捕食者なき世界

捕食者なき世界 (文春文庫)

捕食者なき世界 (文春文庫)


内容(「BOOK」データベースより)

2005年、科学誌『サイエンス』に掲載された論文は、世界を驚愕させた。地球規模で起っている生物多様性の減少は、実は一万五千年前から起っている。即ち人類が大型捕食動物を次々と絶滅に追い込んでいったがゆえに起っている。その解決策は、滅んでいったライオンを、あるいはオオカミを再び、例えばアメリカに放つことである。


 解説にあるように『本書は、生物多様性が頂点捕食者の存在によって守られてきたという仮説にいきつくまでの、科学者たちの研究の歩みを紹介している』(P438)本。
 陸や海でキーストーン種と呼ばれる捕食者が、その生態系を安定させ、多様な動植物を維持するという大きな役割が、いかにして明らかにされていったかを生態学の研究者の観察や実験のエピソードを中心にして掻かれている。
 科学者の実験のエピソードが豊富で面白い。
 ロバート・T・ペイン、ある海岸の2つの岩場で片方は捕食者であるヒトデを一々放り投げ、もう一方はそのままにするという実験を行い、その結果を1966年に発表。その実験をしたところ手をつけなかった岩場では相変わらずフジツボ、カサガイ、さまざまな巻貝、イガイ、ヒザフガイ、ヒトデのオールキャストが揃ったままであるが、ヒトデを取り除いた岩場では1年と立たずにヒトデがいなくなったことでその主な食料になっていた大型のイガイに占領され、他の種の半数がその場に見えなくなり、残った種もごく少数でいずれイガイに追い出されることになることが目に見える状態となった。そのように局所的にヒトデ(捕食者)を絶滅させたことで、生態系が崩壊した。共存する種類の数を決めるときに、特定の種(後にキーストーン種と呼ばれることになる捕食者)が極端に強い力を持つ。キーストーン種を取り除くとその環境にいる生物のバランスが大きく崩れ、生物の多様性が失われる。
 『ペインの仮説は次の一文に要約されている。「その地域の種の多様性は、環境の主な要素がひとつの種に独占されるのを、捕食者がうまく防いでいるかどうかで決まる」』(P51)。
 生命の連鎖は、例えば海鳥によって食べられ、陸で糞をして、それが肥料となるなど単純に陸だけ海だけでは完結しておらず、密接なつながりを持っている。そうしたエルトンの観察は、否定しがたいものだが、系統的実験をしなければ推測のまま。それを確かめる実験として上記のペインの実験行われる。
 1960年「緑の世界」仮説が登場。この説は、この世界の陸地が緑である――植物に覆われている――のは、草食動物が全ての植物を食べつくさないからで、草食動物に奏させないのは捕食者であるとする仮説。
 狼たちを捕殺して、人間の領域からいなくなっていった話で、シートンと狼王ロボの話が書かれていて、それを見て今までシートン読んだことなかったから、児童向けの物語と思っていたらノンフィクションだと知り、ちょっとその話を読みたくなってきた。
 狼などの捕食者の虐殺、農耕・家畜の飼育によって捕食動物への攻撃始まる。2500年前のアテネの政治家ソロンは狼を殺したものに報奨金を与えることを約束し、ローマのコロッセオでは多くのクマやヒョウ、ライオンが殺された。火器の登場も捕食者を大きく減少させる。
 キーストーン種には、愛らしさと絶滅の淵からの復活と言うストーリーでキーストーン種の象徴となったラッコがいる。エステスはアリューシャン列島で、ラッコの存在有無による違いを発見した。ラッコがいない島ではケルプ(ワカメ、コンブ、ヒジキなど)がウニに食い尽くされて、ウニしかいない場所となっているのに対して、ラッコがいる島ではラッコがウニを食べることで、ケルプがウニに食い尽くされず成長することができ、そのケルプの森にケルプを食べたりケルプに身を隠す多くの魚達が集まり、またそれらの魚を追ってゼニガタアザラシもくるし、魚や海鳥、ときにはアザラシの子供なども食べるハクトウワシも見かける。そのようにラッコが存在するかしないかで劇的に生物の多様性などの生態系が変わる。
 このエステスによる捕食者の有無による変化の実例の発見で、はじめてペインのヒトデやウニを投げ捨てての実験による変化でない実例を見つける。
 ラッコはその後象徴となったことで保護され、増えていた。しかしその後、一転して減少した。シャチによる捕食によるものと考えられる。そしてそれはシャチが食料としてきたクジラの減少して、捕食できなくなったことでラッコやトドを多く食べるようになったからだという説も出てきた。しかしシャチはイルカやクジラ、ラッコ、ホッキョクグマホホジロザメなど随分と色々なものを食っているのね。
 ダムを作ったことにより誕生した小さなグリ湖の小さな島では、サルが捕食者から解放されたものの、食料が少なくなり本来群れで暮らすアカホエザルは群れをつくらなくなり、吠えなくなる。そしてサルの数が島の面積に比べ多すぎ、食料少ないため、彼らが好んで食べる葉も食べつくされたためその植物の新芽も苦くて食べられないものとなる。『表向きはトップダウンの支配から解放された彼らだったが、植物によるボトムアップの調整と言うはるかに残酷な時代に踏み込んでいった。』(P176)
 さらにその島ではハキリアリが猛威をふるい、森がなくなる。その後島全体が頑丈なとげだらけのツタが繁茂し、鳥すら見捨てる。やがてそうしたツタだらけの島となるだろう。
