ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン 9 フォース・スクワッド・ジャム(下)

 

 

 

 ネタバレあり。

 レンたちLPFMSHINCが真っ向勝負の戦いを楽しんでいる最中に結託チームに横槍を入れられたことで、LPFMSHINCは結託チームの攻撃から逃れるために行動することになる。そして一緒に逃げる最中にレンとファイヤの事情をSHINCに話すことになり、それを知ったSHINCはレンを守るために気合を入れて協力してくれることになる。

 そしてピトフーイを倒すために近くにいたシャーリーとクラレンスは、結託チームが乗るハンヴィーの一台を奪取することに成功する。レンはそのハンヴィーを敵と思って攻撃を仕掛け、ハンヴィー内に侵入することに成功したが、ハンヴィーの中にいるのが一応チームメイトの二人と気づいて攻撃を止める。そうしてレンは離脱していた二人と共にハンヴィーピトフーイたちのもとへ行くことになる。

 そして危うい状況を何度も乗り越えながらピトフーイたちとレンたちは合流して、結託チームとの最終決戦の場となった拳銃しか使えないエリアである巨大ショッピングモールに向かう。

 ショッピングモール中で最初の結託チームとの戦いは、電動コートに乗った敵と戦いとなる。今回のスクワッドジャムは色々と変わった乗り物に乗っての戦闘が多かった印象。

 ショッピングモールでは色んなメンバーの奮闘が見れて面白かった。シャーリーと結託チームのスナイパーの双方同じ長距離射程の拳銃を使っての戦いも良かった。それからシャーリーが最後までレンたちと共に戦っていたのもいいね。ショッピングモールでの戦いは激戦で強力な仲間たちがどんどんと倒れていく。そしてレンたちと結託チームで最後に残ったのは、レンとファイヤのみとなる。その時点でファイヤは自分の負けだと認める。そこで少し会話をしている途中でゾンビ湧きが発生。ファイヤが勝負を投げたことに納得いかなかったレンはこれを乗り切ったら勝ちだと自分で決めて、ゾンビたち相手に奮戦するも乗り切ることはできなかった。そして第四回SJZEMALの勝利で終わる。

 レンは自分の中での勝利条件が達成できなかったので、大会後に自分からファイヤに連絡をして、二人は現実で会うことになる。実際にあって話をした時に西山田炎からGGOでのレンと香蓮のどちらがあなたなのかと聞かれて、両方ともわたしですと答える。それを聞いて西山田はおっかながって、彼の方からごめんなさいと断ってくる。改心して謝るパターンかと思っていたので、この展開は意外でちょっと笑った。何にせよファイヤが起こした騒動が今回で後腐れなく終わって良かった。そして最後のLPFMSHINCのメンバーが初めて顔を合わせたカラオケのシーンも良かった。

労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱

 

 

 kindleで読了。

 EU離脱投票で労働者階級の人々が離脱票を投じた理由としては、政権を握る保守党の緊縮財政で公共サービスが悪化していたことが大きいことなどが書かれる。

 ○ブレグジットと緊縮財政

 ブレグジットEUからのイギリス脱退)の背景にある保守党キャメロン政権の緊縮財政に対する不満。その緊縮財政での『削減のスピードはすさまじく、国立病院には閉鎖される病棟が出現し、公立学校の教員は目に見えて減り、福祉を切られて路頭に出るホームレスは増え、(中略)、地べたレベルでも国の風景が一変した。』(N451

 そんな『戦後最大の歳出削減で、(中略)公共サービスを縮小し続けていたキャメロンとオズボーン元財相の政治は、労働者階級からは切実に忌み嫌われていた。その2人が残留派のリーダーとして前面に立ってキャンペーンを繰り広げていたのだから、「残留派はネオリベのエリート」といわれてもしかたのない一面はあった。』(N288)大規模な緊縮財政で不人気だった人物が残留派の旗振り役だったということでの悪印象があった。そのように現政権への緊縮財政に対する意思表示としての投票という側面があった。大きな出来事ではあるけど根本にあるのは何ら特殊なことではなくて、それまでの経済政策が駄目だった時の政権が見限られたという話だったのか。

