中核VS革マル 下

中核VS革マル(下) (講談社文庫)

中核VS革マル(下) (講談社文庫)

内容紹介
かつては高揚する学生運動をささえていたはずの中核と革マル。だが、果てしないその対立は、鉄パイプによる内ゲバ殺人へとエスカレートしていった。世界の社会運動の歴史においても稀(まれ)にみる激烈で凄惨な両派の内部抗争の局面を戦後の学生・労働運動の流れに遡(さかのぼ)って詳細に跡づける衝撃の実態レポート。


 革マルと中核の抗争が”戦争段階”にはいったのが71年暮れで、それから一年半は中核派の”戦略的防御”という戦略のため革マル派の一方的攻勢が続いていたが。中核派が攻撃的には攻撃的テロで、と路線変更をしたのが73年7月のことで、9月になると実際にその方針を実行し始めた。しかし、その路線変更時の中核派の文章が掲載されているが、なんだかやたらと「革命的」という修飾語が多くて、なんにでも「革命的」とつけていればいいと思っていないとつっこみたくなる。
 また、そうして両派が報復テロを繰り返すことによって武器もエスカレーションしていった。そしてテロ合戦が広がるにつれて、無関係の人間を襲撃する誤爆のケースも多くなり、誤爆によって死亡した人も出てくる。
 革マル派中核派部落解放同盟を離間させるため、中核が革マル内ゲバを起こした際に解放同盟の幹部を巻き添えにしてしまった事件を利用して(この事件後、中核派は解放同盟に幹部を派遣し自己批判したが)間にくさびを打ち込むために、中核派が居直ってそれを正当化したようにみえる内容のニセビラを作成し、それが解放同盟内部でまかれたが、その居直り風の文章が共闘している相手に対してとる態度、内容でないから、もうちょっとそれらしいのを作れなかったのかと思う出来であり、自分たち(革マル派)の中核派に対する偏向したイメージから、それらしい文章を類推した(中核派の連中ならこの程度の文章しか書けないだろ)って感じのものだ。まあ、離間策が本来の目的でなく、革マル派の内部に中核の悪いイメージをより強く持たせようとするため、そうしたのなら、わからなくないけど。ただ、その場合でも、そもそも敵対してテロをしたりされたりしている相手のイメージがこの程度でより強固になる作用があるかは疑問だけど。
 『中核派は、/「母親の過保護から脱却できず、小ブル的生活を捨てることをなしえず、下部には”家に変えるな”とどう喝しておきながら、自分は親から与えられた自家用車をたよりに、たびたび自宅や親せきの家にたちよっては一息入れる、という破れん恥な弱体分子ぶりである。ねらわれているといって逃げ回りながら、下着を親に洗濯させるというどうしようもなさ」/とバカにしたが』(P140)ここでいわれているような人は、今までなんとなく70年代の学生運動をやっていた人たちのイメージとして持っていたのに近いなあ、今まで読んできた小説とかで、そういう中途半端な格好ばかりの人たちが登場してきたのと、元々学生運動にはとてもじゃないが好印象を持てないという心象から、そういう人が大多数みたいな勝手なイメージを持っているだけかもしれないが。
 両派間の抗争では、中核派側は学生・労働者の区別なく全党一丸ですすめられたが、革マル派は学生組織内の全学連特別行動隊(JAC)という特別に構成された部隊が実行をしていた。革マル派の組織の本体は、あくまで労働者の組織で学生組織はそれに付随するものであった。中核派との抗争において、革マル派は学生組織がテロを実行してきたが、資金源となっているのが労働者組織なので、産別戦争において、中核派革マル派の労働者をターゲットにするというエスカレーションを起こした。
 革マル派の勝利宣言(実際にはまだ両者あい争っている真っ最中なのであるが)後に、連続的に戦略的敗北をしたことに理由をつけるため、『すでに壊滅的打撃を受けている中核派にできるわけがなく、実は警察が中核派の名をかりてやった謀略』(P108)という”権力の謀略論”を革マル派が主張するようになる。『革マル派は、この間の主要な敗北のほとんどすべてを権力の謀略であるとした。しかし、この間の主たる敗北は地方で起きたものが多い、そこで、これは警視庁の特殊謀略部隊がドサまわりに出て起こしているのだと分析した。』(P148)そのため、このような中核派でなくともつっこみを入れたくなるような苦しすぎる主張をするようなはめに。結局後に革マル派は、第四時謀略が始まったと主張していた事件で、中核派殺人罪で警察に告訴したように、自派が主張していた謀略論を捨て去った。
 また中核派が主張したK=K(警察・革マル)連合という発想が出てきたのは、中核と革マルの警察の扱いがその語を使い始めた当時は実際に違っていたからである。だが、それは、当時革マル派は過激な行動をとらず労働戦線で一定の組織的伸張を見せているだけなのに対して、中核派公安警察から見て脅威度が高かったからであり、そして、
革マル派中核派に対して組織的絶滅を目的とする党派闘争にのりだした七一年後半からの時点は、ちょうど公安当局が中核派つぶしに熱心だったときで、これが中核派の目には、K=K連合の相呼応した攻撃と映ったとしても不思議ではない。実際、公安当局としても、その時点での主目的である中核派つぶしに役立つものとして、革マル派の仕掛ける内ゲバに対しては、ある程度寛容な態度をとったようだ。』(P213)ということなので、双方から攻撃されている中核派からK=K連合という語が出てくるのには、中核派の人間からしてみれば、それなりに説得力のある背景があったようだ。
 そして、この両派の凄惨な内ゲバでは、『もっぱら合法活動しかしなかったがために、当局には手を出すことがなかった革マル派の労働運動活動家がテロで倒れていき、それ自体としては弾圧がむずかしい戦闘的労働運動がつぶれていくという効果も期待している』(P221)ことや、『双方が襲撃によって相手方の組織文書を奪取し、それを利用しての組織バクロがなされていくことによって、これまでの公案捜査の手段によってえられる以上の組織情報が得られるという副産物』もあり、一般市民の過激派に対する反発が強まることが期待できるため、警察は両派の内ゲバをある種野放しにして互いに争わせているという側面がある。