予告された殺人の記録

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

町をあげての婚礼騒ぎの翌朝、充分すぎる犯行予告にもかかわらず、なぜ彼は滅多切りにされねばならなかったのか?閉鎖的な田舎町でほぼ三十年前に起きた幻想とも見紛う殺人事件。凝縮されたその時空間に、差別や妬み、憎悪といった民衆感情、崩壊寸前の共同体のメカニズムを複眼的に捉えつつ、モザイクの如く入り組んだ過去の重層を、哀しみと滑稽、郷愁をこめて録す、熟成の中篇。


 再々読。この小説は短いということもあるが、とても好きなので、再読よりも別の本を読んでしまいがちな私でもたまに再読する、といっても三読目ですが。何度読んでも面白いし、この短さと完成度は凄いと感心する。
 冒頭からサンティアゴ・ナサールが殺されるということが明かされる。そして、その事件が起こった当日の朝、殺される少し前のサンティアゴについての話から物語ははじまる。
 被害者となったサンティアゴ・ナサールの友人であり、彼を殺した双子のビカリオ兄弟の従兄であった人が後に長年かけて事件のことを町の人々に聞いた。そうして事件の当日の事実を集めて事件当時の事実を事細かに、いかに偶然が重なり合ってそんな事態が起こってしまったのかということを描く。そういう形式で過去のその事件について、多くの人々の口から語られている。
 そうして多くの人の証言・視点を重ねることで事件が起こった舞台の町や人々を実在的だと思わせる。事件の全容が書かれたが、それでもいくつもの大きな謎(花嫁アンヘラ・ビカリオは本当にサンティアゴと密通していたのか、花婿バヤルド・サン・ロマンが彼女に魅かれた理由、何故凶行を止められなかったのかなど)があることで、奇妙な事件であるという印象も増す。それでも現実離れしているとは全く思わせないのは、そうやって多くの人々の証言で細々としたことが書かれているからだろうな、本当に見事だ。
 バヤルド・サン・ロマンとアンヘラ・ビカリオの結婚。盛大な結婚式を挙げたが、アンヘラ・ビカリオが生娘でないことを知って、彼女は実家に戻ることになる。家族に問いただされたアンヘラ・ビカリオは、その密通の相手をサンティアゴ・ナサールだと述べた。そのことで家族の名誉を回復するために、彼女の兄で双子のビカリオ兄弟はサンティアゴ・ナサールの殺害を決意する。
 しかしその密通の相手がサンティアゴ・ナサールではなさそうだ。お祭り好きの彼はその前日、婚礼の日にはしゃいで自分もこんな婚礼をといっていたこと、冤罪であることとそうしたそんな嫌疑で死ぬことになるとは思わず、そのように未来を想像して楽しんでいたさまを見るとこの事件の悲劇性を強く感じる。
 彼の殺害を決意したビカリオ兄弟は散々その計画を述べて何時間かで町の多くの人がその計画を知ることになったことからもわかるように止めてほしいというか、十分名誉回復のための行為をしたと世間に認められる形での決着(無理やり止めてしぶしぶ従うみたいな形)を内心では望んでいたし、そのための努力を試みた。しかし決行するまでの時間の短さということがあったにせよ、行動を止めるのに十分な理由が訪れなかった。
 そして、この一家の名誉回復のための義務的な行為は阻んでもらうことを期待したものであったのにも関わらず、偶然が幾重にも重なったことでその行為がなされてしまう。この運命的ともいえる悲劇は何度読んでも興味深いし、見ごたえがある。
 そうして細かく当時の様子が書かれるごとに、その殺人が針の穴を縫うような偶然が連なったことで悲劇的な結末にいたったことがわかる。そのあまりにも情け容赦ない偶然の積み重ねであることが、この事件の悲劇的な印象を増幅させる。
 死したサンティアゴ・ナサールへの検死解剖。医学生がいたが彼は死者と友人ということで拒否して、かつて医学を少し学んだ神父にお鉢が回る。検死はちゃんとできていたがその後の内臓を戻すのに四苦八苦して結局内臓をバケツに入れる。神父も死者もかわいそうな状況でシリアスな場面ではあるが、俯瞰で見たら滑稽な一場面だ。
 成し遂げたビカリオ兄弟は阻止してほしいという気持ちも強かったということや、激昂によってというよりも義務のために行動したということもあって、正気で殺すことになった。そのため彼らにとっての精神的な打撃も大きく、その直後肉体にも変調があらわれる。
 最期に母親の彼を守ろうとした行動によってサンティアゴの生死は決せられるという切なさ。ラストの死ぬことがわかった彼が閉ざされた家の扉でなく、裏の扉から家の中に入ろうとして、最後に家に入ろうとしている姿はちょっと涙腺にくる。そして「おれは殺されたんだよ、ウェネ」という彼の最後の台詞もいいな。
 訳者あとがき。婚礼騒ぎと不発だった司祭歓迎の儀式の後の非日常的ムードもあり、そして町の外から来た有力者の息子で英雄的なバヤルド・サン・ロマンが婚礼の相手方ということもあって、共同体がその名誉回復の行為を阻止しなかった。しかしそれがなされたことで、歯止めを失った共同体は必然的に崩壊することになる。そしてこの殺人は古い時代の終焉を告げる出来事でもあった。なるほどね。