 20176月の総選挙。総選挙発表時点では労働党は保守党に支持率で大きな差をつけられて負けていた。しかし労働党のコービン陣営が「反緊縮マニフェスト」と呼ばれたマニフェストの発表後に保守党との差は縮まり、選挙後には労働党の支持率が保守党を抜いた。『これなども、本当にEU離脱投票の結果が「英国の右傾化」を意味していたとするならば、どうしてそのたった1年後に、英国の人々が「強硬左派」とまで呼ばれているコービン率いる労働党に魅力を感じているのか、説明がつきにくい。』(N387

 ○白人労働者階級

 ジャスティン・ジェストは『近年は白人労働者階級に関心を持ち、彼らを「ニュー・マイノリティ」と呼んで調査を続けてきた。』(N1176)白人労働者階級をマイノリティと表現することに抵抗を覚える人々もいるが『このように、「マイノリティなのか、そうでないのか」という問題じたいが激しい論争の的になり、マイノリティとしての存在認定が下りていないという点じたいが、白人労働者階級がそれ以外のクラスタとは異なる「新たな」マイノリティであることを示しているだろう。』(N1187

 白人労働者階級が感じている無力感。『移民労働者達が地域コミュニティの中で、「自分たちは周縁化された存在である」と団結して声を上げることができるのと対照的に、貧しい白人達は、草の根のレベルで団結して声を上げることもできず、「君たちは貧しくとも白人なのだから、困窮しているのは自己責任の問題である」と見なされ、堂々とマイノリティであることを主張できなくなる。移民やLGBTなどのグループと比較すると、「不満の声を上げてはならない周縁グループ」と見なされているのである。(中略)こうして白人労働者階級のコミュニティは、自ら社会から孤立し、自分たちの不利な立場について、「自己責任だ」と見なされることをうけいれてしまう。

 「ホワイト・トラッシュ(白い屑)」といった表現は、白人の下層階級が社会から周縁化され、社会的排除の対象になっているグループだということを象徴的に示しているのにもかかわらず、である。』(N1265

 『政治的支配者にとって、「階級」は引き続き禁句だった(なにしろ、ブレア政権は「いまや英国はみな中流層」と言っていたのだから)から、社会の不平等について語る時基準になるのは「人種」だった。

 こうした風潮の中で、それまでは「労働者階級」として使われていた言葉にも、いつの間にか「白人」という言葉が冒頭につくようになっていた。(中略)それは「白人」であれば人種的にはマイノリティではないので、「差別」や「平等」を考えるときにスルーして構わないとみなされ、社会のスケープゴートにしても批判されないという支配階級にとっての利点があった。

 別の言葉でいえば、90年代以降、歴代政権は、階級の問題を人種の問題にすり替えて、人々の目を格差の固定と拡大の問題から逸らすことに成功してきたのだ。これは経済的不平等の問題に取り組みたくない政治家たちによるシステマティックな戦略でもあった。

 このような戦略が、どんな皮肉な結果に結びついたかということは、2016年のEU離脱をめぐる国民投票の結果を見れば明らかだろう。』(N2687) 

戦国大名と分国法

 

 

戦国大名と分国法 (岩波新書)

戦国大名と分国法 (岩波新書)

 

  

 『本書では、大名たちが定めた分国法の内容を細かく読み解くことで、大名たちの実像に迫ってみたい。彼らはどのような歴史的課題に直面していて、どのように苦悩し、いったいどのような対策を講じていたか。そうした問題を分国法を材料にして考えてみよう。』(Pii)結城、伊達、六角、今川、武田という五家の分国法について扱われる。扱われている5つの分国法の成立に関する話だったり、分国法の条文や中世の慣習法についての解説などが書かれている。

