絵はがきにされた少年

絵はがきにされた少年 (集英社文庫)

絵はがきにされた少年 (集英社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

ハゲワシの前方にうずくまる少女の写真でピュリッツァー賞を受賞したカメラマンの、語られない自殺の背景とは?11歳の頃の自分が写っている写真が、絵はがきとして売られているのを雑貨店で見つけた教師は…。南アフリカ共和国ルワンダアンゴラをはじめ、南部アフリカを自ら歩き、そこに息づく声を拾いながらオムニバス形式で綴る。第3回開高健ノンフィクション賞受賞作、注目の文庫化。

 アフリカ、主にアフリカ南部、を舞台として、新聞記者である著者がインタビューした人について、名のある人に限らず市井の人などさまざまなアフリカの人物に焦点を当てて、彼らが体験した有名なある出来事や社会的な問題、あるいはそれに至る前や過程のある時代について語ってもらうことで個人史的な内容にも迫っている。
 そのように当事者の視点、肌感覚で色々なことが語られる。そのことでアフリカのある一個人から見たある時代とか、ないしアフリカの現代だったり、時代の感覚を単なる事実の列挙や歴史として見ただけでは伝わりづらい、例えば単に差別がどうとベタ塗りしただけではわからない、当事者の複雑な内心だったり時代の陰影が伝わってくる。
 また市井の人間の視点で話されるため、外から見た感覚、よく言われるような通り一辺倒なものと、当事者の実感が異なることもわかる。
 でも、例えば外から奴隷的労働や貧しさと見えるものについて、本人たちは肯定的に捉えていることを書き、それについて色々と考えているようだが、ただ、それに耐え抜いたような本人が肯定的に捉えていることや貧しいがそれで満足している人がいるからといって、先進国で豊かな環境に身を置くのならば、それで現状を肯定するのは、それで満足できない、苦痛だと感じる人を切り捨てるようなものに感じてしまい、あまり好きになれない考え方。個人的にはどういう社会でも、底辺の改善・セーフティーネットについて不備や条件の悪さがあるならば批判して企業や政府に圧力をかけるべきと思うし、そうでもしなければ労働者の環境が悪化の一途をたどるばかりだと悲観的な世界観、未来像を持っているからかもしれないが、そうした底辺の改善を放棄するようなことにつながる言説は個人的に好きません。
 そうしたことの他にも南アフリカに住んでいた著者と家族が直面して実感した社会的な問題などについても書かれているエッセイ集。
 インタビューしたときのエピソードが多いということもあって、その人物の人生などについて結構な分量が書かれているので読んでいて面白い。
 しかしこの本を読んでいて、この本で登場してくるアフリカの白人たちには、生まれた国・土地であるアフリカとも、旧支配者層の白人ということでどこか馴染めきれていないような感覚があるものの、だからといって他の欧州人とも違うと感じてしまう寄る辺なさを感じて、哀愁が漂っているように見える人が多かったのが印象的だ。
 冒頭の「あるカメラマンの死」は、『ハゲワシと少女』という写真でピューリッツァー賞を撮り、その後に自殺した写真家について同業者の友人の口から語られる。その写真について、なぜ撮る前に助けなかったのかという批判が強くあり、それに耐えかねて自殺したという俗説と実際の自殺の前の彼についての話。実際には、その少女の母親が援助の食料を受け取るためにわずかな時間だけ、置いておいたところにちょうどハゲワシが近くに降りてきたところを撮影したもので、母親は近くにいて、それに勝手に抱き上げたりなんかしたらその個の母親があわててかけつけてきて怒っただろうから、ハゲワシが攻撃的な兆候を示したというならともかく、そもそも勝手にそういうことをするのははばかられる状況であったようで、そういうことをするのは現実的な選択肢ではなかったみたいだ。
 もともと繊細な性質だから、そうした批判が堪えたということもありそうだけど、それ以前から麻薬中毒で感情の波が激しかったことや、そしてその写真以来、もっと良い写真を撮らなければというプレッシャーがあったということなども自殺の理由としてあげられそうで、単純に批判だけが原因で自殺したという分かりやすい物語ではないようだ。
 「語られない人、語られない歴史」1982年に逝去した、スワジランドの国王ソブーザ二世という名君は在位61年を誇っていて、また霊的エネルギーを抱えていたと信じられているため、86年にクーデターを謀ろうとした当時の首相が彼のパワーを借りようと右腕の遺骨を盗もうとして逮捕されたり、95年には霊媒師の集団がやはり骨を盗もうとしたなど、そういう中世的なそういうエピソードを見ると、現代なのにと驚くと同時にマジック・リアリズムの小説のような出来事になんだか魅力を感じるし、現代文明を知り、現代に生きながら同時に霊的な力やらという世界観を強くもっている人たちの感覚に興味を持つ。