中世ヨーロッパの書物

中世ヨーロッパの書物―修道院出版の九〇〇年

中世ヨーロッパの書物―修道院出版の九〇〇年

内容(「BOOK」データベースより)
印刷以前の中世ヨーロッパにも修道院の写本作りという出版があった。ヨーロッパとは何か、キリスト教とは何かを本書は理念や教義でなく、「書物」という具象的事実を通して追求する。

 たまに昔の書物についての話を読みたいなと思うことがあるが、最近また近代以前の書物についてのエピソードに興味がわいてきたので、この本を図書館にて読了。
 中世ヨーロッパにおいて筆写で書籍を作ることが制度的に成立し、かつそれが時代の本作りの中心的方法であったのは6世紀から15世紀の900年間で、初めの600年(第一期・第二期)は修道院のみが写本の生産に当たった修道院独占時代であり、そうした中世ヨーロッパの写本史は4期にわけられ、まず第一期の教父・宣教師出版時代(6〜8世紀)はベネディクトの会則で写本作りが修道院の作業に取り入れられたが、書物が一般に普及する前で、この時期に作られたのは聖書仲介やギリシア・ローマの古典。第二期は修道院出版時代(9〜11世紀、カロリングルネサンス)で、書物が社会のツールとして制度的に作り用いられるようになる発端の時代で、この時期は政治・文化・経済などで主役を演じたのは修道院のネットワークで出版もまた同様だった。それに続くのは第三期の大学・商業都市時代(12〜14世紀)で最後の第四期はルネサンスの時代(15世紀〜)で、この本で扱われているのは主に第一期と第二期について。ちなみに第三期以後も修道院の写本生産がなくなったわけでなく、15世紀から印刷術が広まると印刷出版にまで手を出す修道院が生まれたほど中世における書籍生産者としての修道院の存在は大きかったらしい。
 14世紀ごろヨーロッパで10万以上の人口をもったとしは、ヴェネツィアパレルモ、パリの3つだけだというのは、こうして中世の欧州の都市の人口をみるときにいつも、大航海時代からの世界に広がっていったということを考えると、人口少ないなあといつも思う。しかし、ヴェネツィア、パリはわかるが、パレルモってなんだろうと思ってググってみたら、イタリアのシチリア島にある都市のことか、シチリアが当時欧州の3つの指に入るほどの規模の都市を有していたとは知らなかったが、中世シチリアについての歴史の本がなにか読みやすい本があったら読んでみたくなってきたなあ。
 ギリシア人とゲルマン人は牧畜民族だが、イタリア人やフランス人などのラテン人は農耕民族であり、牧畜民族のイギリス・ドイツでは羊皮紙が潤沢で困らなくて、不足していたのはイタリアやフランス。だから、製紙の導入がイタリア・フランスで早く、ドイツ・イギリスで遅かったという、対比と説明は知らなかったが、へえ。
 当時人の数より家畜の数が多く、その家畜の半分を羊が占めていた。なので、羊の原皮は問題にならないくらい安い、毛と肉をとったあとの皮は脱穀したあとの稲藁のように畜羊の副産物で、羊皮紙が高かったのは、原料皮革そのものよりも、加工過程にあったというのは、目からうろこ。
 8世紀ごろ、文字を操れる人材としては修道士と在俗聖職者しかいなかったので、『公文書はすべて彼らが握っており、会計記録や金銭出納まで握っていた在俗聖職者の影響力はたちまちに強大にな』(P39)り、出世の糸口であったため、修道院学校の定員枠を越えて書記希望者が殺到した、しかし公文書すべてを宗教関係者が握っているという状態は凄いな。
 写字生や写本僧が一日に筆写できた量は、『大体一日150〜300行というのが標準だった』(P41)。
 出版社は大量販売のメカニズムの中で、写本の場合には必要のないような経費を必要とするため意外と安くならず、近代以前の本の値段は2000年間ほとんど変わっていない、というのは意外。ギリシア・ローマ時代のパピルスの詩集一巻は、ローマ兵や職人の給与の6〜7日分に相当し、13世紀後半のイギリスの大学では、教科書であるアウグスティヌスの「告白」(21分冊で、全部合計した金額)は、この当時のイギリスの熟練工労働者の賃金のほぼ3日分であった。そして17世紀後半の学術書一冊が1・7日分の賃金に当たった。だが、それほど分量がないであろう詩集と「告白」(邦訳は岩波文庫で上下分冊、約620ページ、ただし解説だったり注釈がどのくらいあるのかは読んだことないので不明)を比べたり、あるいは学術書という(たぶん)普通よりお高めな本をくらべたりするのは、どうなのかな、まあ当時の書籍の値段についての史料が少なく、同じ本や似たジャンルについて時代別というのは無理だろうから仕方ないだろうけど。しかし、中世の筆写の本でも「告白」というそこそこボリュームのある本でも、熟練労働者の3日分の給与で買えたのは、意外と安いなという印象を受けるが、分冊の1つを書くのに一日以上はかかるだろうから、ここで熟練労働者と言われている人は結構な富裕層だったのだろうが。古代ローマから中世の間に値段が半減したのは、パピルスは羊皮紙の何倍も高価だったから、という指摘にはパピルスがそんな高価なものだったと言う認識がなかったので驚いた。
 ベネディクトゥス会則の図書室の規定で『イースターと10月1日の間には、彼らは第四時から第六時までを読書にあてなければならない。…一〇月一日から四旬節のはじまりまでは二課まで読書させなさい。四旬節の間は朝から三課の終わりまで読書しなければならない。四旬節の間、彼らはそれぞれ図書館から本を借りて通読すべきである。それらの本は四旬節のはじまりに貸し出されるものとしなさい。』(P155)とあるように、ベネディクトゥスの定めた平易な規則とその後修道制の発展があったおかげで、西洋的知性が中世から現代に至るまで、その連続を保つことができた。
 中世の写本というと彩飾写本ばかりに注目が集まりがちだが、中世修道院では彩飾写本も作ったがそれは技術者がいないといけないので限られた修道院においてのみ可能だったのに対し、通常の写本作りはより多くの修道院で広く行われていた。現存する写本のうち彩飾写本の割合は2〜3パーセントで、美術品として珍重される彩飾写本の伝存率が通常の写本より高いことを考えれば、生産された写本全体の中での非彩飾写本の比率は一層大きくなる、とのことだから、現存している写本の内で2〜3パーセントということは、おそらく彩飾写本は作られた写本のうち1%にも満たないくらいの比率でしかないのか、なんか今までは中世の写本はなにかしら彩飾されているのがメインというイメージをもっていたから、それは結構イメージ違った。