 ○分国法の成立経緯さまざま

 「結城氏新法度」の『内容の不統一は、おそらくこの「新法度」の編纂に中世法に習熟した技術者(法曹官僚)が一人も関与していなかったことを示すものだろう。いや、それどころか「新法度」は他者の目を全く通されることなく、ほぼ法制については素人の結城政勝の独力でまとめあげられたものだったと断言してもいいだろう。』(P11伊達稙宗の「塵芥集」も「御成敗式目」などを参考にしながら大名自身が一人で執筆したようだ。「六角氏式目」は家臣団が原案を書いた分国法で、『大名当主よりも家臣団の意向が強く盛り込まれることとなった。』(P87

 ○当時の慣習法

 「結城氏新法度」の『10条には、「夜に他人の田畠で討たれたとしても、その関係者は「罪は無かったはずだ」などと言ってはならない。何の用事があってそんなところをうろついていたというのだ」という規定がある。(中略)戦国時代の村の掟には「夜間、村のなかを稲を持って通る者は処罰する」という条文がよく見られる。いまと違って街路灯もなく真っ暗な夜の闇のなか、当時の人々が田畠を徘徊する必然性はほとんどなかった。もし徘徊したとすれば、それは他人の田畠の作物を盗み刈ること以外に考えられない。ましてその手に稲束を持っていたとすれば、それこそ盗みの働かぬ証拠、と当時の人々は考えていたようだ。だから、「新法度」の規定は当時としては取り立てて厳格だったというわけではなく、むしろ政勝は当時の「古法」にもとづいて「新法度」を作成していたと言える。』(P24

 分国法を制定した戦国大名たちも『決して何もないところからルールを創出したわけではなかった。むしろ彼らは、中世以来の法慣習を積極的に取り込んで、それを公的に成文法に位置づけることで社会を秩序化しようとしていたのである。喧嘩両成敗や縁座・連座など、大名権力が創始したと思われがちな施策の多くも、じつはいずれも、それ以前の中世の民衆社会にルーツをもつものだったのである。』(P189

 ○分国法

 分国法を制定した戦国大名は少ない。『数多ある戦国大名のなかで、ちゃんと分国法を定めているのはわずか一〇家ほどに過ぎないのだ。』(P191

 当時は手間も費用も多くかかる裁判よりも対外戦争に従事し、恩賞でそれ以上の土地や権利を手に入れるほうが手っ取り早い権利拡大の手段だった。『だから、大名たちも自国の訴訟の停滞に目もくれず、隣国への侵略に血道をあげていたのである。裁判よりも戦争――。これが大多数の戦国大名が最終的に選んだ結論だった。』(P202

 『現実の社会では権力が定める法とは別次元で、人々のあいだで永いあいだに形成された法慣習や習俗によって、すでにそれなりの均衡が生み出されていたのである。現状でも何の問題もないのに、つくる必要のない煩瑣なルールをつくり、人々を疲弊させ、かえって状況を悪化させてしまうというのは、現代社会の組織にもまま見られるところだが、彼らの取り組みにはそれに似たものがある。』(P202-3

 そんな中で分国法が持つ意義。『分国法の成立は、それ以前の社会が作りだした法律慣習を成文法の世界に初めて本格的に取り込んだという点で、それ以前とは法の歴史を画する一大事件だったのである。

 分国法を定めた大名たちも、個々には滅亡の憂き目をみたが、社会と切り結び、民間の法慣習に公的な位置を与えると言う彼らの志向性は、最終的には、その後の近世社会に継承されていくことになる。』(P205

異星人の郷 上

 

異星人の郷 上 (創元SF文庫) (創元SF文庫)

異星人の郷 上 (創元SF文庫) (創元SF文庫)

 

 

 ネタバレあり。

 中世と現代の2つのパートがある。メインの中世パートでは中世ドイツの農村ホッホヴァルトの司祭で知識人でもあるディートリヒ視点で、宇宙船の故障で故郷へと帰れなくなった科学力に優れるが宗教のない異星人であるクランク人とのファーストコンタクトや交流が書かれている。現代パートでは、その交流の場となった村ホッホヴァルト(アイフェルハイム)は400年以上もあったのに突然に消失して、その後長くその地に人が住むことがなかったという謎を解こうとする現代の統計歴史学者トムとそのパートナーである宇宙物理学者シャロンの視点で進む。

