人間の性はなぜ奇妙に進化したのか

文庫 人間の性はなぜ奇妙に進化したのか (草思社文庫)

文庫 人間の性はなぜ奇妙に進化したのか (草思社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
人間は隠れてセックスを楽しみ、排卵は隠蔽され、一夫一婦制である―ヒトの性は動物と比べてじつは奇妙である。性のあり方はその社会のあり方を決定づけている。ハーレムをつくるゴリラや夫婦で子育てをする水鳥、乳汁を分泌するオスのヤギやコウモリなど動物の性の“常識”と対比させながら、人間の奇妙なセクシャリティの進化を解き明かす。

 単行本版では原書でのタイトルを直訳した「セックスはなぜ楽しいか」だったが、文庫化にあたり「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」に題名を変更し、購入しづらさがなくなったのはよかった。
 『交尾をして卵の受精を完了したオスとメスは、次にとるべき行動についていくつかの「選択肢」に直面する共に目の前の卵を置き去りにし、同じパートナー、もしくは新しいパートナーと交尾を行い、新たな受精のための仕事にとりかかるべきだろうか。しかし、セックスを一休みして子育てを専念したほうが、この卵が生き残れる可能性を高められるかもしれない。後者を選んだ場合、オスとメスはさらに別の選択肢を迫られる。両親で子育てするのか、母親か父親のどちらか一方だけか、という問題だ。一方、親が居なくても卵が育つ可能性が一〇パーセントあり、親が子育てに参加するのと同じ時間で一〇〇〇個の受精卵を算出できるとしたら、親にとって最良の選択は、卵を置き去りにして自力に任せ、自分は新たな受精の仕事に向かうことだ。』(P33)しかし(当然ながら)「選択肢」といっても個体ごとに判断しているわけではなく、その種ごとに生理機能や身体構造にあらかじめ組み込まれている。
 『遺伝子を引き継いだ子孫の生存力を最も高めるような解剖学的構造と本能を規定する遺伝子は、しだいにその頻度を増すようになる。言い換えれば、生存力や繁殖力を高める解剖学的構造や本能は、自然淘汰によって定着していく(遺伝的にプログラムされていく)傾向がある。回りくどいと思われるかもしれないが、進化生物学について議論する場合には、このような冗長な表現が必要なことも往々にしてあるのだ。そのため生物学者は普段は擬人化表現に頼って、言わんとするところを要約してしまうのである。例えば、動物は特定の行動や戦略を「選択」している、というように。しかしいくら説明が簡略化されたといっても、動物が意識的に計算をしていると誤解してはいけない。』(P35)以前からそうした「動物が意識的に計算をしている」というような説明に違和感を覚えていたので、この本では、それは簡略化しているだけなので、実際意思を持ってそうしたなにがしかをやっているわけではないとわざわざ注意してくれているところに好感を持つ。
 どちらかが世話をしないと子供が生きていく場合、オスとメスどちらも子育ては相手に任せて、自分は新しくパートナーを見つけたほうが多くの子孫/自分の遺伝子を残すためにはいいことなのだが、押しつけ合ったら子供が死んでしまいどちらも負ける。そのため父母のどちらが育てるか、あるいは双方で分担するかは、受精卵により多くの投資をしたか、この先胚や受精卵を育てることでチャンスをどれだけ逃すか、自分が本当に胚や受精卵の親によって決まり、そして一般的にはメスのほうがオスよりも多く受精卵に対して投資をしている。しかも哺乳類のように体内受精の場合は、出産までの期間が多くかかるのでその差がより多くなる。
 それから『アメリイソシギの場合、一つの卵の重さは母親の体重の実に五分の一を占め、四つの卵となると、母親の体重のなんと八〇パーセントにもなるのである』(P48)というのは、体重と卵の重さの比率には思わず瞠目した。
 マダラヒタキの一夫多妻制では、春になるとオスはメスに求愛し交尾を行い、メス(第一のメス)が産卵すると、別のメスにまた求愛し交尾を行う。第二のメスが産卵すると、そのころは第一のメスが産んだ卵が羽化し始めるので、第一のメスの巣にもどり労力のほとんどをつぎ込んで雛にえさを与えるが、第二のメスにはほとんど餌を運ぼうとしない(餌を運ぶのは、第一のメスの巣が一時間に平均十四回なのに対し、第二のメスのほうは七回)。そうした運命をメスが受け入れるのを以前は、『たとえ放っておかれるにしても、優れたオスの配偶者になるほうが、劣悪な縄張りをもつさえないオスの有いつの配偶者になるよりましだから』(P55)と推測されていたが、しかし『実際はその運命を知って第二のメスになるのではなく、オスに騙されているだけだということがわかった。』(P56)なぜなら、第一の巣の2〜300メートルほど離れた先に第二の巣穴を作って、すでに配偶者がいることを隠しているからだ。また、すでに配偶者がいるメスが単独で巣にいるのを見つけるとオスはそのメスと交尾しようとすることが往々にしておこり、ムナオビエリマキヒタキの場合は、他のオスが餌さがしなどで一時的に配偶者のもとを離れた場合、近接する縄張りのオスは平均して一〇分以内にその縄張りに侵入し、三四分の隙があれば巣にいるメスと交尾してしまう。マダラヒタキが行うすべての交尾のうち29%がペア外交尾で、24%が非嫡出の子。だからマダラヒタキのオスは、妊娠するまでは巣から2、3メートル以上離れず、メスが妊娠してから初めて巣を離れて別のメスを探しに行っている。どうもヒタキという鳥は浮気したり間男したりとずいぶんと人間臭い鳥だなあ、まあ、あげられている例を見ていればわかるようにいい意味でというわけではもちろんないけれど(笑)。
