アブサロム・アブサロム 下

アブサロム、アブサロム!(下) (岩波文庫)

アブサロム、アブサロム!(下) (岩波文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

憑かれたようにサトペンの生涯を語る人びと―少年時代の屈辱、最初の結婚の秘密、息子たちの反抗、近親相姦の怖れ、南部の呪い―。「白い」血脈の永続を望み、そのために破滅した男の生涯を、圧倒的な語りの技法でたたみ掛けるフォークナーの代表作。


 ネタバレありです。


 下巻からクエンティンと学友のシュリーヴとの会話で、そこでクエンティンがそれまで聞いた話などを話したり、あるいはシュリーヴと共にそのときあったことなどを推理・想像して、物語を立ち上げていく。そして二人は次第に興がのっていき、霊媒状態のように、あたかも本当の情景を見たかのように細緻に描写し、各人物の内面を物語る。
 そして下巻では内容的にはサトペン家の悲劇の要石であるボンとヘンリーの物語、その悲劇の真相と原因が中心に描かれる。
 この物語で扱われるサトペンの血統の悲劇の根幹、一番重要な部分がネタバレされていたのかい。私がうかつだから普通に驚けたけど(うかつでよかった)。やっぱり下巻の後に配置してしかるべきものだったな、上巻の解説。
 そのネタバレについては、ボンの子を産んだ奴隷で妾の混血の女性との関係もあったので、違和感を覚えつつも、それはないだろうとその可能性を却下してしまい、たぶんボンの奴隷/妾の女性が混血なことを、彼を崇拝していたヘンリーが許せなかったということでその破局にいたったという意味だろうなと勝手に解釈して、納得してしまっていたので、真実がそうだったという可能性をちっとも考えていなかった。そのように一人合点してしまっていた結果として、そういうわけでもないだろうに勝手に叙述トリックにはまったみたいな格好になってしまった(笑)。
 ジュディスは婚約者だったボンの子を、その実母(ボンの奴隷(妾)で8分の1黒人の女性)が死んだ後引き取り育てる。町の人はその子をジュディスの子だと思い、それだからヘンリーがボンを射殺したのだと納得した。町の人らはこんなに大きくなるまで隠していたのはなぜかという疑問は残ったが、そういう納得の仕方をした。
 そのチャールズ・ボンの子であるチャールズ・エティエンヌ・ド・セント=ヴァレリー・ボンはひと悶着起こした後、この土地から出奔。彼がこの土地から離れることに協力したコンプソン将軍は、彼をひょっとしたらクライティ(サトペンと黒人奴隷との子)の子供でないかと思っていた。そのため彼にジュディスのことを尋ねるときに「ミス・ジュディス」と呼ぶと『黒い血を引いている決め付けることになるから』(P74)そうは呼ばず、彼女のことを「ミス・サトペン」と表現した。チャールズ・ボンの8分の1黒人の血を引いているがゆえに奴隷となっていた女性の話や、息子のほうのボンも16分の1の血によって『彼が白人ではない』(P77)と書かれていることなど、そのように色々なところで当時の米国南部では黒人の血を引いていることがいかに禁忌と思われていたことがさんざん書かれる。そうした積み重ねが最後のあの場面で一気に効果を発揮する。そしてそれが当時の事情に詳しくない読者である私にも、彼らが受けた衝撃が非常に大きいものであることをわからせてくれる。
 ローザは父を店を売った金を受け取らなかったが、町のいろんな店で金を払わず物を貰って、その代金を預かっていたベンボウ判事が払うことでその代金以上のものを彼に出費させた。悲劇的な自分と言う自己イメージを確固たるものにするための自己欺瞞。金を受け取っていないことで、ベンボウ判事の良心を利用して彼に彼女が受け取るべき代金以上の出費を強いた。それに気づいていたかは不明だが、たとえ気づいていたとしても代金を受け取っていないということで借りはない、むしろ貸しがという思いがあったのかもしれない。ローザ、なんかとんでもない人みたいね。