 中世パートでの当時の習俗とか日常などの描写がいいね。そして中世パートの語り手である司祭ディートリヒ。

 異星人であるクランク人たちは予期せぬ事態で宇宙船が故障してホッホヴァルト付近の森に漂着することになった。村側では森に密猟者が潜んでいると思って領主の兵士であるマックスや司祭ディートリヒは森へと行き、森でヒルデとも合流。その森で一行は悪魔を連想させる姿の異星人という想定外の存在と出会う。ヒルデは怖れつつも怪我をしている異星人を抱いて、巡礼を歓迎する言葉を述べた。ディートリヒはその行為や異星人の中に子どもがいることを見て、『悪魔ではありませんよ、軍曹(中略)あれは人だと思います』(P114)とマックスに言う。そのように異星人を「人」だと判断して、怪我を治すための軟膏をとりに行かせると同時にパニックにならないように異星人の存在を村の人々に内緒とする。

 この時点では互いに言葉の伝わらない状態の中でそのように平和裏な接触が行われて、そこから友好的な交流をしていくことになる。後日ディートリヒはクランク人は翻訳機を通じて会話ができるようになる。そしてコミュニケーションを通じて全く違った種族・文化の相手を徐々に互いを理解していく。クランク人から説明される現代科学的な知識について中世教養人であるディートリヒが当時の学術や宗教的な考えからこういうことかなと理解したりできなかったり、逆に宗教を持たないクランク人がディートリヒからキリスト教の話を聞いても中々できなかったりするといったことが書かれている。

 村の領主マンフレートはクレンク人を家臣にして火薬を作らせて、それを使って旅人や商人を脅かし交易を阻害しているフォン・ファルケンシュタインを取り除こうと考えている。そうした思惑から様子見をしていて、冬にクランク人が物資不足に陥ったのを契機として、クランク人はマンフレートの臣下となる。村人たちは異形のクレンク人を恐ろしげに見やる。しかし教会で礼儀にかなった行動をとったことやヨアヒムの演説の効果もあって、即座に排斥したり、衝突したりといった面倒な事態にはならずにすんだ。そうして交流を深めるうちに、クレンク人の中からキリスト教の洗礼を受けることにした者も出てくる。

 何度か触れられているディートリヒの暗い過去や冬にもめごとを起こして村を出た一人の若者などが不穏な伏線があるので、下巻は交流が主だった上巻とは違った展開になりそうだからそれも楽しみ。

 現代パートでの統計歴史学者トムの話は後世に残った史料の断片を見ることで、中世パートではまだ描写されていない出来事の一端を見せて、いったい中世パートのその後はどうなってそうなったか、物語の結末はどうなるのかという関心を強めさせる。そして宇宙物理学者シャロンの発見は、パートナーであるトムとの話とも繋がりそうだが、それらがどのように繋がることになるのかも楽しみ。

 

 

予想通りに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

 

 

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 『本書(やその類書)の実験結果が示すように、わたしたちがくだす決断は、従来の経済理論が仮定するほど合理的ではないどころか、はるかに不合理だ。といっても、わたしたちの不合理な行動はでたらめでも無分別でもない。規則性があって予想することができる。脳の基本的な仕組みのせいで、だれもが同じような失敗を何度も繰り返してしまう。』(N5781

 『たとえ不合理があたりまえのことであっても、だからどうしようもないというわけではない、ということだ。いつどこでまちがった決断をする恐れがあるかを理解しておけば、もっと慎重になって、決断を見なおすように努力することもできるし、科学技術を使って生まれながらの弱点を克服することもできる。』(N5861)人間の判断は従来の経済理論の仮定より不合理だが、その不合理な行動にも規則性があるので、どこで不合理になりやすいかがわかれば見直すこともできる。