 『授乳期の母親が一日に消費するエネルギー量は、適度に活動的な男性の消費量を凌ぐほどで、女性でこれを上回るのはトレーニング中のマラソン選手だけである。』(P60)マラソン以外の他のスポーツ選手よりもエネルギー消費量が多いというのは驚いた。
 『伝統的社会では女性は一時間に何度も授乳したので、その結果ホルモンが分泌され、数年間にわたって月経が停止する状態が続いていた(授乳性無月経と呼ばれる)。したがって狩猟採集社会では出産も数年おきだった。現代社会においては、女性が母乳を控え哺乳瓶による授乳を好むことや、数時間おきに授乳する(現代女性にとってはそのほうが便利である)ことから、出産後数カ月で再び妊娠できる状態になる。』(P61)狩猟採集社会では、一時間に何回も授乳していたから、再び妊娠できる状態になるまで数年かかっていたと言うのは初めて知った。かつて狩猟採集社会では人口の増加が緩やかだった理由はこうした点にもあるのかな。
 『ある特定の状況下では、かなりの割合のヒトの男性がホルモン投与を受けなくとも、胸を発達させ、乳をつくる』(P69)昔の話で、父親だかが乳で育てたというエピソードを見かけたことがあったが(具体的にどんなのだったかは忘れたが……)、あれって嘘をついているのではなく、そうした特定の状況になって乳を作れるようになったので、それで育てたという本当のことなのかなとこの文章を見て思い、嘘っぱちだと思っていた挿話が実際にあり得ることなのだと知って驚いた。
 『染色体異常によって一つのY染色体と二つのX染色体を持った人が最も男らしい特徴をそなえ〔クラインフェルター症候群〕、三つ、あるいは一つだけのX染色体をたまたま与えられた人が最も女らしい特徴をそなえることになる〔X染色体が一つのみの女性はターナー症候群〕。』(P72)
 『哺乳類のいくつかの種では、普通、ホルモンの循環が刺激となって新生児から乳が分泌される。これがいわゆる「魔乳」である。』(P79)……抜粋することを堪えることができなかった!
 『私のお気に入りの事例は、男性至上主義者のある夫の例である。彼はつねづね妻の乳が「貧弱」だとこぼしていたのだが、気がつくと、なんと自分自身の胸が発達しはじめていた。実は、彼の妻が夫の願いに従って乳房の成長を刺激するエストロゲンのクリームを塗りたくっていたところ、そのクリームがこすれて夫の胸についてしまっていたのだ。』(P81)この事例は面白い、それにわざわざ「私のお気に入りの事例」なんて言葉を入れているところがなお面白い(笑)。
 ほとんどすべての動物のメスが自らの排卵の時期を知っているのに、人間の女性が自らの排卵の時期を知らない理由は、まず前提として人の子供が10年は誰かに食べさせてもらわなければいけないという事情があり、子供を作るために費やす期間も長い。
 『かいつまんで言えば、霊長類の進化史の中で、排卵の隠蔽は繰り返しその機能を切り替えていき、ときには逆行することさえあったのだ。排卵が隠されるようになったのは、われわれの祖先がまだ乱婚あるいはハーレム型で暮らしていたころだった。そのころ、祖先の猿人の女たちは、排卵を隠すことによって多くの男たちに性的恩恵を分け与えることができるようになった。恩恵にあずかった男たちは、だれひとりとして彼女の生む子の父親が自分であると確信できなかったが、父親が自分かもしれないという可能性は全員に残されていた。その結果、潜在的に殺人者なる可能性を持っている男たちは、』ゴリラやチンパンジー(他にもライオンやリオカンなどさまざまな種)のオスは、ハーレムを奪おうとするオスは、メスは子供に授乳している間は排卵できないため自分とは遺伝子的に無関係である子供を殺し、発情周期を再開させる。『だれひとりとして女の子供に害を与えようとはせず、なかには子を守ったり、食べ物を与えたりするものまでいた。女はこうした目的で排卵の隠蔽を進化させると、今度はそれを利用して、優秀な男を選び、誘惑したり脅したりしながら男をいえにとどまらせ、自分の生んだ子にたくさんの保護や世話を与えさせた。男は自分がその子の父親であることを知っているから、安心して子育てに励む。』(P138、140)
 男性は狩猟で、女性は採取という区分があるが、実際は平均では採集による方が得られるカロリーは高く、また狩猟で肉やハチミツをとっても、周りの多くの人に分け与えるなのに何故狩猟をするのか。結局、自分の子供の数を増やすためという残念な結論に。女性にとって扶養型(コツコツと採取する)のほうが望ましいが、男性にとっては誇示型(優秀な狩人)の方が望ましく、同じヒトという種でも利害が分かれる。この例に限らず親子、男女、きょうだいで利害が分かれる場面も(私たちが知っているように)多々あるが。
 年をとると体にいっせいに悪いところが出始めるのは『進化論的デザインの真実とは費用効率の問題なのである。もしもあなたが身体の一部を大修理し、それがほかの部分や期待余命よりも長もちすれば、赤ん坊をつくれたはずの生合成エネルギーを浪費したことになる。最も効率的につくられた身体とは、すべての器官がほぼ同時に使いものにならなくなる身体である。』(P180)というのは目から鱗の指摘。そして人の女性の閉経が寿命に比べてとても早いのは、産む子供は少なくなるが、その分子供や孫を世話することで自分の遺伝子を担う個体を増やしているというのは知らなかった。
 脂肪の付き方で男性が子供を育てる能力があるかの判断をしているが、見ただけでどのくらいの量の脂肪があるかを評価するのは困難なので、女性の胸や尻に脂肪が集中して、より子供を育てるだけの栄養状態であるとのアピールを強くした。