 元々、現在の(「かつての」といった方が正確か)生態系は捕食者の存在があってできているものだから、それが崩れれば生態系のバランスが崩れるのは当然だろうが、それが崩れた世界がこんなにも劇的にグロテスクなものともなりえるのだということは予想外。捕食者の欠如で失われる多様性は、動物の多様性だけじゃなく、(草食動物の跋扈により)植物の多様性にもその影響が大きく及ぶ。
 ウィスコンシン北部を調査したウォラーとアルバートン、シカが増えすぎた森、若木が育たないと警告。彼らは論文の中で、シカに食われて絶滅が懸念される希少植物98種あげた論文。
 ペンシルベニア州北西部、アレゲーニー高原の0.5平方キロの小さな森林景観地区では、シカによる捕食で1980年代半ばまでには、1929年に記憶された植物の50%が失われ、10年後には80%がその場所で見られなくなった。『林床は藁の匂いのするシダの海に飲み込まれそうになっていた。オジロジカが触れようとしないわずかな種のひとつだ。ハーツコンテントの森は、けがれない自然を謳いながら、そそり立つ墓標が倒壊するのを待つだけの墓場になってしまっていたのだ。』(P195)
 島嶼生物地理学、より小さな島ほど生息する動植物の種が少なくなるという仮説。これは、規模が大きければ少々の災害等でも回復できるが、規模が小さいと回復せずに種が根絶してしまい生息種が減るというもの。人々の生活圏に侵食されたアメリカ東部の森でも、そうした動植物の生息種の減少が見られる。
 しかしそれに反するようなことがハンダ・グワイの群島で見受けられた。その原因と見られるのはシカの存在の有無である。ハイダ・グワイの森『五〇年以上にわたってシカに若芽を食べられた結果、鳥では鳴鳥の種の最大四分の三が消えた。昆虫の種は六分の一に減少した。多くは花粉の媒介者なので、それらがいなくなると、たとえシカに食べつくされなかったとしても、植物が実を結ばなくなる可能性は高い。』(P198)シカの捕食の影響は植物に留まらない、鳥は生息場所(樹木が密集している場所)がなくなったことで消える。
 捕食者・狼の不在、シカに対する心理的な影響も大きい、捕食者がいることで被食者の行動が抑制される。
 鳴鳥の減少、捕食者の不在により増えたイヌ、ネコ、カラス、アオカケスなど下位の捕食者に卵を食われるリスク高まる。クマやオオヤマネコのいる大きな森に比べて、実に10倍から50倍も卵を食われる可能性高い。上位捕食者を減少させたことで、下位捕食者(中巻捕食者)が激増したことでさまざまな影響がでている。
 ある村の調査78匹のネコが173軒の家に出入り、彼ら彼女らが持ち帰った小動物の死体や身体は1100匹分に及ぶ。持ち帰った獲物だけでもその数。イエネコの狩りが生態系にも影響を及ぼすとは、そうした完成を考えたことがなかったので予想外だがイエネコの数の多さと、その狩りによる獲物の数と、ただでさえシカの増加で鳥などが減っているところに狩られることを考えるとそういうことも不思議ではないのか。
 ワピチ(アメリアカシカ)によって食い荒らされたイエローストーン国立公園の自然。それを甦らすためにハイイロオオカミが放たれることになった。
 イエローストーン、狼がいなくなった1920年代以降、ワピチがポプラやヤナギの若木をことごとく食べ始めたため、ワピチたちが食べられる高さまでしかそれらの木々は生長しなくなり、新しい木は生えてこなくなっていた。しかし狼の復活でワピチは恐怖を感じる場所、川辺などで狼に捕殺されやすい場所の草を食むことをしなくなったことで、60年ぶりに新しいヤナギの木が生えてきた。
 ワピチの数が激減したわけではないが、100頭ほどの狼、捕食者の存在という「恐怖」があることによってわずか5年でそうしたことが起こった。恐怖を感じやすい地理的要件の場所をワピチ(被食者)が避けるようになったことでその場所に森林が再生したという実例によって、恐怖仮説が真実味を帯びる。
 川辺に樹木が戻り土手がしっかりと堅くなったことで、魚や水生の昆虫が安全な浅瀬に戻り、ビーバーも再びダムを作るようになり、ビーバーのダムが早瀬をせき止めることで魚や両生類、マスクラット、ミンクも戻ってくる。狼の帰還、被食者の恐怖心の復活でここまで劇的に変化。訳者あとがきにあるように、捕食者と被食者の知恵比べが緑を復活させた。
 人類、よたよた歩くのろまな動物ではなく、全時代を通じて最も優れた長距離ランナー。アフリカ、カラハリ砂漠ブッシュマン、時には30キロ以上も同じ獲物を追い続けることができる。
 エピローグ、『危険な肉食動物を呼び戻すことに賛成する人も反対する人も、筋の通った論理に基づいてそう言っているわけではない。動物行動学者のハンス・クルークはこう述べる。「そもそもわたしたちは、理想とする生態系を科学ではなく美意識に基づいて決めている。したがって、大型肉食動物を回復させるかどうかも、その動物が魅力的だからだとか、美しい生態系を保つために必要だからだとか、結局のところ美意識によって決まるのだ。そして最も強い動因となるのはやはり動物そのものの魅力だとわたしは確信している」』(P350)。
 ハンターが頂点捕食者の代わりを勤めればという意見もあるかもしれないが、ハンターは大きな獲物、立派な獲物を狙うのに対して、頂点捕食者(オオカミなど)は効率や自身の安全を考えて幼かったり年老いていたり、弱っているものを獲物とすることが違う。つまり一番立派なものを狙うハンターと、一番弱いものを狙う捕食者では全く違う。
 訳者あとがき、1995年にイエローストーンに呼び戻された十数頭のオオカミは、現在1000頭以上に増えて、一方90年代に2万頭まで増えていたワピチは1万頭以下に減った。
 日本にはオオカミ絶滅以後、頂点捕食者いない。クマはシカの数抑制しない。