日本残酷物語 1 貧しき人々のむれ

日本残酷物語1 (平凡社ライブラリー)

日本残酷物語1 (平凡社ライブラリー)

内容(「BOOK」データベースより)

日常的な飢え、虐げられる女や老人、掠奪やもの乞いの生涯、山や海辺の窮民…ここに集められた「残酷」な物語は、かつての日本のありふれた光景の記録、ついこの間まで、長く貧しさの底を生き継いできた人々の様々な肖像である。


 かつて日本にあったシビアな生存のための闘争の現実というか、仲間以外には非常な殺伐とした在り方、あるいはかつての厳しかった生活の記録。かつての社会は、現在とは文字通り隔世で、今日よりもずっと行き届かなかった。そうした社会の側面、裏面を書いたもの。タイトルと絡めるならば、残酷とならざるを得なかったほどほどの厳しかったかつての時代の民衆の話といおうか。
 資料や伝承などを使い、あるいは聞き書きなどをして、かつてあった怖い風習だったり、裏の商売だったりについてのさまざまな話や、かつての病や飢えについて、あるいは老人や子供や女性に対する酷い話を集めて採録した本。まあ、そのようにかつてあった暗い話についてまとめている。
 個々のエピソードは、こんなことが行われていたのかとちょっと面白いけど、全部そうした話だと、なんだか普通の日常的な話とか明るい話が読みたくなるなあ。そのため、そうしたものだと思って読めば(ここで書かれていたもの「だけ」がかつての日本のすべてと勘違いしたりしなければ)、一つ一つのおはなしは興味深いもの。
 まあ、バランスの取れた、こうしたかつての現実の話が集められている本があったら読みたくなるけど。そうでなくとも、これの対となるシリーズがもしあったとしたならば交互に読みたいところだけど。
 「序」で『日本の農民はこんにちのように進歩した技術をもってきていてさえ、一人の農民が平均して一・九六人の食料を生産しているにすぎない。』(P13)とあって、解説を見るとこの本が最初に出たのは昭和34年だそうだが、その当時でもそんなものだったのかと驚く。
 昔、海に近い村では船が遭難するとその積荷が村民にとって思いがけぬ恵みとなった。そのためそうした海辺の村で、寄物が多いことを祈願することが正月行事などになっていることがままあったようだ。
 さらに伊豆下田の西の手石浦という場所では、海上に悪風が吹いたときにそこの浦人は松火を持って浜辺に行き、港を探している船が人家か他の船だと思って近づくと暗礁のある場所にきて破船する。そうすると翌朝浦人が船を出して破船の荷物や道具を取っていたということが行われていたそうだ。この話は18世紀半ばの本(1759年「東遊記」)で過去の話とあるもので、いつ頃まであった風習なのかはしっかりとはわからないが。
 戦国時代の秋田県由利郡羽川に羽川小太郎義植という小領主。当時ははっきりとした名分なくとも領主間、戦闘員間で戦争が行われるのは普通だった。しかし彼は領主だのに多量において、非戦闘員の富豪などを襲撃し、物品を略奪するのがメインにした強盗を行った強盗武士であった。そのため周辺領主から憎まれ、隙あらば潰そうと思われていた。しかし互いにけん制していてうまくいかず、その間に羽川の勢力が拡大していったため、憎みながらも戦争で兵力として利用しようとする者もでてきたという話は面白い。
 「飛騨の乞食」彼らは野外で寝ていたが火事になったら(あるいはその危険があると見なされたら)土地を離れなければならなくなるため、厳しい寒さのときでも焚き火や煮炊きをやらなかった。そのため、どの乞食も一様に凍傷にかかった。
 享保の飢饉時の山口県大島久賀の過去帳を見ると、年寄りや子供よりも働き盛りの男たちが死んでいったというのはちょっと意外。でもまあ、食べ物少なくて均分するとそうなるか。
 天明の飢饉の、文字通り、人を食った話。あったには違いないが、馬や牛など四つ足の獣を食べるいいわけとして、人食いの話を誇張したり、あるいは牛馬の肉を食う恐ろしさを見て人食いと錯覚したり、それが人食いの噂を生み出したことも少なくなかっただろうという説明はなるほど。
 「飢えの記録」では江戸時代の三大飢饉だったり、明治・昭和の飢饉(米の輸入ができるようになって悲惨さは緩和された)を扱っているが、最後に稲の品種改良で冷害に強い稲を作った人の話が書かれているのがいいな。
 憑き物、その憑き物をけしかけたという風評がたってしまったら全く実に覚えのない冤罪なのに、憑き物につかれた患者の家までいって、「うちへ帰ろう」などといって連れ戻すポーズをしなければならなかった。
 解説、「残酷」という今となってはクサさのある題名で、左翼的階級史観を前提とした切り口で、その種の民俗学が集めてきた事実によるおはなしが集められていて、貴重な一次資料的な聞き書きが「残酷」にひとくくりにされてしまった。「日本残酷物語」は民俗学とそのまわりの見聞を素材としてどのようなおはなしの器に盛り付けるか、「階級」を軸に分断的に見るか、「日本」といって共同性を軸に統合的に見るかの二つの道筋に分かれた。しかし現在では、そうした階級あるいは日本いったものにとらわれない読みもできるだろうとしている。