 サトペンがクエンティンの祖父に明かした、彼の過去が明かされる。とても貧乏だったが、上下や貧富のほとんどない原始共産主義制的な場所で育つ。家族が移動して初めて金銭絶対主義、金がすべてを支配する世界を体感する。そこで金持ちに軽んじられる貧乏な少年として過ごしたことで、自分も金持ちになって同じ舞台になってそういう奴らと戦うことを決意して、それからひたすら金持ちになることに執念を燃やすことになる。彼の根源、強い原動力を生んだ体験はそれ。ローザが語っていたサトペンのイメージとは、また色合いの異なったサトペンの実像が浮かび上がる。金持ちになる、立派になることにひたすら希求したのは、そうしたかつて彼を軽んじたものと同じ地位に立って、それを得て彼らがしたようにかつての自分のような人間相手にあんな態度をとらないことをしたかった。
 サトペンは、そうして同じ立場に立って彼らの行動を否定するようなことを思い、実際にそうした行動をすることではじめて幼き頃のやわらかな心に付けられた傷が癒され、長年の胸のつかえがとれると思ったのかもしれない。最期までその目的に邁進するひたむきで一本気な無垢さ、純粋さがあった。結局それが動機であり、目標であり、それは最後まで変わらなかった。ちょっとそうした話が語られることで、サトペンのイメージが変転する。
 サトペン少年はそうした思いを胸に宿してからほどなく、家から出奔して南部の地から、西インド諸島へと行く。家族とは以後二度と会わなかった。
 ただでさえ一文が長くて読みにくいのだけど、シュリーヴとクエンティンの会話、物思い、過去の父との会話、物思い、再度シュリーヴとクエンティンの会話という具合に進んで(P33-93辺り)、その会話は父との会話の回想やクエンティンの物思いを話した状態で話は進んでいくのだが、再度二人の会話に戻るまでが長いので戻ってきたときに、もしかしたら前の会話から続いているのかちょっと混乱して前に戻って調べなければならなくなるのが厄介だ。
 他にもマトリョーシカのごとき入れ子構造の文があって、ちょっとどうなっているのか混乱する。こういうのは漫画や映像とかで場面転換がはっきりとわかれば理解しやすいのだろうけど文章だと中々把握するのが困難というか面倒。
 167ページのようにクエンティンが一旦話を止めたときに、続きが気になるシュリーヴが続きを話すように促しているのがなんかいいな。
 上巻からちょっと気になっていた、ミスター・コールドフィールドがサトペンとの取引に応じた理由は、彼の信用を利用した取引で設けるという計画がうまくいくとは思わなかったが、そうしたものに長年誘惑を感じていたので、それが失敗したら自分も自首してその胸中に抱いてきた疚しい考えの罪滅ぼしをして、そうした疚しさの罪悪感の荷を下ろそうとした。しかし期せずしてサトペンはうまくやりおおせてしまい、それに怖気づいたミスター・コールドフィールドは自分の儲けを放棄して、なんとか自分の両親と折り合いをつけようとしたということのようだ。
 サトペン、青年期を過ごしたハイチで最初の結婚をする。しかし結婚後に、後にサトペン家とボンを破滅に導く「ある事実」を知ったことで、彼は自分の権利を放棄して、ただ20人の黒人奴隷だけをもらって離婚した。その黒人たちがサトペン百マイル領地を開発する時に連れてきた黒人たち。サトペンは、最初の結婚相手であったのハイチの農園主の親娘が隠していたその事実は『彼の構想全体の最大の動機を彼が知らないうちに無効にして挫いてしまったばかりか、彼がそれまで苦しみ耐えてきたすべてのものを、またこれからあの構想に向かって未来に成し遂げようとしていたすべてのものを一つの皮肉な妄想として嘲笑うような、あまりにもたちの悪いものだったと言った』(P175)。そうした陳述を見ると、サトペンの過去のトラウマ、農園主が黒人によいポストに置いたり、貧乏な白人と黒人たちを同列に、一面では貧乏な雇われ白人たちを下においたことが許せなくて、白人が上で、白人の中では貧しいものに対しても優しくあろうという「正しい」あり方を自分がその立場になって実践してやろうというのがその構想だったのかな。
 サトペンがローザに言った言葉、そのために結婚しないことになった言葉は、生まれた子が男で無事育ったら結婚しようというものだったか。上巻でもそうしたことがいわれていたが推測だったと思うから、サトペンがローザに投げかけた言葉がちょっと気になっていたので明かされてすっきり。