 「3章 ゼロコストのコスト」無料の魅力。アマゾンの一定額以上の注文で配送料が無料となるサービスをはじめて売り上げが劇的に伸びた。フランスでは一定額以上の注文で1フラン(20円ほど)にしたので売り上げが伸びなかったが、1フランを無料に変えると他の国と同様に売り上げが劇的に伸びた。そのように01が生み出す差は非常に大きい。

 『あなたは二〇円の手数料のままで(フランスのアマゾンの配送料のように)現状を維持することもできるし、何かを無料!で提供して人々の殺到を起こすこともできる。なんと強力な概念だろう。値段ゼロは単なる値引きではない。ゼロは全く別の価格だ。二セントと一セントのちがいは小さいが、一セントとゼロの違いは莫大だ。

 もしあなたが商売をしていて、この点を理解しているなら、たいしたことができる。お客をおおぜい集めたい? 何かを無料!にしよう。商品をもっと売りたい? 買い物の一部を無料にしよう。

 同じように、無料!を利用して社会政策を推進することもできる。人々に電気手数料を運転させたい? 登録や車検の手数料を安くするのではなく、手数料をなくしてしまって、無料!をつくりだそう。あるいは、公衆衛生に関心があるなら、重い病気への進行を防ぐ方法として早期発見に重点をおこうことだ。人々に適正な行動――定期的な結腸鏡検査や、マンモグラフィーコレステロールのチェック、糖尿病のチェックなど――をさせたい? 自己負担金をさげて検査費用を安くするのではなく、重要な検査は無料!にしよう。

 思うに、ほとんどの政策参謀は、無料!が手持ちのエースだということに気づいていない。まして、その切り札をどう使うかなど考えてもいない。予算削減が叫ばれる昨今、何かを無料!にするのはたしかに直観に反している。しかし、ちょっと立ち止まって考えると、無料は絶大な力を持ちうるし、それを利用するのは大いに理にかなっている。』(N1467

 「4章 社会規範のコスト」社会規範と市場規範という2つの規範。

 コンピューターの画面の左に出る円を右に出る四角までドラッグするという短く簡単な作業をしてもらう実験。その実験協力者に5ドル払う場合と50セント払う場合、社会的頼み事として協力してもらう場合の違い。5ドルの場合は平均159個ドラッグし、50セントの場合は平均101個、頼みごととして実験に協力した(社会規範を適用させた)人は平均168個だった。

 プレゼントは社会規範の範囲内に収まるか。先の実験で50セント払うのでなくスニッカーズのチョコバーを、5ドル渡すのではなくゴディバのチョコレートを渡した場合は、前者は平均162個、後者は平均169個と、何も貰わなかった場合の平均168個と遜色ない数字となった。『そこで結論、ちょっとしたプレゼントで気分を害する人はいない。たとえたいしたものでなくても、それによって社会的交流の世界にとどまることができ、市場規範に近づかずにすむからだ。』(N1667)ただし50セントのスニッカーズなどと値段をあかして渡した場合に『実験協力者が課題に費やした労力は、五〇セントが支払われたときと同じだった。値段をあかしたプレゼントに対する反応は、現金に対して示された反応とまったく変わらず、このプレゼントはもはや社会規範を呼び起こさなかった。値段の話が出た時点で、プレゼントは市場規範の領域へ移ってしまったのだ。』(N1679

 「13章 わたしたちの品性について その1」実験でごまかしの効かないグループでは平均正答数326問だった一般教養のテストで作業用紙から答えをマークシートに書き写す時に正答を見えるようにすると平均362問を正答と申告し、先の条件に加えて作業用紙を破棄するよう指示された場合は平均359問正答と申告、そして作業用紙もマークシートも破棄するように指示された後に正答数にふさわしい数のコインを自分で取るように言われた場合の平均正答数は361問だった。『この実験から何がわかったか。第一の結論は、チャンスがあれば、多くの正直な人がごまかしをするということだ。少数の悪いやからが全体の平均を押しあげたのではなく、大多数の人がごまかしをしたこと、そして、ごまかしの程度はわずかだったことがわかった。(中略)第二の、もっと思いもよらない結果はさらに印象的だ。実験協力者は、いったんごまかそうという気になったら、見つかる危険があることには左右されなかったらしい。用紙は破棄できないがごまかすチャンスがあったとき、正答数は三二・六問から三六・二問に増えた。しかし、用紙を破棄する――小さな犯罪の証拠を完全に抹消する――チャンスが与えられてもそれ以上は不正を働かず、学生は同じ程度のごまかしで思いとどまった。つまり、わたしたちは、ばれる危険がまったくなくても、とんでもなく不正直になったりはしない。』(N5047

