芙蓉千里

内容(「BOOK」データベースより)
「大陸一の売れっ子女郎になる」夢を抱いて哈爾濱にやってきた少女フミ。妓楼・酔芙蓉の下働きとなった彼女は、天性の愛嬌と舞の才能を買われ、芸妓の道を歩むことになった。夢を共有する美少女タエ、妖艶な千代や薄幸の蘭花ら各々の業を抱えた姉女郎達、そして運命の男・大陸浪人の山村と華族出身の実業家黒谷…煌めく星々のような出会いは、彼女を何処へ導くのか!?…女が惚れ、男は眩む、大河女子道小説ここに開幕。

 須賀しのぶさんの本は「流血女神伝」が途中からどうしても読むのがしんどくなって読めていないけど、頑張って読むべきかどうか迷っていた、というより途中まで読んだのだから最後まで読まなきゃと義務感というか未練がましい気持ちがあったので、この本を(実際にはシリーズものだったが、読む前は一冊で終わるものと思っていた)読んで合わないと実感してそうした未練を断って、「流血女神伝」を読むことを諦めようとしたのに、思わぬ誤算というかなんというか、すごく面白かった(まあ、冒頭は、友人を元気付けるために軽業をして、股引を公衆に晒す主人公というのは、その羞恥心のなさはどうなんだ、と主人公のフミを応援できるか不安になったが(笑)。)ので、「流血女神伝」を読み進めることはまだ悩んだままであるが、とりあえずこのシリーズは文庫化したら絶対買って読むことは決心できた。
 一晩に平均して7、8人の客をとるというのはその多さに驚き、それと同時にその多さには痛ましさも感じてしまう。
 『ここにいる男の多くは、『酔芙蓉』に一度は世話になっているんだからね。みんな私に恩があるのさ。商売をする援助をしてやったのも、一人や二人じゃないんだよ。しなの人間は、受けた恩は忘れないからね』(P62)外国から来た娼婦たちの店が好意をもって地域に受け入れられているということは、たしかに女将すごいわ、だって前半の部分が本当なら、女性には嫌われそうなものだからね。
 舞台が女郎屋だということで、暗い雰囲気の話なのかと思ったら、主人公であるフミの明るい気質もあって、女郎屋であり、しばらく時が経ち、芙蓉が芸妓になったときの前あたりから店も傾き始めていて、新人も入ってこなくなっている、店が消えるのが解っていてどんなことも延命にしかならず、それでもそこにいる人たちはこの女郎屋に縛り付けられていて逃げられないという事実は心に重くのしかかるが、そういう希望を感じるのが難しい状況であるのにフミやタエが生き生きとしているから、読んでいても不思議と陰鬱な空気で読むのが苦しくなることがない。
 山村が、この子(フミ)が花(女郎)になったころに参りましょう、と『こいつは、唯一無二の花になる』(P91)というのは、いい話風だが、よく考えたら変態的な風にも思えてくる(笑)、山村の母も女郎であったようだし、これでフミに好意を抱いていて、あえて彼女を連れていかずに、一旦女郎になってからこようというのは、ある種母の面影を求めて、というマザコン的な考えも附与されているのなら目も当てられないなあ、と余計な考えをめぐらせていた。だって、おフミと俺は必ずまた会うといっており、なんか運命の相手っぽい登場だから、後々実は最初から〜とかだったら、こうもなりうるのかなあと妄想をめぐらせちゃう、まあ僕の下卑た感性が原因かもしれんが。
 フミが既に生娘じゃないと語ったとき、結構ビックリしたし、主人公がしょうもない男に抱かれたかと思うとなんだかもの悲しいなあ。他にもフミの憧れだった先輩が自死したりとこの小説には、まさかと思える過去や出来事が色々でてくるなあ。
 千代、かつて愛情深かった親が女郎屋に借金に困り千代を売り、それが儲かると知って変貌し更に借金をつくり千代に押し付けた、ということでは、それは皮肉っぽくもなるわなと納得し、それまで口が悪くていまいち好かなかったが同情するよ、それに口は悪いけど情が薄いって人じゃないようだしね。その上、恋人である志仁との悲恋を見たあとなら尚更。