 サトペンは彼に長年仕えたウォッシュ・ジョーンズの孫娘に子供を生ませる。しかしそれが男児でなかったことで彼女をぞんざいに扱ったため、サトペンを崇拝していたウォッシュ・ジョーンズは憤激し、彼を殺し、孫娘と生まれたばかりのその娘を殺し、自分も死んだ。ジョーンズは殺した後も自分の行いを悔い、未だサトペンに心酔していた様子をみると互いの過ちと破滅に、悲しくなってしまう。
 徐々にクエンティンとシュリーヴの興が乗っていき、起こった事実や聞かされたことをもとにした推察して、当時の有様やその人たちの心情が見てきたかのように、実際にあった情景のように物語る。そうして単なる伝え聞いた話ではなく、語り手の姿が見えなくなって、普通の小説のような形で、彼らは物語を織っていくことになる。そうして内面や細かいところなども描かれるようになったことで劇的な場面、例えばサトペン・ジョーンズの死、ボンの「事実」が明かされたときなどがより映える。
 ボンの母、息子にサトペンへの憎しみと怒りを無意識のうちに植えつけた。しかしボン母子、遺産食い潰しながらの悠々自適で典雅な生活という感じだったみたいね。
 ボンの母、サトペンの息子が大学に行くと知り、復讐のために28になった洗練された放蕩児ボンをその学校へと送り込む。自分が何故辺鄙な田舎の大学へ行くのか、それがなぜかは尋ねなかったが、母や弁護士が何かを企んでいることは知っていた。そしてそこで自分に似た男ヘンリー・サトペンと出会う。そこで送られた意図を知ることになる。
 ボンが本当に望んでいたのは妹であるジュディスとの結婚でも、ヘンリーの友情でもなく、ただ父であるサトペンが自分のことを一度でも息子と認めてくれることだけ。それがたとえ、息子だ、でももう近づくなという言葉でもよかった。ただ、父親に自分を少しでも見てほしかっただけ。サトペンから丁重な無視を受けながらも、少しでも、人目でも父として私を見て欲しいという、ボンの強い父への思慕を見ると切なくなる。
 シュリーヴとクエンティンが、それぞれチャールズ・ボン、ヘンリーと一体になったような形で語られる。クエンティンがでている「怒りと響き」でも、二人はボンとヘンリーと同じような関係となっていることかな。
 ヘンリーは父が言ったボンが兄だということが本当だと直感して、自分が彼に本能的に惹きつけられた理由がわかり、絶望。
 真相が父の口によって明らかになったときのヘンリーとボンの絶望は悲しくも美しい。いやあ、上巻の解説で読んでもその可能性を思いつけない自分自身の察しの悪さのおかげで驚くことができ、驚きながらもそれが明かされたことで色々と合点がいくという体験ができてよかった。
 しかし当時黒い血を引いているということが、一人の男を破滅に追いやるほどのものだったのか。しかしボンはもしかしなくとも奴隷/妾にしていた8分の1混血の女性よりも黒人の血が濃い感じか。また、その血によってそうして扱うことを肯定してきたのだから、事実を知り、自分の価値観ですら自分自身を罪深く、許しがたい存在にまでしてしまう。ボンはそうした自らを全否定しなければならなくなるという残酷な変転を味わわなければならなかった。ボンのその絶望と悲しみの深さには、そしてあんなに求めていた父の愛情を得られないことにも心の底では納得してしまうだろうということには、憐憫の情を抱かざるを得ない。と思ったが、感想を書くのに改めてパラパラと読み返していると『母親がどんな素性で、何をしたにせよ、俺が母の血によって不純になり汚されていることは、絶えず想起しなくてはならない事実だった。』(P298)とあるから、案外ボンは自分が黒人の血が入っていることに気づいていたのかな? そうだとしたら混血の女を奴隷として扱っていたのは倒錯的喜びのためなのか、ボンならそれもありえそうだ。そうも思ったが、わざわざ真実を知った後、ジュディスと結婚するためにサトペン百マイル領地へと行くことを宣言して、人種混交、黒人の血が混じることを許せないヘンリーに自分を殺させた(半分以上自殺名)行為を見ると自分の血を知った絶望した行為だと思ったので、知らなかったと考えるほうが妥当かな。
 黒人の血がサトペン一家の血筋を終わりに導き、しかし最後に残ったサトペンの血を継いだものは黒人。時代の悲劇、人種差別的な価値観の悲劇ということかな。