造に従事した人々が暮らしたと考えられるピラミッド・タウンの発掘についての話などが書かれる。そのピラミッド・タウンで暮らしていた人々が食べていたパンを再現して食べた話も面白かった。