戦場から生きのびて

戦場から生きのびて (河出文庫)

戦場から生きのびて (河出文庫)

 著者は西アフリカの国シエラレオネ出身の元少年兵。内戦で故郷の村が反乱軍に攻撃されて、著者はそれからしばらくの間同年代の少年達と一緒に国内を放浪していた。その後政府軍の少年兵となることを余儀なくされる。少年兵として2年ほど過ごした後、所属する部隊にユニセフの人がやってきたことで少年兵のリハビリテーション・センターに入ることになる。そこでの生活やそこを出た後の伯父との生活で日常を取り戻しつつあった。しかしクーデターの勃発でその日常も壊れ、著者は国外に脱出する。アメリカ在住。
 1993年1月、12歳の少年だった著者は、マトゥル・ジョングという町での友人たちの演芸会(タレントショー)に参加するために兄ジュニアと友人タロイとともに家を出た。そしてマトゥル・ジョルグで友人の家に泊まり、翌日友人たちが学校から帰るのを待っていると予定より早く帰ってきて、彼らから反乱軍(RUF)が故郷の町モグブウェモを襲撃したことを聞かされる。
 それを聞いて著者ら三人は一度故郷の町に戻って家族の行方を知ろうとする。しかし、そこで三人の少年は故郷の町への途上で多くの人の死体、反乱軍から逃げてきた肉親を殺された人々や重傷を負いながら逃げるために走る人々の姿を見ることになる。そんな情景を見て故郷に戻ることをあきらめ再びマトゥル・ジョングに戻った。そのマトゥル・ジョングにも反乱軍がやってきた。
 その時に一緒に逃げた六人の少年たちでまとまって過ごしていた。まとまっていることで怖がられて攻撃される危険もあったが、それでもそうしているほうがいいと考えて一緒に行動していた。内戦で人々は互いに不信感を持っていることもあって、少年たちは捕縛され詰問されたりもした。彼らはカマトー村にしばらく滞在していたが、急な反乱軍の襲撃でちりぢりに逃げたため離れ離れになった。そして一人での放浪が始まる。しばらく森で過ごしているとそこで同年代の少年たちとばったり出会う。そこで出会った少年達の中に顔見知りが三人いたこともあり、彼らと一緒に行動することになる。
 そうして暫く終わりの見えない旅を続けた後、ある大きな村で著者を知っているという女性と出会い、隣村で父母や弟を見かけたと言われる。そしてその村にはマトゥル・ジョングから来た人が大勢いて、みんなの家族が見つかるか消息がわかるかもともいわれる。
 そうして家族に会えるかもというところで、体調の悪かったサイドゥが亡くなる。この時の少年達は3つ年上のケネイを除き13歳だった。サイドゥの埋葬を終えた後、村を出て著者の父母やマトゥル・ジョングの人たちがいると聞かされた隣村に行く。しかし、その村に着く直前に村が反乱兵に襲撃されていて、家族との再会が叶わなかった。
 その後少年たちはイェレという政府軍が駐屯している村に滞在することになった。
 そうして少しの間安全な場所で落ち着いた日々を過ごしていた。政府軍が痛手を負って、周囲には反乱軍にかこまれているという状態でジャバティ中尉は志願兵を募る。『われわれは、この村の安全を保てるよう、この戦いに協力してくれる強い男と少年が必要なのだ。もし諸君が戦いも協力したくないのなら、それでも構わない。しかしそうなれば食べ物をもらえず、この村にいられなくなるだろう。出ていくのは勝手だ。料理の手伝いと、弾薬の準備と、戦うことのできる者しか、ここでは必要とされていないから。厨房をきりまわす女は足りている。反乱兵と闘うための、有能な少年と男がほしい。』(P159)反乱軍に囲まれていて逃げたら反乱軍に撃たれて死ぬ可能性が大で、事実上兵士になるしか選択肢がなくなったこともあり著者らは少年兵となる。それでこの時、30人以上の少年が少年兵として政府軍に入った。
 そして初陣から戦闘で仲間が死んだり相手を殺したりを経験する。そして色んなドラッグをやって、夜には映画を見るというような兵士の生活に慣れていく。そして『食べ物やドラッグ、弾薬、映画を観るためのガソリンが底をつくと、反乱軍のキャンプや町、村、森を襲撃した。民間人の村も攻撃して、新兵を調達したほか、なんでも目についたものを奪い取った。』(P183)こうした荒んだ生活で平常の感覚を失いながら、2年あまり兵士生活を続けていた。
 1996年1月下旬に彼らの部隊のもとにユニセフの人間がきて、15歳だった著者を含む少年兵たちが彼らに引き渡される。何が何やらわからぬままにそのままトラックに乗せられて、首都フリータウンにある少年兵たちを社会復帰させるための施設に入れられる。
 そこには色んなところから連れてこられた兵士がいるので顔合わせの段階からピリピリしている。そして政府軍の少年兵と反乱軍の少年兵を同じ学校に入れるという無茶なことをしていた。そのためそれがわかった瞬間に各々密かに持ち込んでいた武器を使って戦闘となって6人の死者が出た。施設に送られた当日にそんなような戦闘が行われた。
 ただでさえリハビリテーション・センターに送られたことを不満に思っているのに、そこでは少年兵たちが常用していたドラッグが手に入らないということもあり、少年兵たちは診療所で鎮痛剤を奪ったり、暴力的な行動を繰り返していた。著者はその施設で看護師でカウンセラーのエスターとの交流を通じて、徐々に荒んだ状態から回復していく。
 そしてフリータウンに住むトミー伯父さんと一緒に暮らすことが決まった。
 その後リハビリテーションセンターの職員レスリーから『シエラレオネの子どもたちの暮らしと、それにたいして何ができるかを語るために、子ども二人がアメリカのニューヨークの国連に派遣されることになって、その面接がある』(P283)ことを知らされ、リハビリテーションセンター所長が面接に行くことを勧めているといわれて面接に行き、国連行きが決まる。そして初海外で国連のあるニューヨークへ行き、そこで後に養母となる女性と知り合う。
 帰国後の1997年5月に政府軍と反乱軍が手を組んでクーデターを行なって政権をぶち壊し、国全体を混乱に陥れる。そして首都の街中で銃声が聞こえるのが当たり前になってしまった。それでの心痛が大きかったのか伯父さんが病気になり亡くなる。
 その後著者はこのままだと『兵士に逆戻りするか、それを拒めば元の戦友たちに殺されてしまうだろうから。』(P323)そのように感じてニューヨークで知り合った後に養母になる女性に連絡を取ってニューヨークに行けたら一緒に暮らしていいか尋ねて、それに了承の言葉を貰えたのでシエラレオネを脱出しようとする。そしてシエラレオネを脱出して隣国ギニアに着くまでの脱出行が書かれて終わる。