記憶喪失になったぼくが見た世界

記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)

記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)


 大学時代に記憶喪失になりそれ以前の事を忘れてしまい、過去の記憶がほとんど戻らなかった人が、自身の体験を書いたノンフィクション。
 大学時代に事故で意識不明の重体に陥った後に目覚めたら『両親のことも、友人のことも、/そして自分自身のことさえも、/何もかもすべて、忘れていた。』(N15)
 自分や周囲の人の名前や記憶だけでなく、常識や物の名前やそれらがどんなものかという記憶も失ってしまったものが多い。そのため例えば菓子の包みをとることも忘れて包みごと口に入れてたりもした。そのため当時のどのように周りの世界が見えていたかが子供のような新鮮な視点で世界を見ている文章で書かれている。
 例えば『口が大きくあいて、体がゆれている顔を見るとあんしん。でも、目や口を小さくした顔で見られるのはいやだ。』(N156)と書いてあるのを見ると、笑っている顔や悲しんでいる顔という言葉すら記憶から失われてしまっていたということがわかり、そうした文章でいかに失われたものが多いかを察することができる。
 記憶喪失になって自宅に戻って来たところからこの本は始まる。しかし記憶喪失した著者にとっては未知の世界になってしまったので、自室でも不安になる。そして物の記憶も失われているので、自室にある観葉植物や目覚まし時計も未知の物に見えている。
 事故後に自宅でチョコを初めて食べた時のことが書かれているが、食べ物の記憶も忘れているので、そのチョコの甘さと美味しさに驚く。そうして全く覚えていないことも多いが、不意に断片的にではあるが目の前の物や人についての記憶が蘇ることも稀にではあるがある。
 途中途中で「母の記憶」というパートが置かれて、そこで母から見た記憶喪失した息子の姿と当時感じていたことや苦労などが書かれる。
 味覚も事故前後で大きく変わった。
 事故後数か月で、記憶も戻らぬままだが大学に戻した。それが事故で居場所がなくなってしまった息子の居場所を作ることにつながると期待して。
 そうして大学(大阪芸術大学)に戻る。しかし大学に戻ったばかりの時は文字もほとんど忘れていて、ひらがなを覚えなおすという段階だった。大学では事故前の友人などに世話をしてもらったりして過ごしていた。
 母も後から考えれば『大学は入学したてで二カ月ぐらいしか通ってないところです。そこに優介を生かせたのは、ちょっと酷だったかなと思います。』(N1442)しかし結果的には、大学に馴染むのにも同級生が同級生としている段階で良かったし、それに大学の授業でやるべきことができたことも良かったみたいだ。
 『過去の出来事は、ときどき思いだせることがある。でもそれは、どこか他人ごとのようだ。
 事故前の記憶を突然思い出して話す時、誰かにしゃべらされているような気になるときがある。なんで今の自分はこんなことを放しているのだろうと思うこともある。話し終わった後、話したことを忘れていることもある。それはすごく不思議な感覚だ。』(N1389)事故前の記憶を思い出した時の不思議な感覚。
 大学卒業後染師・奥田祐斎に師事して、仕事をすることになる。事故後長い間事故前の記憶を取り戻したかったが、事故から12年経って『今いちばん怖いのは、事故前の記憶が戻ること。そうなった瞬間に、今いる自分がなくなってしまうのが、ぼくには一番怖い。ぼくは、この十二年に手に入れた、あたらしい過去に励まされながら生きている。』(N2286)それだけのものを事故後に得たことがわかる文章でいいね。
 現在著者は自身の工房を設立し、独立した染物作家として活躍。