狭き門

狭き門 (光文社古典新訳文庫)

狭き門 (光文社古典新訳文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

美しい従姉アリサに心惹かれるジェローム。二人が相思相愛であることは周りも認めていたが、当のアリサの態度は煮え切らない。そんなとき、アリサの妹ジュリエットから衝撃的な事実を聞かされる…。本当の「愛」とは何か、時代を超えて強烈に問いかけるフランス文学の名作。

 kindleで読了。
 恋愛小説。真実の愛とはみたいな観念について書かれる小説というか、そうした観念にこだわりすぎたことで起こったことが書かれる物語。
 主人公のジェロームは従姉のアリサを子供の頃から意識していた。しかし彼女が子供の頃に母の浮気と出奔という行いや、それによって傷ついた父の姿を間近で見てきていた。そのため愛に臆病になっていた。そのためジェロームに好意を抱きつつも、母のような愛を拒絶していたため、より高い次元の天上の愛でなければ納得できなかった。身体的なものを避けて、精神的な高みのみを目指す、そのための関係こそが愛という思いを強く抱いているからこそこじらす。

 そうした完璧で清らかな至高の愛を求め、そうでなければならないという思い。二人の関係の目標ではなく、出発点をそんな高いところに置いて考えているから、時機を逸してずるずるとどうしようもできなくなっていってしまう。
 その潔癖主義は求愛を断る口実として使っているのかと思うほどのもの。
 あるいは互いに相手を偶像化しているから、相手に失望する、あるいはされるのが怖いというのもあるだろう。

 若い頃から互いの親からも中を認められていて、婚約同然であった。しかしアリサは愛情に対してとてつもない高いハードルを課しているから、互いに相手を思っていることは口にしても中々結婚までには至らない二人。
 そうしているうちに彼女の妹ジュリエットがジェロームに片恋していることに気づいて、彼女は身を引こうとする。
 そういうのを見ていると愛と言うことで難しく感じて悩みすぎた結果、すべてを終わりにしてこの世界での愛で悩むことの内容になりたい、楽になりたいという気持ちが透けて見えるな。ジェロームを事由にと言う気持ちだったり、妹のためにという理由もあるだろうけど、それと同時に彼女自身この思いから、あるいはジェロームから自由になりたいという気持ちがないではなかっただろうな。
 ジュリエットはそのことについて複雑な思いだったろう。彼に脈があれば姉に悪いと思いつつも、その提案を受け入れていたかもしれないがそのことをジェロームに伝えたときに「そんなばかな」と彼は叫んだ、そうした反応で見込みないことを知る。
 そのためジュリエットはその足で、受けていた求婚に対して了解の返事をする。そうして思い切った行動にでるが、自らの手によってではあるがそうして事態を急に変転させたことで眼がくらんで倒れる。
 彼女が求婚を受けていたのは、大分年上の男テシエールからの求婚を受けていたが、ジェロームの言葉を聞いて直ぐにその男に了解の返事をする。
 しかし彼女はその決心を変えようとせず、それを翻させようとするアリサの努力にも耳を貸さず、努めて早くその関係を正式なものにしようとする。
 しかしこのジュリエットくらいの新事態へ向かうための臆病心を感じる間もなく進展させていく度胸が、二人の一方にでもあれば二人の関係もまた変わっただろうな。

 その後兵役に就いたジェロームとアリサの間で手紙を介した交流が続く。わずかに会える時間をつくれる時でもわずかな時間では足りないだろうと、先へ先へと引き延ばした。
 その間、そうやって当初は別に相手に魅かれていない結婚をしたジュリエットが新婚旅行など、夫婦のふれあいを重ねることで世俗的な幸福を感じはじめていた。そのことを喜びつつも、そうした世俗的な愛や幸福を見て、今まで抱いていた考えと違って少し困惑するアリサ。
 私も世俗的な人間だからかもしれないが、それで幸せならいいじゃんと思ってしまう。どういう経路をとろうが、幸せならば、内か外かどっちが先かは関係ないのではと思ってしまう。
 精神が先でそれのみで充足できる状態でなければその幸せや愛は純粋じゃないとか、そういう思いが凝り固まっているから色々悩むのだろうな。そういう形もあろうがそうでなければならないとするのも、頑なにそうじゃない幸せや愛を拒もうとするのも違うと思う。しかしそれほど彼女にとって、子供の頃のトラウマが大きいものだったのかな。

 アリサはその幸せを見て、神へ祈る気持ち、天の幸せのみを願う気持ちがぶれる。そのぶれたあと素直にジェロームと日常の幸せをつかみ、二人の関係を安定させた方が、急がば回れでよかったのではと思わないでもない。
 まあ、最終的にジュリエットが幸せになったようでなにより。。