 十戒の内容を思い出してもらったり、簡単な宣誓の文言に署名してもらうだけで(その文言は「MIT無監督試験制度の倫理規定のもとに行われていることを承知しています」で、実際には無監督試験制度の倫理規定は存在しないのに)ごまかしはなくなり、ごまかしのきかないグループと変わらない平均正答数となった。

 「14章 わたしたちの品性について その2」現金から一歩はなれることで不正行為が行われやすい。実験、簡単なテストで正答1問につき50セント渡す。そのまま解答用紙を出してもらう場合の平均正答数は35問。解答用紙を破って正解数を実験者に伝えて現金をもらう場合の平均正答数62問、解答用紙を破って正解数を実験者にその分の引換券(代用貨幣)をもらい同じ部屋の4メートル離れたところで現金に換える場合の平均正答数94問。『通常の状況で不正の機会を与えられると、学生は平均で二・七問分の不正をおこなう。ところが、同じように不正の機会を与えられても、代用貨幣がからんだとたん、不正は五・九問分も増え、二倍以上にはねあがるのだ。現金のための不正と、現金から一歩離れたもののための不正とでは、なんとも大きいちがいがあるものだ。』(N5451

ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット 3

 

 

 ネタバレあり。

 今回クレーヴェル(暮居海世)が社長を務める会社の社員たちが登場。1章では風邪をひいた彼の代わりにリリカがVRオフィスの案内役として登場。そんな彼女と顔を合わせたナユタは、クレーヴェルと親しげなリリカにその正体が明らかにされるまで少しやきもきする。クレーヴェルの会社、ゲーム内の観光以外にもVRオフィスの構築を請け負ったりとか色々とやっているのね。

 2章ではクレーヴェルとナユタが順調に仲を深めている様子が書かれる。そしてクレーヴェルも友人(ナユタの兄)の死によるサバイバーズ・ギルトを抱えていて、ナユタはそれに気づいていることが書かれる。ナユタは家族の喪失による強い悲しみからコヨミやクレーヴェルのおかげで前を向けるようになったから、いまだ苦しむ彼の助けになりたいと思っているようだ。

 3章では、そして≪ガッコウ(仮)≫というクエストの関係者テストプレイに参加した時の話がかかれる。そのテストプレイの場でナユタはクレーヴェルの会社の社員である千手屋や大柿と初めて会う。ランダムに組み分けされて、ナユタは千手屋や菱川といった初対面の人たちとパーティーとなってこのテストプレイをすることになる。菱川の一つの優しい嘘の話が印象的だった。

 4章ではクレーヴェル、ナユタ、コヨミといういつものメンバーにマヒロとリリカを加えた5人で新規イベントミステリートレインの先行体験に行くことになる。その列車内でのイベントで、二人きりになったクレーヴェルとナユタ。そこでナユタは今までよりも踏み込んだ発言をして、あと半年で大学生だということを述べる。しかし、その二人の会話中にイベントの条件を達成したことによるNPCが出現していた。

 終章ではクレーヴェルの会社の天才技術者である八鳥とナユタの会話。彼はナユタに『言葉も行動も冷静なのに、目つきにだけ鬼気迫るものがあった』(P313)クレーヴェルを変えてくれたことを感謝していることを伝える。それもあってクレーヴェルの周囲の人たちもナユタに好意的だった。

 「あとがき」によると『クローバーズ・リグレットはこれにていったん幕引きとなります」(P327)とのこと。面白かったので寂しくはあるが、クレーヴェルとナユタの二人は遠くない未来に結ばれるだろうと思える終わり方だったので良かった。

