ボクには世界がこう見えていた

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

早稲田大学を出てアニメーション制作会社へ入ったごく普通の青年がいた。駆け出しながら人気アニメ作品の演出にも携わるようになったが、24歳のある日を境に、仕事場では突飛な大言壮語をし、新聞記事を勝手に自分宛のメッセージと感じ、また盗聴されている、毒を盛られるといった妄想を抱き始め…。四半世紀に亘る病の経過を患者本人が綴る稀有な闘病記にして、一つの青春記。


 こうした精神病にかかった人がその当時の体験を克明に記した体験記というのは見たことがなかったので、興味を抱いて購入した。しかし精神病が題材だから読んでいてしんどくなるかもという懸念を抱いて、しばらく積んでいたが、実際読んでみると重苦しいような雰囲気を感じることなく読み進めることが出来た。
 『『新ど根性ガエル』の魅力は、なんと言っても”下町”の綿密に設計された舞台設定に尽きる。そこには僕の憧れる生活空間があった。ストーリーは二の次で、僕は毎週、キャラクターと舞台との見事な”関係”にすっかり魅了されていた。』(P36-7)「新ど根性ガエル」というアニメを見たことがなく、別段の興味もなかったが、そういったリアリティがある世界観というのはいいよな。この説明でちょっと興味を引かれた。
 著者は片思いしていた女性のファンクラブ「美代ちゃんファンクラブ」というものには言っていたというのはおどろいた。人数的には、たぶん2人だけのようだが、それでも一般の身近な女性に対してファンクラブを作っているというのは漫画の世界みたいで驚き。こういうのは昔は普通にあったことなのか、それとも漫画・アニメの影響で洒落半分にこうしたものを作った、というか名称をつけたのかどっちだろ、ちょっと気になる。
 社会構造自体の変革云々を本気で考え、新しい体制について構想して、本気で語っているなんて、著者の小林さんはロマンチストだなあ。それに時代の違いがあるから、たぶん当時の流行の理論などを多分に含んでいるその理想は、少なくとも僕にはわかりづらいからより夢想的に感じるだけかもしれないが。
 しかしそういう社会構造の構想についての考えはともかく、社会構造が現在のままでいいのかという疑問は当然だし、他にも結構共感できるような主張も多い。
 アニメの企画を社長に話している最中に、話がどんどんと誇大になり、役名もキャラクターも本物のポール・マッカートニーとかオノ・ヨーコを使うなんてことを言っているのを見て、既に病気の兆候がみえて、思わずゾワリとした。
 同じ大きさの5個の正方形で出来ているピースが12個あり、それを10対6の長方形のケースに収める組み合わせが2339通りある「プラパズル」という玩具を小学校のころから大切にしていた。
 それを発狂する直前に早稲田大学イスラエル人の男性2人にやってもらい、彼らにポール・マッカートニーを使ったアニメの夢を言った。そして2人にプラパズルをやってもらった後に、彼らの名前と感想を書いてもらって、そして著者が「このパズルは何かを意味していて、僕にはそれを分析(アナライズ)することができない」と述べると2人は納得したような素振りを見せたというのは村上春樹とかでありそうな話だ。
 発狂してからも文字通り世界が一変した体験を、ここまで克明に現実が変わった後の描写を、記しているのはすごい。現実がぐにゃぐにゃと崩れているのが文章で読んでいて伝わるのがすごいわ。その描写を読むと幻想小説を連想する、小林さんは幻想小説をリアルに体験したのか。
 手や足を震わせながら、多くの人間と交信して圧倒的な至福感に包まれたというそんな体験も書かれていて、それも興味深い。他にもあらゆるものが自分へのメッセージに見えてきたりなど。
 他にも誰もが知人に見えたり、好みのタイプに見えたりする幻覚を体感する。こうして現在体感しているものが嘘だという体験というのは、現実感や自身の感覚が事実だというような根底の信頼を突き崩すものだから、ゾッとする。
 しかしそんな状態でも入院するほどの状態ではないと思っていたが、それも経験してみるのも悪くないと思って入院したという意識だったというのは不思議、やはり自分では自分を客観的に見られないのね、特にそんな状態のときは。
 精神保健法制定(案)の記事が載った新聞を読んだ記憶があり、その新聞記事がなくなったことで、看護師の人に文句を言った記憶もあるのに、後に新聞の縮刷版を調べても見当たらなかった。記憶すらも信用がならない世界なんて一体何を信じればいいのだろうか。著者は自分の思い違いや幻覚、「一九八四」のように記事が差し替えられた(政府やマスコミ、周りの人が著者を騙そうとしている)、そして「あのあと別次元に転移してしまった」という3つの可能性を考えて、最後の別次元に転移をしてしまったという可能性が高いと考えることで、現在の社会の、自分のよろしからぬ状況含めて、そう考えることで合理化しているようだ。
 精神病院での著者と同じ早稲田出身の老人とのエピソードや、入院時に精神の危機を救うため、歌ったり踊ったりしたというエピソードはちょっと面白かった。校舎のエピソードはどことなく古川日出男を想起した、まあ、これが書かれたほうが古川日出男が出てきたよりも早いと思うが。
 ストリンドベリ『この人も僕同様、異常心理状態に陥り、全面的に別世界を容認――つまり幻覚や幻聴は幻ではなく現実であるという考え方――し、創作に打ち込むことにより狂気からのがれたらしい。』(P218)ストリンドベリがそういう人だったとは知らなかったので興味深い。
 祖母の葬式が終わった2日後のお寺参りでの入神的体験。そうした体験を一度でも経験するというのはちょっと羨ましいな。
 多幸感の最中には、周りの人間が色々動いて助けているという感覚を抱いたり、被害妄想の逆でニュースを見ても僕にプラスのメッセージを送ってきてくれていると感じたりしていたことも。