 フミが蘭花に知らない母の面影を重ねて、本当の彼女を知ろうとしなかったと気づき、幻想から脱却すると同時に彼女の死を実感したというシーンは好きだな。
 フミ、舞の才能もあることがわかり芸妓にさせようと女将が決めたとき、私は女郎に…とフミがいっていると、千代はフミが自分に自信がないから体一つの女郎になりたいといっていたことを見抜いて、女郎をなめるなと一喝しているシーンは、怒っているようで、実はフミのためにも芸妓になったほうがいいことはわかっているから、そちらの方へ進むように促していることがわかるのはいいね。
 芙蓉(フミ)芸妓の稽古をして、半玉になり、17歳になってもなお角兵衛獅子をやっているのには芙蓉自身も笑っているけど、ちょっと可笑しみを覚えるよね。
 芙蓉を水揚げして旦那になった黒谷、芙蓉の踊りの才能に惚れ込んで、この手もっと伸ばせる環境に行かせたいと述べて、情欲よりも芸術で結びついた魂とか言って、水揚げ当日にドキドキしていた芙蓉に怒られる。そして芙蓉も惚れさせて見せると啖呵を切ったり、水揚げ当日だってのにさっぱり色っぽくならんねえ(笑)。
 千代が、そんなに年月立っていないはずなのに、わずか数年で一気に老いているのはショッキングで、話し方も以前よりも余裕がなくなっているためか険が強くなっていて、それがまた哀れさと痛ましさをより感じさせる。千代の死のシーン、魂が飛び立ったのをフミが視た描写、オカルト的に実際に見えたのかそれとも願望からそう見えただけなのか。
 山村との再会、覚えているから哈爾濱に来たんだ、というのは出来すぎだなあ、それともやっぱり変態なのか、という考えが頭を掠めたが、実はほとんど忘れていたと白状して、ああ、やっぱり(笑)と納得。しかし、山村というヤクザな男との恋愛によって、黒谷との関係では得られなかったものを得るというのは、やはり人間はできうる限り精神と肉体が両方ともなくては駄目だよね、どちらかを贋物、不純なものと切り捨てるのはやはり歪というか、どちらかを不純という価値観を両者が一致して持っていなければ、このように他の満たしてくれる人に惹かれてしまうようなことが起きるのは不可避に思える。そして、山村が来て、芙蓉が変わったことで、黒谷が少し胸襟を開き過去を喋り、芙蓉の舞が彼の過去の傷を癒してくれているからもう少し舞を見せてほしい、そして米をやめないでほしいと頼んだのを見て、本当に彼は芙蓉の好きなんだなと実感した、それに黒谷が弱みを見せたことで、今まで最初のボタンのかけ違いから、ずっとどこかにチグハグさがあった芙蓉と彼の間の距離も縮まり、自然な安定した関係になってくる。
 『だって貴文さま。選んだ後、全く後悔しないことなんて、あるんでしょうか』(P432)というフミの台詞は好きだ。そうだよね、結局迷っている時点でどちらも自分の中でそれなりに大事なもの、比べることのできないものなのだから、よくあるように安易に好きな方を選べといわれても、悩んでいる人は相対的にどっちがいいかを比較して決めるのだから、より後悔が少ない選択はあったとしても、後悔のない選択なんてあるはずないもんね、悩み抜いて自分が決断したものだという意識が後悔を小さくすることはあってもさ。そして、フミの決断の理由が芙蓉であるなら後悔すらも生かせるからというのも非常に格好良くて好きだ。
 タエが主役の中篇「桜の夢を見ている」は、タエが女郎屋で苦労してきた経験から、自分に男たちを惚れさせて手玉にとっているのを見ると、スレやたくましさを感じる、これが普通の世間での成長なら、悪い女だなあ(笑)とでも思っているのかもしれないが、身体を売っている経験からついたものだということに哀れみを感じてしまう、もちろんタエ当人はそのような哀れみの感情を持たれるのには憤慨するだろうけどさ。ロシア革命が起こると作中にあり、ああ、もうそんな時代だったかと驚き、そしてラストのタエの台詞には痺れる。