恋するソマリア

 

恋するソマリア (集英社文庫)

恋するソマリア (集英社文庫)

 

 

 「謎の独立国家ソマリランド」の後の話。2012年にソマリ世界へ二度取材に行ったときのことが書かれている。

 ソマリランドの定番ジョーク。コカ・コーラ社がソマリランドでコーラの生産を始めた。『「でも、なぜかソマリランドのコーラはキャップが黄色何だよな。他の国のはみんな、赤なのにな」とワイヤッブは言うので、私が答えた。

「それはソマリランドが国際的に認められてないからだろう」

「その通りだ! ワハハハ」とワイヤッブは爆笑し、でかい手のひらで私の手をぶったたいた。

「国際的に認められてない」とはソマリランド人の決まり文句だ。大統領や政府は、野党から政治や経済のマイナス面を指摘される度に「それはわが国が国際的に認められてないから」と答える。

 政府ばかりではない。国民も毎日このセリフを繰り返すこと二十年、いまや定番のジョークに昇華した。

 「どうしてうちの店は客が入らないんだ?」「どうして今年は雨が少ないんだ?」「どうしてうちの女房は文句ばっか言うんだ?など、答えはみな「それはソマリランドが国際的に認められてないからだ」。』(P165

 ソマリの家庭料理を教えてもらったエピソードは料理も美味しそうでいいね。それに料理を覚えると同時に普通のソマリ人女性と親しく話せるよい機会にもなったようだ。そして「おわりに」で書かれている、帰国後に早大ソマリア人兄妹を家に招待し、習ったソマリ料理をふるまうと『「わあ、そまりあの味そのままだ!」と二人は目を輝かせて喜んだ。』(P314)そのように喜ばれたというエピソードもいいね。

 20122度目のソマリアへの旅で初めて首都モガディショの外に出る。政府の大部隊について氏族間の争いの停戦交渉を他の色々なメディアと一緒に取材しに行った。しかし知事は大勢のメディアを引き連れて故郷に凱旋というわけで、『彼は思ったのだろう。この愉快な凱旋ツアーを止めたくない。もっと自分の故郷の人々に融資を見せたい。テレビで全ソマリ世界にもい見せつけたい、と。(中略)もうちょっと、もうちょっと……と、マスコミ陣を騙して連れて来たというところなのだろう。』(P267)そのように彼の凱旋に付き合わされ、日帰りの予定が数日も連れ回されるマスコミ陣。

 そして装甲車に乗ってようやく帰途につく。その帰り道で襲撃された。その後、襲撃について、早大に留学にきていたソマリア人の兄妹の兄『アブディラマンから面白い意見を聞いた。アル・シャバーブの標的はまず第一に私であり、知事や議員は二の次だったにちがいないというのだ。

 「なぜなら、外国人の君は政府側の客なんだ。客を殺されるほど大きな屈辱はない。その屈辱を政府側に与えるために、彼らは君たちを襲ったんだ」(中略)「客のもてなし」はこの一年に行った二階の旅の裏テーマと呼べるほどしばしば登場した概念だった。私がなかなか家に招いてもらえなかったのも、ソマリ人が「客」に足して過剰なほどのサービスを自らに課しているからであるし、レーゴでジャーナリスト連中が知事やアミソムに大きな態度をとっていたのも「自分は客」という意識が働いていたからだ。なにより、ハムディがあれほどまでに私の面倒を見てくれたのもやはり「客」を守るというプライドゆえだった。

 アル・シャバーブの襲撃までも、「客」が動機だったとは、一般にアル・シャバーブが外国人を狙うのは、彼らが西欧の国や文化を嫌っているからだと解釈され、私もそうだと思い込んでいた。故にアル・シャバーブは常識では計り知れない危険な連中と言うイメージを抱いていた。しかし、現実にはアル・シャバーブもソマリの伝統にしたがった動きをしていたのだ。ソマリ人には常識でも、非ソマリ人には全く理解できないことが多いと前に書いたが、これもその典型だろう。』(P315-6