 兵役中の二人の交流は手紙だけで会わない期間続いたから、久しぶりの再開はちぐはぐでどうもかみ合わない気まずい再会となる。そしてそんなに長い期間もいらなかったなとなる。継続性は大事だし、大切なものを試すようなことをするものではないということよね。
 その後また暫く会わず、再びの再会は、前回の反省を生かして庭仕事をする。そうした日常の雑事をすることで、それで話題をつくって共同作業することで自然に互いに馴染むことができた。結局そうした、一緒に行動することなどが重要ということよね。

 アリサはジェロームに本格的に信仰の道へ進む決心をしたと思わせて、この関係を終わらせようとする。それでもなお愛しているとジェロームは言うが、それでも決心を変えられない。
 そうして二人は別れることになった。ジェロームは自分が相手を偶像化して、彼女にふさわしい相手になろうと美徳のための苦しい努力を続けた。しかし『そもそもアリサをそんな高みに引き上げたのは、ひとえに僕自身の努力だったのだ。もうすこし思い上がりを抑えることができれば、僕たちの愛はもっとたやすく成就したかもしれない』(N2007)と事態を認識している。たしかに相手を偶像化したからこそ美徳を目指すことができたが、二人が相手の理想化あるいは相手に釣り合うための懸命の努力を抑えていれば結ばれただろう。偶像化した相手、真実の愛という思いがいたずらに事態を混乱させて難しくさせたという感が否めない。

 その別離後にアリサは死亡する。そして彼女の日記を見る機会を得る。そのため後半にはアリサの日記が置かれる。
 健全な魂という潔癖な観念が愛を阻む。『あの人なしで生きなければならないとしたら、わたしに喜びをあたえてくれるものは何もなくなってしまうだろう。私が健全な魂の力を保とうとするのは、あの人を喜ばせたいという気持ちからだが、あの人のそばにいると、その魂の力がくじけてしまうのを感じる。』(N2227)
 『どんなに幸せなことでも、わたしは進歩のない状態を望まない。天上的な喜びとは神とひとつになることではなく、たえず、果てしなく、神に近づいていくことのなかにあると思う……言葉のあやだといわれるかもしれないが、わたしにとって「進歩的」でない喜びはとるに足らないものだ。』(N2290あたり)そばにいれば心地よく休み、ただそれだけの幸せに浸ってしまう。しかし遠くにいることで、彼を想って絶えず歩む道を進める。苦しい道を歩めるのは遠くにいるから、近くにいると励まし合う心よりも互いにその場で満足してしまう心が強くなってしまうということか。
 そして進歩するごとに理想も高まり、結局ずっと結ばれない。
 結婚することで停滞するのを怖れているが、結局結婚もせず思いも断ち切からなかったことが堂々巡りの始まり。結婚してその関係で慣れることでまた進む気持ちを得られたかもしれないし、普通の幸せで充足して昔は変なところにこだわりすぎていたとなるかもしれなかったのに、自己完結してしまったことで面倒なことになった。
 最後ジュリエットの家に行き、彼女とアリサのことを話す。ジュリエットは二人から見れば世俗的と見えるかもしれないが確かな幸せを手にしている。
 そして主人公はアリサが居なくなってしまった、そのために彼女が抱いていた理想に殉じ、今後もそうあろうと決心している。もはやそうしてしか彼女に愛していると示すことができなくなってしまったから。

 「解説」を読むと、この本は自伝的なもので、自身と妻との関係がモデルになっているのね。妻マドレーヌの母親の不貞と父親の不幸。従姉でもある妻マドレーヌに対する性的交渉を伴わぬ夫婦関係。
 作者はアフリカでの少年愛体験とその快楽を経験した直ぐ後に、母の死を経験した。そのこともあってそうした体験を地獄・罪と思うようになる。そんな自らを救済するためにマドレーヌを理想化して、彼女とはそうした行為を伴わない関係とした。そうして高い次元の関係を築けているということが、作者にとっての免罪符となったということか。そう考えたら、そうした関係に固執した理由が、小説よりもずっと説得力あるね。その関係をかなり美化したのが、この小説と言うことね。
 まあ、それでその後の作者は清廉潔白とかだったらともかく、他の女性と子をもうけたり、少年愛趣味は結婚後も変わっていないのだから作者の奥さんがかわいそう。

 『『狭き門』はしばしば愛と信仰の対立の物語といわれますが、私の考えによれば、『狭き門』における信仰は愛より小さな問題にすぎません。むしろジッドは、アリサとジェロームの愛の悲劇性を浮き彫りにするために、神という観念を小説的な仕掛けとして用いているのです。ジッドの描く神の冷淡さは、彼の無神論的考え(あるいは神への反感)を表しているといっても過言ではないでしょう。』(N2873)結局信仰というよりも自分が完璧になるための道で、宗教的というよりもある種の超人となるための潔癖な修練に思えたから、その指摘は納得できる。